【大連からの風 ナンバー15 1997.10.9】

◎食べていただく

 10月1日から5日まで、中国の国慶節に合わせた連休になった。この連休に南京と上海に行った。
 旅行中、印象に残っているベスト5。

第1位 お子さまに食べていただくために一生懸命になっている親  

 今回の旅行の食事では、小さな子どもがいる中国人家庭が近くに座ることが多かった。一人っ子政策のため、もちろん子どもは一人である。その子どもはたいていちゃんと座っていない。椅子をひっくり返しそうにして遊んでいるか、あるいは走り回っているのだ。
 親はそんな子どもを決して怒らない。それどころか、なだめすかせて何とか食事を食べさせようとする。箸やスプーンに食事を持って、子どもを追いかけ、何とか食べていただこうとするその姿は涙ぐましいものがあった。
 さてその子どもはどうするかというと、そんな親の努力にも関わらず絶対にその食事を食べないのである。もう完全になめきっている。中国ではこんな子どものことを「小皇帝」と呼ぶ。一人しか子どもがいないため、わがまま放題でも大事にするのである。
 我が家も息子が一人いるが、もし息子がこんな態度をとった日にはお父さん特製超大型の雷が落ちることになっている。

第2位 パジャマ人

 大連でも結構見かけるが、上海では異常にパジャマ姿が多かった。そもそも人口が多い(1300万人)ので、相対的に絶対数も多くなるのだろう。
 若いキレイなお姉ちゃんがパジャマ姿で彼と腕を組んで歩いている。それは結構見応えがあった。

第3位 新婚学校

 南京の夫子廟の近くに「新婚学校」という看板があった。南京市政府の看板であるので、公的な学校である。いったい何をする学校なのかガイドに聞いてみると、「結婚前に結婚生活についていろいろ学習するところです」ということだった。
 「いろいろ」って、いったい何を学習するのだろう?
 「流動人口計画生育」という文字も書かれていたので、避妊法の学習をするのかもしれない。
 一度覗いてみたいものである。






第4位 上海の歌番組

 南京で上海電視台を見ていたら、日中国交25周年記念番組を放送していた。NHK大阪と上海電視台の合同歌番組で、日本から岡本真夜、酒井法子、南こうせつ、五輪真弓が来ており、中国の歌手とデュエットしたり、自分の持ち歌を歌ったりしていた。
 この日本の歌手に対する上海の人々の反応がおもしろい。
 もっとも拍手が大きく、歓声が大きかったのがなんと酒井法子(ジューチン ファーズ)である。異常とも思える人気であった。酒井法子は中国で中国語で歌っているCDも出している。岡本真夜はTOMMOROWを歌ったのだが、社交辞令的な拍手しかもらえなかった。
 日本の歌手のトリをつとめたのが五輪真弓。「恋人よ」を日本語で歌っていた。南こうせつよりも扱いが確実に上であった。

第5位 大連はモデルを出すところですからねー

 南京も上海も人が異常に多かった。大連どころの騒ぎではない。街を歩くときには人混みの流れに従って、その流れのスピードに合わせて歩かなければならない。
 私は背が高い(180cm)ので大連のそんな人混みの中でも視界が塞がれるということはまずない。しかし、いつもよりも見通しがいいのである。
 そこで気がついた。南京や上海は亜熱帯気候に属する。南方の人は身長が低いのである。
 南京のガイド(女)に「みんなあまり大きくありませんね。大連は女の人の身長が高くて、前が見えません」と少し大げさにいってみた。するとそのガイド、「大連はモデルを出すところですからねー」とため息混じりに答えたのであった。南京の女性は大連に何か特別の感情があるのかもしれない。


