【大連からの風 ナンバー51 1999.8.13】


◎日中文化について考える1

 最近、日中文化の相違点とその原因について考えることが多い。
 ほとんどの日本人が知っている中国語の一つに「[イ尓]好(=ニイハオ)」がある。もちろん「こんにちは」の意味である。
 私も今まで別にどうということもなく、「こういうふうに言うと決まっているものだ」としか考えていなかったのだが、ある時ふと気が付いた。
 「[イ尓]好」の[イ尓]は二人称の「あなた」を意味する。「好」は「よい」とか「すばらしい」とかの肯定や誉めるときに使う言葉である。ということは「[イ尓]好」を直訳すれば「あなたはすばらしい」という意味になるわけである。
 会うたびごとにお互いに「あなたはすばらしい」、「あなたはいいね」などと言い合うのはちょっと奇妙な気がする。おそらく、お互いに言い合わなければならなかった歴史的な背景があるのだろう。
 日本語の「こんにちは」は「こんにち(=今日)は、どちらへお出かけですか?」の省略形なのだから、行き交うときに言い合うのには全く不都合がない(と思う)。しかし行き交うごとに「あなたはすばらしい」というのはやはり日本人の感覚からするとおもしろい。「[イ尓]好」には、そのものずばり「あなたはいい」という意味もあって、「還是『[イ尓]好』(=やっぱりあなたはいい)」というようにも使う。「こんにちは」には、そのような使い道がないことを考えれば、これはやはり中国独自ということになるのだろう。
 中国の伝統芸能の京劇を見ても、日本の能や歌舞伎とは全く別物であることがわかる。京劇は、まず音が大変に大きい。頭がガンガンしてくるぐらい思い切り大きな音で演奏する。動作も派手で、飛んだり跳ねたり空中回転してみたりとめまぐるしい。これは基本的に屋外で催されてきたということに起因するのだろう。外で音を出すときには大きな音でなければ散ってしまう。立体的な動きでなければ遠くからは見えない。
 ではなぜ外で催されるのだろう。
 乾燥している大陸の気候がその原因だと思う。つまり雨が少ないのだ。雨が降らないのだから外で行うのには何の支障もない。一方、日本は雨の多い湿度の高い国である。そこでいきおい屋内での芸が発展することになる。屋内では音が散らないし、狭い空間だけの演出になってくる。「侘、寂」という日本独自の価値感は、大きな空間からは生み出されにくいだろう。日中文化の違いの原点には気候が関係しているに違いない、と私は想像している。


