◎ハゲワシと少女の授業に対するコメント

 ◎それは一枚の写真から始まった

 ある朝新聞を開くと、そこにケビン・カーターの撮影した『ハゲワシと少女』の写真が掲載されていた。そしてその写真につけられた記事には、「彼はなぜ助けなかったのか」という非難が世界中から寄せられていると記されていた。つまり私はまず写真そのものを見たわけではなく、ケビン・カーターとこの写真にまつわる物語の中ほどでこの写真に触れたのである。  『ハゲワシと少女』について簡単に説明しておく。

 スーダン十年越しの内戦を行っている。しかし昨年まで、スーダン政府が収材者を締め出していたため、内戦による詳しい飢餓の状況は、ほとんど伝えられていなかった。そのスーダンの内戦の様子をケビン・カーターは取材しようと思い立った。

 彼が訪れたアヨドという村では、一日に十人から十五人の子供たちが死んでゆく。あたりを覆う子供の泣き声。しかし、泣くことのできる子供は、まだ幸せであるという。多くの子供はもう泣くことすらできずに、ただ横たわっている。もし今食糧があっても、子供たちはもう食べることができないのである。

 カーターは言う。

 「『私は、村から出て、たった一人で歩きはじめました。とにかく、ただ村から離れてできる限り遠くへ歩いていきたかったからです。私は砂漠の中へ入り、子供の泣き声が聞こえない静かな所へ行き、ただ座って静かに思いをめぐらしてみたかったのです。』」(マルコポーロ 一九九四年9月号 文藝春秋社)

 そこで彼は写真の光景に出会う。少女は二、三歩歩いては立ち止まり、うずくまってしまう。甲高い声を上げ、必死に立ち上がろうとしている。

 カーターは、一度はそのままその場を通り過ぎたが、少女のすぐそばに引き返したという。すると少女のすぐそばにハゲワシがおり、少女に向かって、跳びはねて近づいていくところであった。

 「『その瞬間、フォトジャーナリストとしての本能が、私に写真を撮れと命じたのです。目の前の状況をとても強烈で象徴的な場面だと感じました。』」(前掲書)その後彼は木陰に座り込み、しばらく泣き続けたという。

 一九九四年三月二十六日、「ニューヨーク・タイムズ」の三面に、特派員の記事と共にカーターの写真が大きく掲載された。その反響はすさまじかった。そしてそのほとんどが「なぜカメラマンは少女を助けなかったのか」というものであった。

 その後各新聞、雑誌がこの写真を掲載するに及んで、ますますカーターへの非難は大きくなっていった。これだけインパクトの写真である。この写真は一九九四年度のピュリツァー賞企画写真部門賞を獲得した。

 私が新聞記事でこの写真を見たのはこの時期だったのである。

 この後事態は思いもかけない方向へ動いていく。一九九四年七月二十七日。ピュリツァー賞カメラマン、ケビン・カーターは自殺した。

 この死は再度、全世界に波紋を広げた。今度は「カーターはなぜ、死ななければならなかったのか?」という形で。非難を苦にして自殺したという説が最も説得力がありそうである。しかし家族や友人はこれを真っ向から否定している。真相は今もって謎である。

 この写真をめぐる動きは、「報道か、人命救助か」という命題に形を変えてその後ますます拡大していく。この「報道か、人命救助か」という命題は、国内ではかつて豊田商事の永野会長刺殺事件の際にも取り上げられた。NHKがカーターの特集を組み、雑誌も次々に取り上げた。そして今回の阪神大震災の際にも、先の命題が、報道陣の中で話題になったという。

◎ネットワーク北海道IN旭川95冬

 サークル例会の際、「この『ハゲワシと少女』を使った授業を考えてみないか」と提案した。写真のインパクト、そしてそれにまつわる物語を知っているだけに、さすがにすぐに「やろう」ということはならなかった。そこで年内をめどに授業を組むことにした。

 九月、ネットワーク北海道IN旭川の実行委員会の席上、この『ハゲワシと少女』が話題になり、お台レポートとして取り上げられることになった。「お台レポート」とは、『ハゲワシと少女』の写真を使った授業のレポートである。

 その際の条件は以下の通りである。

・一時間で展開すること。

・教科は授業者の自由。

・たのしい実践スタイルで書くこと。

 ネットワーク北海道IN旭川当日、通常のレポート発表以外に特別時間を設定して発表を行った。集まったお台レポートは小学校4本、中学校1本、大学1本の計6本(5月号の櫛引報告は間違い)である。

 同じ素材をそれぞれの授業者がどう料理するか。授業者の力量が問われることになる。これはまさに「授業づくり」そのものである。六人の挑戦に敬意を表したい。

 本特集ではその中の三本に焦点を当ててみた。

 加藤論文の特徴は、何といってもその大胆な場の設定にある。A1版のコピーのほかに、20枚のコピーを図書室に貼っておくというアイディアは、「個人としての少女」から「象徴としての少女」への転化を図るために有効な手段だろう。子ども達が考え込んでしまったという記述に、その変容が見て取れる。無責任が許される第三者から行動を伴う当事者への転換を迫る展開は、率直におもしろいと感じた。最終的に三つの考えに分けられた。それぞれの子供たちは、その後どんな動きをみせたのだろう?

 広田実践は「カードディベート」という手法を使った。実は私は「カードディベート」という言葉を初めて聞いた。興味深く読ませていただいたのだが、「アドベンチャーゲームの要素を色濃く取り入れたディベート」と理解した。「深刻な感情問題」=「思考停止」は安藤豊氏も指摘している。「このヒサンさを教えることは大変困難だ。(中略)要するに、あまりにもみにくい場面の提示(「残酷路線」)は、かえって、子どもたちの思考停止をまねき、ヒサンさの認識に達しない」(「戦争の授業」 社会科教育91年8月臨時増刊号P 明治図書)

 安藤実践は90分の展開である。まず、写真を「よりインパクトのあるものにする」ための構図などを考えさせる発問で、学生をカーターの視点に立たせている。次に「『人間性は零点』」に反論させる発問を行い、学生の思考を整理している。例で出されている学生の文章は、加藤実践の根底にあるものと重なることに驚いた。安藤実践と加藤実践の違う点は、意識を問うか、行為を問うか、という点である。