◎南京大虐殺祈念館

 南京に行く目的の一つが、この「南京大虐殺祈念館」を見てくることだった。「記念」ではなく「祈念」となっている。私は中国がどのような表現でこの祈念館の展示を行っているのかを前から見たかったのだ。
 この祈念館の入り口には「愛国教育基地」という看板も掲げられ、軍や学校の学習場所に指定されている。
 「遭難者300000人」という数字の下をくぐり、中に入る。中庭のようなところには被害状況を彫り込んだ石碑が15ばかり建てられている。その石碑を見ながら東屋のようなところに入る。地面を少し掘って作られたこの壁の両側には人骨が折り重なっている。
 そのまま道なりに進んでいくと、史料館に行き当たる。ここにはこの南京大虐殺(中国語の表現では「南京大屠殺」)を証言したドイツ人、ラーベイの人となりとその当時の状況、ラーベイ日記などを展示している。
 ラーベイ日記の解説パネルには以下のような説明文が記載されている。(ただし中国語で書かれているので、私の訳は正確ではないかもしれない。しかし原文をノートに写してきたので、いつでも原文を確かめることはできる。ただし中国の漢字には日本の漢字にはない文字がたくさんあり、日本語環境のパソコン上で再現することができない。) 
 『ラーベイ日記は、ラーベイが1937年9月19日に南京に来て1938年2月23日南京を離れるまでの間、日本軍が南京をまさに侵略したことと虐殺を行ったことを書いている。ラーベイは日本軍が殺す、焼く、犯す、略奪する、暴れ回るのを見た。この日記は日本軍の暴行の実録である。これは南京大虐殺の貴重な資料である。』
 当時の遺体の写真と生存者の写真・証言を「殺す」「焼く」「犯す」などのカテゴリーごとに展示している。ショッキングである。私の近くに父親と5歳ぐらいの男の子の2人連れがいた。父親は「小日本鬼(日本の鬼ども)」という言葉を使って子どもに説明している。私は日本語を話すのをためらってしまった。日本人とわかると周りの中国人はどう思うのだろうと心配になったのである。
 しかしそんな心配は簡単に吹き飛んでしまった。私が長時間そのパネルの前にいるのに飽きた私の息子が「お父さーん、いつまでここにいるのー?」と大きな声で言ったからである。しかし近くにいたその親子連れは別にどうという反応を示さなかった。きっと私が日本人だということは最初からわかっていたのだろう。
 この史料館の出口に「結語(終わりに)」という文があった。(これも中国語である)
 『南京大虐殺事件は第2次世界大戦中に日本軍が中国を侵略したときに起った特別に大きな惨事である。しかし最近、日本国内の右翼分子が次々に、南京大虐殺を否定、あるいはその規模を小さいものだったとしようとし、日本軍国主義・中国への侵略戦争・南京大虐殺の罪を矮小化しようとしている。歴史は変えられない。事実は曲げられないということをここに明らかにする。中国と日本が今後一層の友好関係を継続していくことを祈念する。』


◎三得利烏龍茶 

 いいのか悪いのかわからないのだが、上海にサントリー烏龍茶の自動販売機があった。それも「微糖」と「無糖」の2種類である。デパートや食料品店でもこの缶烏龍茶を見たので、結構売れているのだろう。
 中国人がサントリーの缶烏龍茶を飲むというのは、なんだか変である。これ、絶対変である。
 サントリーは「三得利」と書かれている。これは音に漢字を当てはめたのだ。その他に「尼桑」というのも見つけた。中国式の発音では「ニ サン」。つまり「日産」だ。これは「日産」のままだと「日本製」、つまり「made in Japan」を意味する言葉になってしまうからである。ちなみにTOYOTAは「豊田 (フェンティエン)」、ISUZUは「五十鈴(ウーシーリン)」、SUZUKIは「鈴木(リンムー)」だった。


