この


 ちょっと奇を衒って題を付けてみました。まだ雑文の段階です。

その1「いまはた」

 文字を音読していて「この『は』は『ハ』と読むのだろうか、それとも『ワ』と読むのだろうか」と迷ったことはありませんか?まさか現代文を読んでいるときにそんな疑問にぶつかるとは思えませんが、古文ではどうでしょう。小倉百人一首の元良親王の歌の「いまはた」の「は」は、どう読むでしょう。

 わびぬれば いまはたおなじ なにはなる みをつくしても あはむとぞおもふ 元良親王

 文法を考えてみれば、「今+はた」ですから/ha/と読むはずです。小倉百人一首のホームページは色々ありますが、その中で音声データを載せているものがあり、そこでの前出の歌のデータhttp://shouchan.ei.tuat.ac.jp/~naoko/ogura/poem19.auでは、確かに/imahata/と読んでいました。でも、私の祖母は/imawata/と読んでいました。きっと混乱したのだと思います。昔は文法など関係なしに口伝えで覚えたものでしょうから、そんな混乱が多かったのではと思います。おまけに濁点なしで書いてあるため一層混乱したのではと思います。落語で有名な在原業平朝臣の歌

 ちはやぶる かみよもきかず たつたがは からくれなゐに みずくくるとは

も「ちはやる かみよもきかず たつたがわ からくれないに みずくるとわ」と読む人が多かったとかで、これは落語の影響のようです。

 ところで、私は以前、長唄を習っていたことがありますが、長唄の「鞍馬山」では「母」を/hawa/と読ませるので感心した覚えがあります。


吉住小十郎著「節付き音譜並びに三味線譜入り長唄新稽古本 鞍馬山」第32版(1978年、邦楽社)

 何に感心したかというと、言葉の響きを重視した柔軟さです。/haha/と発音すると硬くなります。/hawa/と発音した方がずっと柔らかです。長唄は私に言わせれば、この点、非常に柔軟で、他に例を挙げれば、「時致(ときむね)」でも「不倶戴天」と言うべきところを「倶不戴天」と言っています。これでは「倶(とも)に天を戴かず」で両方とも死んでしまうのですが、/hugutaiten/より/guhutaiten/の方がずっと力強いからなのでしょう。

 話がそれましたが、もともと/ha/と/wa/は同一の音/pa/だった訳ですから、それが/ha/と/wa/に分化するにあたって、文法のみでなく、周囲の音との調和で分化してもおかしくないと思う訳です。

 ここでちょっと/pa/と/ha/と/wa/について復習しておきます。古代日本語の発音では「は行」の子音は/p/(口唇破裂音)でした(つまりパピプペポ)。それが、だんだんに/Φ/(口唇摩擦音)(ファフィフフェフォ)になり、さらに/h/になったということが分かっています。また、特に語の途中では/h/が脱落して母音だけで発音され、文字だけが「は行」のまま残る場合も多く見られます。その中で、「は」はちょっと特別 で、一部が/wa/に分化しました。特に主題を表す助詞の「は」は、「は」と書いて「ワ」と読むのがそのまま残してあります。

 私は学生時代塾でアルバイトをしていました。塾長の奥さんが声楽をやっていて、ある日、お宅にお邪魔した際に「この楽譜は間違っている」と言って1冊の楽譜を示されたのを覚えています。古い楽譜で、文語の歌詞の「いまはた」という部分が楽譜の中では「いまわた」と表示してあり、それが「間違いだ」と言う訳です。
 その時思い出したのが祖母の事、長唄の事、日本語の音韻変化の歴史です。私は「そうですね」と応ずることができず、何やら訳の分からないことをモゾモゾ言った記憶があります。古典的にはその歌詞は歌の場合にはそう発音したのかな...と思ったのです。

 でも、色々考えて行くと、迷いませんか?

その2「ちょちちょちあわわ」

 うちの子供達は「お家(うち)」を「オーチ」と発音します。「おう」は/おー/と発音するのが原則です。この/おーち/という発音は他の子供でも聞いたことがあります。でも、皆さんは/おうち/と発音しませんか?これは、頭の中で無意識のうちに「お・うち」と分けるので、それにつられて発音が変化してしまうのだと思います。

 話を戻しますが、「おう」を/おー/と発音するのは、昔/おう/と2重母音で発音されていた音が、その後/おー/に変化したためと考えられます。このような例は古文にはたくさんあります。例えば「てう」「てふ」「ちゃう」は /ちょー/ と発音されます。「…と云ふ」→「てふ」の場合、初めは/tehu/(あるいはそれに近い音)と発音されていたのではないかと思います。金田一春彦が「『ちょちちょちあわわ』は『手打ち(てうち)手打ちあわわ』だ」と言っていました。これも/e(h)u/という音(の連なり)が/yo:/になったという証だと言えます。つまり、「ある文字の組み合わせが、文字通 りの発音にならず別の音で発音される」のではありません。「ある音の組み合わせが、時代を経るに連れ別 の音になっていった」ということで、文法は関係ないということです。

 このような音の変化は、日本語以外の言語でも見られます。フランス語ではoiというつづりは/wa/と発音しますが、「王roi」であれば、綴りがrei→roiと変化し、発音も/rei/→/roi/→/rwa/と考えられているようです(文献できちんと確かめたわけではありません。いずれ確認します)。英語でもnn世紀頃大規模な音韻の変化が起こり、長母音が2重母音になりました。/a:/→/ei/、/i:/→/ai/、/o:/→/ou/などの変化がほぼ同時に起こったと考えられています。子音についても、例えば/r/で言えば、舌の先が震える音から、巻舌になったり、ノドの摩擦音になったり、口蓋垂(ノドチンコ)の震える音になったりと様々に変化しています。スペイン語のllの音も南米では/j/(/ジャ/の子音)、本国では/λ/(/リャ/の子音に近い音)と、長い間に分かれてしまいました。

 文字は「言葉」を表すものであり、音を表すものではありません。これはアルファベットやいわゆる表音文字でも同じことです。

 こう考えて行くと、なおさら迷いませんか?