【大連からの風 6 1997.6.13】

◎良い子の象徴

 6月9日、国際交流行事で大連日本人学校小学部全員がT小学校へ行った。ここは先に私がおじゃまさせていただき、2年生の自習態度にショックを受けたあの学校である。

 今回はそれぞれの学年ごとに授業参観をし、そのあと子ども同士で遊ぶという計画になっている。実は私はこの授業参観をとても楽しみにしていた。あのシーンとした授業を私自身がもう一度見ること、そしてそれを見た子どもたちがどういう反応をするのかという二つの面でである。

 授業参観は音楽であった。講堂のような階段教室で、3年生70名(1学級!)が授業を受けている中に参加させてもらった。当たり前のことだが全て中国語である。私も子どももほとんど理解できなかった。しかし、やはり「ドレミファソラシド」は日本と同じ発音をしていた。これは万国共通なのだろう。できれば語文や算数などの教室の授業を参観させて欲しかったと思う。

 その後、子どもたちと一緒にグランドで遊んだ。滑り台、うんてい、中国の蹴鞠のような遊びなどである。お互い言葉は通じないがボディランゲッジで十分意志の疎通が出来ていたのがおもしろかった。私もそのクラスの担任の先生と意思の疎通を図りたかったのだがだめだった。残念、とっても若いきれいな先生だったのに……。

 中国の小学校は朝7時30分から1時間目が始まる。

 しかし子どもたちは6時30分には登校している。登校して何をしているのかというと、「自習」である。もちろん先生は6時30分よりも前に学校に行っている。ちょっと私では勤まらないかもしれない。先生は教室の前に座り、自習監督をする。そして例のシーンとした自習になるわけである。

 帰りは5時である。3時頃に6時間めの授業が終わり、そのあとは5時まで自習をする。シーンとした教室で。

 あのシーンとした自習態度と赤いスカーフの関係について、前号で触れた。

 中国の子供がつけているあの赤いスカーフは「紅領巾」という。中国共産党の子ども組織「少年先鋒隊」に入隊する事が許された印である。

 もちろん今回一緒に遊んだ子どもたちの中にも「紅領巾」をつけている子どもとつけていない子どもがいた。だいたい3分の2はつけていた。

 中国の語文の教科書の挿し絵では、掃除をしたり先生に誉められている子どもは、みな「紅領巾」をつけている。「紅領巾」のない子どもは、いわゆる良い子ではないと見なされるのであり、子どもにとっても親にとっても大きなプレッシャーになっている。

 語文の教科書の中に大意次のような話が入っている(らしい)。

 『平平は二年生になったが、まだ「紅領巾」をつけていない。早くつけたくてしかたがない。お母さんにこの悩みを打ち明けたところ、「少年先鋒隊員に学びなさい」と教えてくれた。次の日は日曜日であった。朝、平平はテーブルの前に腰掛けて肘をついて考えた。

 僕はどの少年先鋒隊員に学べばいいだろうか? 平平は考えた。史小芸はよく働くし、日直の時は本当に真面目だ。放課後、彼女は先を争って、水をまいたり、床を掃いたり、黒板を拭いたり机や椅子をきれいに並べたりしてる。もしも明日学校で大掃除だったら、僕はきっと史小芸に学んで、教室をきれいに掃除するぞ。

 そのとき、お婆さんが台所から「平平、ちょっと水を運んでおくれ」と呼んだが、平平は言った。「自分でやって下さい。僕は今考え事をしているんです!」平平は続けて考えた。曹克はよくクラスメートの面倒をみていて、誰かが困るといつも一生懸命助けてくれる。もしも明日、下校の時に誰かが川に落ちたりしたら、僕はきっと曹克に学んで、我が身を顧みずその人を助けてあげよう。

