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「ニゴ」とされた漢字

要旨

 JIS X 0213:2000で収録された、2面3区17点冫谷(冫部7画)は、規格票での読みを「ニゴ」とされているが「サコ」が正しい。

JIS規格票の記載と、その典拠

 JIS X 0213:2000は『○ニゴ冫谷・長池遺跡」・国会図』として「国立国会図書館書誌(国立国会図書館・一部用例なし補助ソース)」を典拠とする。
 国立国会図書館のNDL-OPACで「長池遺跡」を表題に含む本を検索すると『一般国道11号高松東道路建設に伴う埋蔵文化財発掘調査報告 第一冊 〓 ・長池遺跡』4)のみがヒットする(「〓」はゲタと呼ばれる、該当する漢字がないことを示す記号)。データベースの読みフィールドには「サコ・ナガイケ イセキ」とされている。この報告書の第二冊5)、第三冊6)もデータベースに入っており、それぞれ「サコ マツノキ イセキ」、「サコ ナガイケ ニ イセキ」となっている。データの更新日が2001年7月となっており、規格制定時と異なる読みが入っていたことも考えられたが、冊子体(1996年発行)の書誌データ11)の279pにも「〓」を「冫谷」とし、すべて上記と同じ読みが示されている。
 また、国立情報学研究所のWebcat書誌も「◆◆・長池遺跡」(「◆◆」は該当する漢字がないことを示す記号)とし、「サコ ナガイケ イセキ」の読みを付ける(ただし、規格制定当時のWebcatは、現在のように読みの表示はされていなかった)。
 典拠となった資料4)の実物を図書館で閲覧した。表紙の題名に「SAKO NAGA IKE」とローマ字でルビが振られており「サコ」という読みで間違いない。姉妹編の報告書 第二・三冊も、同様にローマ字で「SAKO」とルビが振られている。
 この遺跡は香川県高松市林町の高松中央ICの近くの、長池と大池に挟まれた、現在は「佐古」という地名のところにある([Mapionによる地図])。現在の地名「佐古(さこ)」からも「サコ」という読みが正しいことがわかる。

他の本などの記載

 JIS X0213:2000制定以前の国内外の字書類には、この文字は見出せなかった。日本で作られた「国字」だと考えられる。
 『日本列島二万五千分の一地図集成 5: 鳥取県・島根県・山口県・四国・九州・沖縄県』3)所収の「高松南部」という地図(昭和3年測図、昭和6年12月28日発行)に、この字の地名はあり、「サコ」とルビがついている。
 『正式二万分一地形図集成 中国・四国1』12)所収の「百相」という地図(明治29年測図、明治32年6月30日発行)にも、この字の地名はあり、「サコ」とルビがついている。
 『地名レッドデータブック』1)は『明治大正日本五万分の一地図集成 4: 中国・四国・九州』3)所収の「志度」という地図を引いて「さゆ」とするが、『明治大正日本五万分の一地図集成 4: 中国・四国・九州』所収の「志度」(明治29年測図、明治34年3月30日発行)には、この字の地名に「サユ」とも「サコ」とも読めるルビが振られており、『地名レッドデータブック』は「コ」を「ユ」と見誤ったものと考えられる。
 『高松自動車道全線開通記念埋蔵文化財展 讃岐横断101km〜未来への道・発掘の記録〜 発掘資料選』13)には「林・冫谷遺跡」とあり、「はやし さこ」とルビがついている。
 『日本交通分縣地圖「其三十五」香川縣』14)(昭和4年、筆者蔵)には「浴」(ルビなし)が見える(右図)。
 『林村史』10)の346pの「地名考」には「佐古 冫谷の字を用いていた。低地で粘土質だから、佐古田(さこた)であった所から起った。」とある。
 同書の16p〜20pでは「弘福寺領山田香河二郡境田図」(天平時代)について説明されており、この日本最古とされる田図にある「佐布田」について「佐布田は「サコタ」と同意味で、沼沢地の所。」とあり、由来として天平時代まで遡ることができる。
 また、同書の巻頭および35pの地図には、この字が見える。
 また、同書の35pには江戸時代の林村の免名として『東讃郡村免名録』を引き、「佐古」という地名が見える。『東讃郡村免名録』の現物は確認できていないが、江戸時代も「佐古」という表記をしていた可能性が高い。


現地調査の結果

 『都市地図 香川県1 高松市 本図1:18,000・広域図1:100,000』7)には、「にすい」ではなく「さんずい」の「浴」と表記された「浴西集会所、浴東集会所、浴公園、浴西公園」が見られる。
 現地で調査したところ、浴西集会所、浴東集会所は現存せず、浴東集会所の跡地には冫谷東自治会館が新築されていた。ここの玄関の下駄箱の上に「浴東集会所」の看板が置いてあった(右図:自治会館の写真)。
 また、浴公園、浴西公園も「さんずい」の「浴」で書かれた看板を確認できた。このように現地でも「にすい」と「さんずい」が混用されていることがわかる(下図:公園の看板の写真)。
 字義的には低湿地という意味の「水+谷」で、「さんずい」の方が適当な気もする。