◎健康管理旅行

 夏休みに入ってすぐ、健康診断を受けるためにタイのバンコクへ行った。といってもどこか悪いところがあるからではなく、信頼できる医療機関で健康診断を受ける決まりになっているからである。この際の病院は「日本以外のアジア」という条件はあるものの、ある程度自由に選ぶことができる。今回は同期派遣の4名中3名がバンコクを選んだ。
 バンコクは大連とほぼ同じぐらいの人口である。しかし、品物の数は大連よりもはるかに多い。高級品から怪しげな物まで、そこらここらにあるという感じである。日本の書籍を置いている書店も、私が見つけただけで3軒あった。おそらく何十軒もあるのだろう。値段も大連よりもやや安い。気温も思ったほど高くはなく、かえって沖縄の方が陽射しが強烈なような気がした。これは夏がタイの雨期にあたることも関係しているのかもしれない。生後5カ月の子どもを連れていたため、あちらこちら歩き回るというわけにはいかなかったが、できる範囲で歩いてみた。
 タイで一番興味深かったのが食べ物の量の少なさである。
 私は屋台だとか、そこら辺の食堂などの一般人が集まる食べ物屋の食べ物を食べるのが好きである。もちろん人一倍お腹が弱いので、衛生面には気を使ってはいる。「危ないかな? でもこのぐらいならOKだろう」というぎりぎりの店を選ぶのが一つのテクニックでもある。これは昨年行ったシルクロード(蘭州・敦煌・吐魯番・烏魯木斉・喀什・タシコルガン)で身につけたテクニックである。
 そこで食べたご飯物にしても麺類にしても、とても量が少ないのである。一つではとても足りない。そこで私は常に二つの食品を頼んだ。この量は日本人が見ても少ないと思うのだから、中国人が見たらスズメの食べる量ぐらいにしか見えないかもしれない。しかし回りのタイ人は一つだけの料理で席を立つ。そういえば肥満のタイ人は見かけなかったような気もする。やはりタイ人は日本人よりも小食なのだろう。
 生後5カ月の次男を乳母車に乗せて歩いていると、行き交う人々の99%は息子を見て微笑む。そして20%の人々がさりげなく息子の体のどこかに触る。さらにその中の10%の人々は「なんだー」「かんだー」と言いながら立ち止まり、しっかりと息子を触りながら話しかけてくる。もちろんタイ語なので全くわからないのだが、可愛がっていることはよくわかる。
 いろんな人が息子を触っているのを見て、実は私は少し不安であった。バンコクの書店で買った「タイの常識非常識」という日本語の本によれば、タイの一般家庭では大便のあとにトイレットペーパーを使わない場合が多いという。手桶に汲んだ水と手できれいにするというのが一般的らしい。私が見た範囲ではそのようなトイレはなかったのだが、ホテルやデパートでしかトイレに行かなかったからかもしれない。とすると、この中の何人か、あるいは大部分は「手桶+手」の人たちかもしれないのだ。しかしよく考えれば、そんなことを言っていたらタイで何も食べられなくなる、ということに気がついて、気にしなくなった。
 中国でも赤ん坊や小さな子どもを非常に可愛がる。しかしこれは主に女性である。男が触りに来たり話しかけてきたりというのはあまりない。ところがタイでは男も率先して赤ん坊を触りに来る。これも今回発見した「中国とタイ」の国民性の明らかな違いの一つである。
 今回のタイ行きのメインイベントは健康診断。
 バンコク郊外にある「バンコクジェネラルホスピタル」で行った。日本人用の診察室があり、すべて日本語ですますことができる。おもしろいのは、病院の敷地内にセブンイレブンがあったり、市場があることである。それも入院患者の御見舞用という感じではなく、一般生活者用の品揃えである。ここのセブンイレブンにはさすがに煙草は売っていなかった。
 さて、健康診断の結果は……さすがは中国医療の医者に「肝臓が強すぎる」と言われただけあって、一番心配していた肝機能もその他も、全く問題なしという診断がでた。あーよかった。


◎サントリーウーロン茶の戦略

 中国の都市一般家庭のテレビチャンネルは20ほどある。これは日本とは比べ物にならない。もちろんすべて無料である。大連でもなぜか遠い上海だとか、もっともっと遠い雲南だとかのチャンネルを見ることができる。
 そんな中で、放送の大部分をテレビショッピングに当てているチャンネルがある。つまらないのでたいていは見ないのだが、旅行中のホテルでぼーっと見ていると、商品の紹介の中に決まり文句があることがわかってきた。それは「欧米日本很受歓迎(=欧米と日本でとても人気のある)」というフレーズである。日本で人気があるということが売り文句になるのが今の中国であるということがわかる。
 たしかに大連のマイカルの広告でも「日本Tシャツ」などという広告の文字が踊っている。日本の商品は高級感があり、日本で受ける物はいいものだという感覚があるのである。
 中国各地でもサントリーウーロン茶が売られている。上海で最も人が集まる外灘には、サントリーウーロン茶専用の自動販売機まである。
 これはサントリーがいいところをついたといえるのだろう。 日本においては「ウーロン茶は中国のもの。中国4000年の歴史があるから体によさそう」というイメージ戦略を用い、一方中国では「へー、日本でも人気があるウーロン茶なのか。それはきっと自分たちが知らなかった高級なウーロン茶なのかもしれない」というイメージを持たせることができるわけである。
 誰が考えたのかは知らないが、サントリーの首脳部は考え出した人に「金百封」はあげなければならないぐらいの盲点をついたと私は思う。