 そのとき、妹がやってきて、平平の服を引っ張って言った。「お兄ちゃん、靴ひも結んでちょうだい」平平は言った。「あっちへ行けよ。僕は今考え事をしてるんだから」

 妹はくやしがって、泣いてお母さんに言いつけた。お母さんがやってきて平平に尋ねた。「平平、あなたは何を考えているの?」

 平平は真顔で言った。「お母さん、僕はどの少年先鋒隊員に学ぶか考えている所なんだ」

 お母さんは言った。「でもね。あなたは考えなかったの? 本当の少年先鋒隊員は家で何をすべきかということを」』

 ではもう「紅領巾」をつけた子どもは安泰かというとやはりそうではない。少年先鋒隊員の中でなお「優秀先鋒隊員」になるべく規律をたたき込まれるのである。もう一つ語文の教科書の中の話を紹介しよう。

 『私のお兄ちゃんはとても利口だけど、林は、お兄ちゃんのことをバカだといつも言っている。

 ある日、お兄ちゃんは私を連れて映画のチケットを買いに行った。行列している人はとても多かった。その行列の前の方に林がいて、お兄ちゃんを呼び、前に割り込みするように言ったけれど、お兄ちゃんは断って真面目に行列の一番後ろに並んだ。林はこっちを見て低い声で「本当に馬鹿な奴」と言った。

 庭の入り口に砂山があって私たちはそこでよく遊んでいた。ある時、なにがあったかわからないけれど、強と林が口喧嘩を始め、険悪な雰囲気になり、強は砂をつかんでまき散らした。その時お兄ちゃんが出てきて、お兄ちゃんは砂を被ってしまった。強はしまった、と逃げ出したがすぐに転んでしまった。お兄ちゃんは慌てて駆け寄って、強を助け起こし、怪我はないかと尋ねた。林は砂山で怒ったように言った。「砂をかけたのはあいつなのに、それでもあいつを助け起こしにいくなんて、なんてバカなんだ。」

 それから、ある時、私は庭で遊んでいると、うっかりして転び、王爺さんのひまわりの苗を押しつぶしてしまった。お兄ちゃんは勉強していたのだけど、私が泥だらけなのを見て、私を入り口に連れていって泥をはらってくれた。

 その時、王爺さんが帰ってきて、ひまわりが何本か倒れているのを見て「どこのガキが苗を駄目にしたんだ」と尋ねた。私はすぐに部屋に逃げた。お兄ちゃんには全て分かった。そして、すぐに王爺さんのところに行って言った。「妹が駄目にしたんです。申し訳有りません。僕の家のを持ってきますから」王爺さんは「そこまでしなくていいよ」と言った。

 晩御飯を食べた後、お兄ちゃんは自分の家の良い苗を持ってきて植えた。林はお兄ちゃんが苗を植え替えているのを見て、そばで笑って言った。「バカだなあ」

 林はいつも私のお兄ちゃんをバカだという。でも「6月1日」児童節の日に、お兄ちゃんは優秀先鋒隊員に選ばれた。これはなぜだろう。』

 これらをまだ「紅領巾」をつけていない子どももいる教室でやるわけである。日本では絶対にない、かなりすごい風景だと思う。

 日本の道徳教育と決定的に違うのは、子どもに対するプレッシャーの強さだろう。中国の子どもは日常生活の中で学校=社会、家庭からの絶え間ないプレッシャーに置かれているのである。そしておそらく子ども自身、それをおかしいとは感じていないだろうことが恐ろしいと思う。

◎中国の歌

 最近、中国の歌に凝っている。

 中国の歌といっても日本には全くなじみがないのでよくわからないという方が多いと思う。いわゆる中国の伝統的なメロディーラインのものもあるにはあるが、ヒットしているのはニューミュージック系統である。長渕剛、浜田省吾のような曲調、杉山清孝のような曲調のものが特に流行っている。

 その中で最近の大ヒット曲「心太軟」、「朋友」を練習しているところである。どんな歌詞かというと、毛沢東などが出てくるわけでなく、日本と同じような歌詞である。

「心太軟 (シン タイ リュワン)」

 あなたはいつも優しすぎる。あなたは明け方一人で涙を流している。あなたはそんなに強い人じゃないことを私は知っている。彼はもう帰ってこないんだよ。どうしてそんなに無理をするの? もっと明るい未来を見ようよ。

