NOと言わない納税者・税金をもっと知って欲しい 

  誰もが税金は高いと言う。しかし、誰も税金を理解しようとしない。
  何が公平な課税なのか、税金の使い方はそれでいいのか、積極的な意見がない。
  日本というこの国に住むかぎり、税金を避けて生きることはできない。一生涯
  ならば、税金をもっと知ろうではないか。税金の使い途に興味を持とうではないか。
  YESはYES NOはNO! ノーと言える納税者であって欲しい。

あなたは、税金に興味を持った 番目のお方です    2015/04/06  更新


税金とは
 税金のルーツ  国家論  小さな政府  国家100年の計  富の再配分
納税者
 納税者  日本人の納税意識  日本人の節税意識
外形課税
 外形標準課税  庶民課税  レジ袋税  新税以前になすべき事  固定資産税
納税者を大切に
 高額納税者に勲章を  納税者に感謝状を  選挙権と納税額  長者番付
怒れサラリーマン
 サラリーマンの経費  所得捕捉率  納税者番号制度  発泡酒増税
税金の使われ方
 税金の使途を監視しよう  議員の秘書給与   身近な税金の監視   入札の弊害  丸坊主の並木道
知って欲しい税金
 国際比較  湾岸戦争と税金  構造改革と税金  消費税の納税義務者  我が国の首相  鳩山家の子供手当  
 税源移譲  ふるさと納税  ガソリン税
その他
 TAXどす  開設者と質問





<税金のルーツ> (税金ってなんだ)

・税金ってなんなのだろう。税金には「高いもの」「取られるもの」などというイメージが強いが、 一体全体税金てなんなのだろうか?
税金の根本を知るには、税金のルーツを知るのがいい。

その昔のその昔・・・・・・人類が一カ所に住居を構えるようになった頃の昔・・・・
部落総出で木を切り倒したり獲物を追ったりする時、全員が出る必要がなかったり、体調などの都合で 出られない者がいた場合、それに加わらなかった者はどうしたであろう?
おそらく、おにぎりを作って(その時代おにぎりがあったかどうかは別にして)差し入れをしたのでは ないだろうか。
直接に労働は提供しないが、別の形で「部落総出」に参加する手段、それが税金のルーツである。
そう、税金は「取られるもの」でなく、自主的に提供したのがルーツなのである。

だが、部落に権力者が出るようになると、税金は自主的に提供するものではなく、一方的に取り立てられる ものへと変わっていった。
自分の意に反して取り立てられるとなると、それを逃れようとする心が働くものである。それが 脱税のルーツだ。

TOPに戻る




<国家論> (国は何をすべきか)

・国は何をすべきか、そのために国民は何を負担すべきか・・・・という国家論。
外敵の進入を防いで国民の安全を守るだけが国家の責任なのか、というのが、夜警国家論。
国は余計なことをしなくていい、夜警だけをしてくれればいい、そうすれば税金は安くなるはずだ。 というのが、税金夜警国家論
もちろん教育や福祉を無視することはできないが、税金の無駄使いを無くし、スリムな国家財政にして 国民の税負担を軽減するには、税金夜警国家論は重要である。

TOPに戻る




<小さな政府> 

・税金夜警国家論を進めていくと、小さな政府に行き着く。
小さな政府とは、余計な事をせず、真に国民のためになることだけを行う政府のこと。
政府が余計なことをしなければ国民の負担が減る。国民の負担とは税金のこと。そう、税金が安くなるのだ。

小さな政府への第一歩は、「箱もの行政」を止めることだ。箱もの、すなわち、体育館、文化センター、 美術館など、高額の取得費(用地買収費、建設費)や維持費を用する施設(箱)を作らないことだ。
これら箱ものは国民にとってなくてはならないものではない。 これらがないと、国民が通常の生活をすることができないというものではない。
政治家は選挙民に自分の力を示すために箱ものを作っているだけである。目的は票集めでしかない。
当然、その箱もの費用は税金から支払われる。すなわち総ては国民の負担である。