考察

 なぜ、「にご」という読みが規格票に収録されたのかは、結局判明しなかった。引き続き、調査を続けたい。「幽霊文字」という概念が「幽霊部員」という用語から提唱されたが、今回のようなケースは「幽霊読み」といえるのではないだろうか。
 この「にご」という読みは、『増補改訂JIS漢字字典』8)、『大修館漢語新辞典』9)および『改訂新版 漢字源』15)にも収録されており、今後も誤った読みがこのまま他の辞書に伝播していくことが予想される。検証を怠った辞書編集者にも責任はあるが、規格作成には細心の注意が必要なことが良くわかる。
 この字はまず間違いなく読みを誤ったものと考えられるが、極めて小さな可能性として、何か別の資料から一見するとわからないような違いのある字を引いていて、今回の書名や地名などはこの文字が使えないということも考えられる。
 「音・訓」は規格票では
m)音・訓(参考) 辞書・字書に見られる代表的な音を片仮名で示し,訓を平仮名で示す。この欄は,参考であって規定の一部ではない。
とされている。しかし、規格票では
 これらの部首分類,画数,音訓,包摂される字体の字形などは,文字同定用の補助的情報であり,あくまで参考であって,規格がこれらを規定するものでもなく,推奨するものでもない。
 とされているように、「文字同定用の補助的情報」である以上、誤りがあると文字同定に困難が生じてくる。
 この漢字は規格票に「字」、「音・訓」、「画数」、「典拠」があるだけで他の字のように字書の漢字番号がない。また、規格制定時にはUCSにもなかった文字である。このような情報量の少ない文字については、JIS X 0208:1997の「区点位置詳説」のような記述が必須だったろう。
 この文字はJIS X0213の公開レビューの際には存在せず、最終案になって突然収録された文字であるため、採録された経緯がまったくわからない。最終案にあれば、文句を言っていたはずなので、ミスは完全にJCS委員の責任である。
 JIS X0213:2000に、「ヒキヅナ」に引き続き、明白なミスがもう1件見つかった。最終案の段階で、私は規格票の品質には懸念を表明していたが、まだ不備は多数あることが予想される。

関連リンク

さこ・長池遺跡 | さこ・長池II遺跡 | さこ・松ノ木遺跡
高松市教育委員会のページ「市内の遺跡を見てみよう!」より。

参考文献

 参考として国立情報学研究所のWebcat書誌データへのリンクを加えた。
1) 『地名レッドデータブック』,金井弘夫編,アボック社出版局,丸善, 1994.12
2) 『日本列島二万五千分の一地図集成 5: 鳥取県・島根県・山口県・四国・九州・沖縄県』,科学書院,1995.5
3) 『明治大正日本五万分の一地図集成 4: 中国・四国・九州』,古地図研究会・学生社, 1983.2
4) 『一般国道11号高松東道路建設に伴う埋蔵文化財発掘調査報告 第一冊 冫谷・長池遺跡高松市埋蔵文化財調査報告 第21集)』,高松市教育委員会・建設省四国地方建設局, 1993.3
5) 『一般国道11号高松東道路建設に伴う埋蔵文化財発掘調査報告 第二冊 冫谷・松ノ木遺跡高松市埋蔵文化財調査報告 第23集)』,高松市教育委員会・建設省四国地方建設局, 1994.3
6) 『一般国道11号高松東道路建設に伴う埋蔵文化財発掘調査報告 第三冊 冫谷・長池II遺跡高松市埋蔵文化財調査報告 第24集)』,高松市教育委員会・建設省四国地方建設局, 1994.3
7) 『都市地図 香川県1 高松市 本図1:18,000・広域図1:100,000』,昭文社,2002年1月5版7刷
8)『増補改訂JIS漢字字典』,芝野耕司,日本規格協会, 2002.5
9) 『大修館漢語新辞典』,鎌田正・米山寅太郎,大修館書店,2001.4
10) 『林村史』,林村史編集委員会,高松市役所林支所,1958.3
11) 『国立国会図書館蔵書目録 平成3年-平成7年 第4編:歴史・地理(1)』,国立国会図書館図書部編,国立国会図書館,1996.12
12) 『正式二万分一地形図集成 中国・四国1』, 地図資料編纂会編,柏書房,2001.4
13) 『高松自動車道全線開通記念埋蔵文化財展 讃岐横断101km〜未来への道・発掘の記録〜 発掘資料選』(高松市歴史資料館 特別展(平成15年6月3日〜7月6日)のパンフレット),財団法人香川県埋蔵文化財調査センター 編
14) 『日本交通分縣地圖「其三十五」香川縣』,大阪毎日新聞 第壹萬六千四百八拾五號附録,昭和4年4月5日発行
15) 『改訂新版 漢字源』,藤堂明保,学習研究社,2002.4

履歴

2003年7月19日 公開

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