「朋友 (ポン ヨウ)」

 何年も君は辛い思いをしてきた。泣いたこともあったし間違ったこともあった。でも、これからもずっと走り続けよう。一つの言葉、一つの情け、一杯の酒を大事にして。

というような感じである。日本のMTVのようなビデオクリップの番組もある。「心太軟」はきれいな女の人が一人泣いているような映像を、「朋友」はラグビーの練習風景などの映像が流されている。

 私はこの「朋友」が大変気に入り、さっそくギターとともに練習した。つい先日、私の弾き語りを私の住居である秀月酒店の通訳が「どうしても聞きたい」というので聞かせたところ、「非常好! (フィーチャンハオ 非常にすばらしい)」といわれた。ま、外交辞令だろうけど。

 それはそうとして、歌でおもしろいことを聞いた。

 中国語の漢字は読み方はもちろん、その声の上がり下がりで意味をなしている。つまり日本語で「なし」と言っても「梨」と「無し」があるのと同じである。発音は同じでも、そのイントネーションの違いで漢字が全く違ってくる。そしてそんな字が何十も何百もあるのである。

 さて、歌になると本来その字が持っているイントネーションは全く無視されてしまう。メロディーに合わせるからだ。ということは、中国人はラジオで初めて聴く歌の歌詞などは、あまり理解できないのである。何となく前後のつながりからわかるらしいのだが、それでも非常にむずかしいという。中国語の弱点はここにあるのかもしれない。そのことが逆に、私が「心太軟」を歌っても、それほど不自然には聴こえないということにもなるのである。

◎中国通信事情 その1

 現在、私が中国からどのようにしてインターネット、パソコン通信を行っているのかをご紹介したい。 私は現在CHINA NETという中国国営プロバイダに接続し、そこから日本に通信を送っている。郵電局(郵便局と電話局が一緒になったところ)に加入申請をし、許可を受けて接続可能になっているのである。この加入申請の際には外国人居留証が必要で、さらに加入費ということで400元(=6000円)納入した。毎月の使用時間は選べるようになっており、私は15時間コース(300元=4500円)を選択している。日本に比べるとかなり高い。

 中国政府がインターネットに対して規制を行っているという噂がある。

 それに対して中国政府は「そんなことは決してしていない。窓を開ければ何匹かの蠅は入ってくる。それを気にして窓を閉めれば空気が悪くなってしまう」という公式見解を発表している。

◎最近新聞づいている

 6月1日の北海道新聞に私のホームページに関する記事が掲載された。

 「H小にいた工藤さんが大連日本人学校に派遣になる前、派遣になったあとの様々な体験をホームページに掲載してある。全国から反響がかなりある。工藤さんはこれを3年間書き続けると張り切っている」という内容である。これは北海道新聞社のM記者との間で何度かメールのやりとりによる取材を経て記事になったものである。そのため掲載日を知っていたし、記事の内容についてもだいたいわかっていた。

 当日、穂別のK先生より新聞記事全文を打ち直してもらったメールをいただいた。なんと私は当日の朝に、自分の記事を見たわけである。さすがはK先生、さすがはインターネットである。そのあと実家からもFAXを送ってもらった。もちろん北海道新聞社も掲載新聞を郵送してくださった。

 しかし、そのあとに出た6月9日の室蘭民報の記事は全く知らなかった。こちらはおそらく北海道新聞の記事を見て取材に動いたのだろう。

 私がこの記事をどのようにして知ったかというと、胆振情報教育研究会のK校長先生、S先生からいただいたメールに新聞記事をスキャナで取り込んだ新聞記事画像ファイルが添付されていたのと、H小学校・N校長先生からのFAXでである。

 室蘭民報の記事は「H小学校に大連日本人学校に派遣されている工藤先生から、大連で体験した様々なことを書いたFAXが届けられている。子どもたちと職員は喜んでいる」といった内容だった。

 こちらの方は私に何のコンタクトもなかった。何も知らないうちに私の名前がどーんと出た記事になっていたのである。なんだか不思議な気持ちになった。