箱ものを作る前に、教育、下水道の整備、道路の整備、治山治水・・・なすべきことはたくさんある。
これからの高齢者社会をどうするのか、これからの年金をどうするのか、国家は考えなければならない。
「箱もの行政をすべて止めろ」とは言わないが、「その前に、もっと基本的な国家作りがある」と大声で言いたい。

TOPに戻る




<国家100年の計> 

・「国家100年の計」とは、国家は目先のことで動くのではなく、 100年という長い期間を見すえて政治/行政をしていかなければならない、ということ。
だが、日本の政治はどうであろう。
羽田飛行場が狭くなったからと、成田空港を作る・・・・・
だが、利用客の増加を見込まない設計(政治)は、滑走路の不足、ターミナルの増設、ターミナル設備の変更、 鉄道の乗り入れ・・・・と、次から次へと、目先の問題解決に走り回る結果を残した。

空港ばかりではない。住専の破綻処理をしながら、銀行の破綻に先手を打たなかったツケが、国民に回ってきたのは記憶に新しいところだ。
どう政治をするのか、どう税金を使うのか、目先のことでなく、100年先を見ていかなければならないのだ。

空港の利用客増加を見込むのは難しい、という意見もあろう。
そのとおりだろう。では、高齢者の増加はどうであろう。
高齢者が急に増加したはずはないのに、にわか仕立てで「介護保険」なるものを登場させた。
小学生でも知っている人口のピラミッドを、政治家は「知らない」と言うのだろうか?
国家は100年の計をもって動かなければならない。100年の計で税金を使わなければならない。

本州と四国の間に架けた3本の橋が問題となることがある。採算が悪いという指摘だ。
おそらく、この本四架橋は、政治家が利権に絡んで作らせたモノであろうが、 これを、国家100年の計で、100年後を考えて架けた橋ととらえれば、すばらしいということができる。
採算が悪いという目先の理論を優先させてはならない。

住基ネットも同様である。目先の、「プライバシー」という理由で先細りさせてはならない。
   参照・
「住基ネットとプライバシー」

TOPに戻る




<富の再配分> 

・税金には富の再配分の効果がある。
富の再配分とは、富める者から貧しい者へ、所得が分配されるということ・・・・つまり、 富める者から税金という形で所得を吸い上げ、 公共事業という形で貧しい者へ所得を配分することをいう。

どうでもいい公共事業があちこちで行われる裏には、このようなワケがある。 公共事業は名ばかりで、その目的は富の再配分なのだ。
どうりで、同じところを掘り返す工事が多いはずだ。

だが、再配分されたはずの富がワイロという形で国会議員に環流しているのが現実である。
富の再配分をいいことにして・・・・富を国会議員に再配分している。
税金を食い物にしてはいけない。

TOPに戻る




<納税者> 

我が国では、税金を支払う人のことを、「納税者」というが、この「納税者」とはどんな意味なのだろうか?  考えて欲しい。
文字通りに解釈すれば、納税者は税金を納める者のことだが、 「納める」とはどういうことなのだろう。

昔から上納金と言うように、「納める」という言葉の裏には、その支払いに対する給付の期待がない。 お上の指示に従って支払うだけの行為を「納める」という。
つまり、「納税者」はその対価を期待しない、「上納者」のことである。

実際に日本では、支払った税金に関して、その使い道に注目する人は少なく、 更にその対価を期待する人は少ない。

だが英語では、納税者を Taxpayer 税金の支払者という。
納める者ではなく、支払う者ということだ。
支払者はその対価を期待する。対価を受けるために支払う。 税金の対価を期待するのがTaxpayerだ。
これは言葉の遊びではない。
ほとんどの先進国では、自分の支払った税金について、その支払いの対価を期待するのは当然のことであり、 単なる納税者とはなっていない。
納税者でなく、支払者なのだ。
国が税金で何をするのか、国民(税金支払者)のために何をするのか、 税金の支払者がそれに注目しているのが先進国だ。