◎日本料理店

 旅行へ行くと当然のことながら中華料理攻撃になる。実は私は中華料理があまり好きではない。何よりも脂っこいのと、中華に良くある甘酸っぱい味が嫌なのである。
 夏休みの西安でのこと。
 連日の中華料理攻撃に辟易した私は、ホテルの近くにあった日本料理店へ入った。「阿部」というその店は、もちろん阿倍仲麻呂から名前をとっている。西安には阿倍仲麻呂の記念碑が建っているのだ。
 店のお姉ちゃんたちは皆、和服を着ている。
 店にはもちろんクーラーが入っているとはいえ、連日38度にもなる西安で、和服で働く中国女性。私はもうそれだけで感動してしまった。
 しかし中にはうるさい人もいるのである。
 「あの着方はなっていない。だらーんとしてお化けみたい」
何もそこまでいわなくてもいいだろうと思う。おそらく正式の着方など全くわからないで、それでもなお和服を着ているのである。異国である日本の文化を実践しているその態度に感謝すべきである。
 感動している私は、そのお姉ちゃんに「その服、暑くない?」と中国語で聞いた。するとお姉ちゃんは「暑くない」と答えた。この奥ゆかしさ!
 私と息子は天ぷら蕎麦を頼んだ。出てきた天ぷら蕎麦は……おいしい! 十分満足できる。しかし、厳しい人はとことん厳しい。

厳しい人 「おいしくない」
私と息子 「おいしいよー。この蕎麦食べてごらん」
厳しい人 (食べたあと)「おいしくない」

 今回行った南京にもホテルの真ん前に日本式の居酒屋があった。
 「虎ちゃん」というこの店には何と泡盛も置いてある。ちりめんじゃこと大根下ろしの和え物、焼き鳥、アサヒビール2本を頼み、勘定してもらった。ちなみに店員は少し怪しいながらも日本語を話す。

店員 「12元です」
私  「えー??? そんなに安い???」
店員 「?????」

 勘定書を見てみると92元。あのまま12元だけ払って、帰ってしまってもよかったかもしれない。いやいや、「正しい・寛容な」私は、やっぱりそんなことはできないのである。


◎誕生日のケーキ

 中国での誕生日の祝い方をご紹介しよう。
 誕生日といえばやはりケーキ。これは中国でも同じである。ケーキに年齢分のロウソクを立て、それに火をつける。そして「生日快楽(=Happy birthday to you)」をもちろん中国語で歌う。ここまでは日本と同じである。
 しかしこのあとが違う。
 歌い終わったら誕生日の人が願い事を言う。そして全員で一気に火を吹き消すのである。
 若者どうしの場合、ケーキのクリームを顔に塗り合ったりもするそうだ。これは結構楽しそうだと思う。日本もこうすればいいのに。


◎怪しい言葉

 外国語を中途半端に理解している時分には、日本語と外国語を混ぜて話すことがよくある。中学校で英語を学習し始めたときには「I like ご飯」なんていうような思い切り怪しいことを言うのがそれである。
 今、毎日学習している中国語。
 これも同じで、私は英語も日本語も混ざった怪しい文を話すのが得意である。もちろん中国人相手には通じない。もっぱら日本人同士の会話の中で使うのである。
 たとえば「Anytime 可以」。これは「いつでもOK」という意味である。
 「請借ハサミ[ロ馬]?」という言い方も得意である。これは「ハサミを貸して下さい」という意味である。「はさみ」という中国語がわからないので、そこだけ日本語になるのである。
 なぜこんなことになるのかというと、日常生活に必要な単語の語彙が圧倒的に少ないからだ。
 そういうわけで、現在「語彙増加作戦」を実行中である。家庭教師の大学生が俄然厳しくなり、「今度来るときにテストします」なんてことを言い始めた。しかしこれを乗り越えてこそ、明るい未来が待っているのだ。「中国語養成ギブス」は新しい段階に突入した。
 ところでこの間、私と同じように怪しい英語を話す中国人を見た。
 彼は力強く「OK 了」と言った。「了」は完了や過去を表わす。たぶん彼は、ただ「OK」だけでは不安だったのだろう。その気持ちはよーくわかる。


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