新たなバージョンは優れているか?という問いに対する答えはnoです。もし、あなたにとって重要なソフトウェアの新たなバージョンが発表されたとしても、現状に満足しているなら、それを入れ替えるべきではありません。
“新しいバージョン”は、そのソフトウェアが以前のものより優れていることを必ずしも意味しません。
私が公開したソフトウェアを例にとって説明します(他の人の作品を例にしたら失礼ですもんね)。私は、とある機能を持つOS/2用ソフトウェァが欲しくて探し回ったあげく、何処にもそれを見つけられず、結局、unix用に公開されていたソースを拾って来て自分で移植したことがありました。もちろん、せっかく苦労してコンパイルしたものを、ひとりで使っているのももったいないので、私のホームページとhobbes OS/2 archiveに公開しましたが、これにはちょっとしたバグが隠れていました。(もちろん、現在、公開しているものは、それを修正してあります)。
その後、私が移植したものよりバージョンは古かったのですが、OS/2に移植したものを見つけることができました。なんとなく気になって、その古いバージョンのOS/2ポートのソースに対するパッチを読むと、オリジナルのソースをそのままコンパイルした時にOS/2環境でのみ問題となる個所をうまく避けるような修正が施してありました。しかし、それを見るまで私はその個所に気付かず、そのままコンパイルしていました。
要するに、私が公開したものの方が、バージョン番号も日付も新しいのにバグがあったわけです。普通に使う上では、元のソースのバージョンの違いによる機能の差は無いも同然だったので、もし、この時に両方のバージョンの存在を知っていた人は、古い方を選択するのが正解だった訳です。
教訓: バージョンや日付が新しいソフトウェアが優れているとは限らない。
私がかつて公開していた、とあるソフトウェアのとあるバージョンを例にとって説明しましたが、これは、他のフリーウェア作家によるものや、時として、一流メーカ製ソフトウェアにも当てはまることです。
例えば、実験的な試みで新たな機能が追加されたソフトウェアは、その変更に伴う新たな問題を抱えているかもしれません。また、例えば多くのGNUソフトウェアのように、他の環境から移植されて来たソフトウェアは、バージョンの違いにかかわらず、移植した人が違うと移植の過程で様々な個性が出て来ます。
また、ある人の移植した、とあるソフトウェアは、日本語を扱えるようになっているが、英文の大文字小文字を同一視させようとするとハングする。他の人の移植したものを試したら、英文の大文字小文字の同一視はokだが、日本語が扱えないとか。結局、どちらを選ぶかは、あなたが、どちらの機能を重視しているかで決まるということもあるかもしれません。
もちろん、ソフトウェアの配布元が、新たに発生したバグに気付けば、更にその後のバージョンで、それはフィックスされるでしょう。もし、あなたがフリーウェア作家でなくても、彼らに対し、彼らが気付いていない問題を指摘できるなら、あなたはバグ・レポートという立派な貢献ができます。バグがあるからダメとあきらめるのではなく、バグがあったら直して貰うというのが建設的なユーザだと思います。
フリーウェアを公開していると、ナンセンス・クレームも多く、私を含めて多くのフリーウェア作家はバグ・レポートに不機嫌になることもあります。しかし、建設的な提案であれば、常に歓迎されるでしょう。
「現状に満足しているなら、それを入れ替えるべきではない」と言いつつ、常に新たなバージョンをインストールしておいて欲しいものがあります。他にもあるかもしれませんが、私がふだん使っているものの中から、それに該当するものをピックアップしておくと、
インターネット上で公開されている様々なソフトウェアは、たいてい、それが開発された時点で最新のemxのランタイム環境を前提としています。ランタイム・ライブラリーの章にも書いたように、ライブラリのバージョン・アップは、それを参照する多くのソフトウェアに影響を及ぼしますので、いま、あなたの環境が安定して動作しているなら、バージョンを上げる前に、現状をバックアップして、問題があったら元に戻せるように配慮しておくことを強くお薦めします。
XFree86は、新たな安定版が発表されると、前のバージョンはサポート対象外になるのが普通です。ただし、3.3.6から先日正式にリリースされた4.0への改版はかなりドラスティックな変更を伴っているため、この文書の執筆時点(2000年3月末)で、3.3.6が現行バージョンとして扱われているようです。なお、誤解を避けるために補足しておくと、4.0はOS/2用バイナリは未だ公開されていません。