アメリカのTVニュースを見ていると「未婚の母のための施設を造った。 そのために税金が○○ドル使われた」といったような報道がなされる。
納税者(国民)を意識した報道なのである。
日本は税金後進国。自分が支払った税金の使い道に注目する国民は少ないし、 納税者を意識した報道がなされない。 納税者と呼ばれているとおりだ。

「国民」イコール「納税者」、納税者すなわち税金の支払者なのだが、 政治家にも国民にもその意識が薄い。
幸いにも、前外務大臣が、「国民」という言葉とイコールで「納税者」という言葉を使っていた。
彼女には、「国民は納税者、税金の支払者」という考えがあるようだ。
聞けば、彼女は高校からアメリカに留学していたそうで・・・・・・納得だ。

TOPに戻る




<日本人の納税意識>

・元国税局長を脱税で逮捕、政治家の元秘書を脱税で逮捕、などなど・・・・ このところ脱税のニュースで溢れている。
国税局長まで務めた人物が何を考えているのか、政治家の秘書が何を考えているのか、 話にもならない状態だ。

・どうしてこんなにも納税意識が低いのだろうか?
 税金をなんだと思っているのだろうか?
 あまりにも納税意識が低すぎる。
・納税意識の欠落は学校教育に問題があると考える。 税金とは何なのか、税の役割はどうなっているのか、納税とはどういう事なのか、 学校できちんと教えていないから、安易な脱税が蔓延してしまうのだ。

歩行者は赤信号を無視して安易に横断する。そこに罪の意識はない
同じように自転車も赤信号を無視する。
そして、バイクも赤信号を無視するようになってきた。
最初に、歩行者として守るべきルールを教えていない結果だ。

脱税も同じだ。 安易な脱税が・・・・巨額の脱税へと進んでいく。罪の意識のないままに。  

TOPに戻る




<日本人の節税意識>

・日本人は、節税と脱税の区別がつかない。
バレたら脱税、バレなかったら節税・・・と思っている。

そんなばかなことはない。人を殺したら殺人だ。バレようがバレまいが、殺人である。
なのに、脱税を、バレなければ、「うまくやった」の節税だと勘違いしている。

・この感覚は、路上駐車、バイクなどの信号無視、スピ−ド違反、などに現れている。
バレなければOKなのだ。

・そして、この感覚が、アルバイトやフリーターを増やす結果になっている。
企業は、社会保険料の負担を逃れるために、正社員を減らして、社会保菌に加入しないで済むアルバイトを増やしているのだ。

最近表に出てきた、偽装外注もそれだ。
自社で人材募集しておきながら、子会社に就職させて、派遣扱いで社会保険料を逃れている。

・企業は、明日の日本をになう若者を粗末に扱ってはならない。
 

TOPに戻る




<外形標準課税> (石原都知事の新税)

石原東京都知事が大手銀行に外形標準課税をして事業税の増収をもくろんでいる。(2000.4.1に実施された。 加筆)
当初は難色を示していた自民党までも賛成を表明し、都民の絶対的な支持を受けて石原新税 (銀行税)はスタートした。
だが、この石原新税にはいくつかの間違いがある。
「NOと言えない自民党」を筆頭に、各党が石原新税に賛成を表明したが、「是は是、 否は否」とはっきりと言える議員がいないのが悲しい。

・外形標準課税とは、建物の面積とか車両の台数とか、外部から見て一目で分かるものを課税標準 にする課税方式をいう。
だが、石原新税は銀行の業務粗利益を課税標準にしている。
業務粗利益は外から見て一目で分かるものではない。企業の決算書は概数でしか公表されない。公表さ れた決算書では判断できない数字、それが業務粗利益である。

業務粗利益は「外形」ではない。石原新税は外形標準課税ではなく、所得課税なのである。
所得課税であるものを外形標準課税だと言うのは誤りである。いや、外形標準課税なら都が独自の 課税をできると知って、これを外形標準課税だと偽っているのだ。
石原新税はここに重大な偽りと間違いがある。