◎法輪功とサイババ

 日本の報道でもご存じの方が多いであろう「法輪功」。現在、大連でもあちこちに「法輪功」の活動を禁止する通知書がべたべたと貼られている。そして中国の新聞・テレビは毎日かなりのスペースと時間を割いて「法輪功」批判を行っている。
 そもそも「法輪功」とは何か。仏教の教えをベースとした、気功の学習集団と説明して間違いがないだろうと思う。私も大連のあちらこちらの公園などで、法輪功の人々が気功の練習をしていたのを目にしていた。それ自体特に問題にすることでも何でもないはずである。しかし、今年の4月に北京の中南海(=国家主席やそれに準じる人々の公宅、及び水面下での政治のあれこれの舞台のある場所=天安門のすぐ隣だが絶対に入ることはできない=中国最後の秘境)を法輪功の人々が取り囲んで抗議をしたというのが、中国共産党の怒りに触れた。そして7月のある日、中国共産党の指示のもと、法輪功に関わる人々を一斉逮捕し、その弾圧に乗り出したのである。指導者の「李洪志」は、いち早くアメリカに脱出したため拘束されることはなかったのだが、彼は当分(あるいは永久に)中国に帰ることはできないだろうと思う。
 法輪功の何がそんなに中国国家をあわてさせたのだろう。
 いろいろ考えられなかで一番は、その信者の数とその参加者なのだろう。
 仏教も気功も中国ではごく日常的に触れることができ、それ自体取り立てて問題にすることではない。しかし日本と同じように、ここ本場中国でも、気功はちょっと摩訶不思議な雰囲気を持った物として認知されている。本当とも言い切れないし、嘘だとも言い切れない何とも曖昧なものである。そこで気功を学習したい潜在的な人々はかなりの数がいたのである。
 指導者の李洪志はそこを上手くついた。彼は「病気というのは気のバランスが壊れた状態。薬を飲んで治ったように見えても根本的には治らない。法輪功の気功バランスを整えれば完治する」というような宣伝を行い、さらに多くの信者を獲得した。その中には共産党の指導者もいたらしい(日本でも似たような宣伝をしている宗教集団があるよなぁ)。信者は日に日に増え、日本を含む外国にまでその範囲が広がった。これに焦った共産党指導部は「法輪功は異教徒集団である」という通告を行い、これに対する抗議行動が、4月の中南海包囲だったわけである。
 教祖の一声で中国の政治の心臓部を包囲できる集団の出現は、指導部の背筋を寒くしたであろうことは想像に難くない。そこで現在、第2の李洪志が出ないよう、徹底的に法輪功の批判を行っているわけである。
 ところで、この一連の流れの中で傍観している私には、延長線上にインドのサイババが頭に浮かんでくる。インド政府がサイババを拘束しようとしたという話はまだ聞いていない。インドはまとまっているようで、まとまっていない部分があることを認めた国家なのだろう。まとまっていないかもしれないのに、まとまっているという強硬姿勢を見せなければならない世界第3位の面積の多民族国家は、やはりつらい部分があるということなのだろう。


◎華英雄

 これは案外知られていないことだが、中国では日本公開よりもかなり早く話題のアメリカ映画が公開される。「タイタニック」も「ディープインパクト」も日本よりも早かった(日本が進んでいると勘違いしているあなた、これでちょっとは目を覚ましてね)。大連では映画館の入場料が10元(150円)なのだから、話題の映画は見なけりゃ損である。 NATOによる中国大使館誤爆事件のあおりが変なところに来ている。
 日本ではすでに公開された「スターウォーズ エピソードワン」が中国では上映禁止になってしまった。
 「別に映画を禁止したって仕方がないだろうに」と思うのは私だけではないだろう。街中にはコカコーラを飲んでいる人があふれ、マックやケンタッキーは満員。星条旗Tシャツを着た中国人がたくさん歩いている状況で、映画一本止めたところでなんになるのだろうと普通は思うのではないだろうか。しかしそうは思わない人が上にはいるのだ。
 「スターウォーズ エピソードワン」の代わりに上映されることになった映画が、またふるっている。「華英雄」というタイトルである。「華英雄」とは「中国の英雄」という意味である。「華英雄」という名前の主人公が日本人、アメリカ人をメタメタにやっつけるという、中国人が見ればとても爽快な映画だ。私は映画館で見たのだが、コンピュータグラフィックスとSFXを使ったかなり手の込んだ映画だった。鄭伊健という香港の人気役者が「自由の女神」の上で日本人と戦い、最後は「自由の女神」を壊し「自由の女神」もろとも日本人を粉砕する。その後、今まで虐げられてきたアメリカ人集団をやっつけるという筋書きである。
 なんだかいかにも……という映画ではあった。しかし、私もちょっと楽しめたことは間違いない。


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