・そもそも、税金は所得に課税すべきものである。
所得があるからこそ納税できるのであって、所得のない者に納税しろというのは無理な要求である。
例えば固定資産税(典型的な外形標準課税)。土地や建物を所有しているだけで課税される税金だが、自 宅用地として使用している場合には、その土地から収益は生じない。収益が生じなければ納税資金も生じ ない。
納税資金が生じないところに課税されれば生活は細る一方となる。

年金生活者が最後の砦としている自宅にも課税される。少ない年金の中から固定資産税を支払ってい る高齢者も多いのが現状だ。年金生活者は家を持つなと言っているようなものである。
外形標準課税は弱者に厳しい不公平な税金なのである。
だから、実質所得課税の石原新税がいい、と言っているのではない。曖昧な「外形標準」を作り出して新 たな外形標準課税を導入しようとすることが怖いのだ。

消費税がいい例だ。購買力があれば担税力(税金を負担する力)もあるとして導入されたのだが、 所得に関係なく外形(売上)に課税した結果、「平成の大不況」を引き起こしてしまった。
外形標準課税は多用してはならないものなのである。

なぜ銀行にだけ新税を課税するのか、その理由が明らかでない。
なぜ一部の大手銀行にだけ新税を課税するのか、その理由が明らかでない。
仮に明らかにされたとしても、それは理屈をこねたものとなろう。
税は公平でなければならない。銀行だけが特別の扱いを受ける理由はない。
ましてや、「国の公的資金を受けていて利益を上げている」との理由で課税するのは魔女狩り的 発想である。


・と書いて、2年余・・・・・2002年3月26日、石原新税に東京地裁の判決が出た。

課税処分につき、極めて重大な誤りがあり、違法・無効」という判決だ。
当然の判決である。知事も都議会議員も大いに反省しなければならない。


・・・・・2003年1月30日、東京高裁で控訴審判決があった。

判決は、都側の「控訴棄却」
結果は控訴棄却だが、一審と判断材料が異なる点が気になる。
それは、高裁が銀行に対する外形標準課税を認めている点だ。
判決は「税制の変更によって著しく均衡を失する」点を指摘しての、「控訴棄却」である。
この争点が移動した判決理由では、都知事に変な元気を与えてしまう。


・・・・・2003年9月17日、最高裁での和解合意があった。

その内容は
  外形標準課税としての銀行税を認める(5年分)
  3%の税率を、0.9%にする
  税率の差額差額2,221億円を還付する。(還付加算金約123億円を加えると2344億円)
というもの。
単純計算では、都が1130億円の税収確保となった。

なぜ、銀行は和解に応じたのだろうか? 不思議でならない
損害賠償請求額でどうこうなる裁判ではない。 銀行税という外形標準課税の新税を可とするか否かの裁判であったはずだ。
税率をおまけするから和解しましょう、という提案に乗ったのは銀行だ。 何のための裁判だったのか、すべてを無にした。

これは銀行側の負けである。 納税者の負けである。
銀行は新税に対してNOと言って立ち上がったのに、残念である。

石原都知事は、補正予算を組んで銀行税を還付しなければならない、と悲愴な顔を見せたが・・・・
内心はにっこりである。これで、外形標準課税が認められ、次の新税案を出しやすくなったからだ。


TOPに戻る




<外形標準課税は庶民課税につながる>

・銀行になされた外形標準課税を対岸の火事と思ってはならない。銀行の次は庶民課税になる恐れがある。
外形標準課税は課税者側にとって非常に都合のいい税金である。なぜなら、赤字でも課税できるからだ。
だが、赤字の企業には担税力はない。
同じような課税が庶民になされたら、破産である。
庶民は「石原新税は銀行を叩いた」と賛美を送っているが、明日は我が身となることを忘れては ならない。
担税力の乏しい庶民に外形標準課税を連発されたら生きていくことはできない。
エアコン、シャンデリア、屋根付きガレージ・・・・いやいや、電話や水道の使用量等々庶民への外形標 準課税はいくつでもある。

・外形標準課税について、賛成者は「企業は赤字でも、道路や警察など地方行政サービスの恩恵を受けて おり、その経費を分担する意味合いがある」という。
だが、これについては固定資産税という形ですでに負担をしているはずであるし、それ以上の負担を強い る理由はない。
外形標準課税は税体系を乱すものである。

東京都の他、地方自治体で実施または予定されている新しい外形標準課税には、
   核燃料等取得税・・・・茨城県
   環境保全目的税・・・・北海道
   産業廃棄物埋立税・・・三重県
など、大企業を標的にしたものあるが、
東京都の港区は、「たばこ自動販売機設置税」なるものを予定している。
「自動販売機」の次は、庶民の「自転車」なのかもしれない。怖いことである。

・・・・と書いたのが半年ほど前。
なんと、東京の荒川区が「自転車税」の導入を示した。(2000.11.30)
愚かなことである。信じられない愚かさだ。
何でもありなのか。取れれば何でもいいのだろうか。

税金は第一に公平でなければならない。公平ということは、広く公平に課税がなされることである。
荒川区という一地域で自転車に課税をすれば、隣接の区と不公平が生じる。
移動可能な動産を課税客体(課税の対象)をどう把握するのか。把握が完全にできなければ、不公平が生じる。 ましてや、自転車は移動するためのもので、これを把握するのは不可能に近い。
どうやら、自転車を販売する時点で課税することを考えているようだが、自転車の販売店を完全に把握するのも難しい。
酒類の販売店のように自転車の販売が免許制になっていたり、自転車もバイクのように登録が必要であるなら、 自転車の販売を掴むことができようが、現状では不可能だ。
しかも、隣接の区から購入すれば無税である。

自転車税は穴だらけ。欠陥だらけ。「庶民課税」以前の問題である。
だれがこんな税金を考え出したのだろう? 無能な役人たちだ。

新しい税金を思いついたら、是非、発表前に
相談下さい
。>都道府県知事 市区町村長さん。(スパム防止のため、@ を あっと にしてあります。訂正下さい)

TOPに戻る




<レジ袋税>

・東京杉並区の「レジ袋税」(正式には「すぎなみ環境目的税」)が可決成立した。(2002.3.18)
だが、実施日については当面の間見送ることとなった。その理由は、 レジ袋の使用量が削減されるなら「レジ袋税」の目的は達成されたことになるので「レジ袋税」 を施行する必要がないからだという。

本当にこれが理由なのだろうか。本当だとすれば、税をちらつかせて「レジ袋を減らせ」 と区民を脅すための税金ということになる。
だが、税にそのような目的はない。税金は庶民をムチ打つ道具ではない
「レジ袋税」を公平に施行できる自信がないのでこのような理屈を付けているにすぎない。

・第一、「レジ袋」の定義がむずかしい。
一般には手提げ袋の形をしたものをレジ袋というのだが・・・・・
     手提げ型でなく、単なる袋だったらどうなのか
     クリーニング屋の包装袋はどうなのか
     露店やフリーマーケットなどでレジ袋を使用したらどうなのか 
     レジで使用せず、配達の際に使用したらどうなのか
などなど、問題山積である。
「レジ袋」の定義ができないまま施行することはできないのだ。

「レジ袋税をやるぞーー」と言ってしまったので、振り上げた拳の納めどころとして、 法案を成立させ実際の施行を凍結した、と見るのが正解だ。

・そもそも、なぜレジ袋なのかが分からない。
杉並区の環境破壊はレジ袋だけが原因ではないはずだ。
     クリーニング屋の簡易ハンガーとレジ袋、どちらが環境を破壊しているのか、
     コンビニ弁当の容器とレジ袋、どちらが環境を破壊しているのか、
     ポイ捨てされる吸い殻とレジ袋、どちらが環境を破壊しているのか、
     新聞の折込広告や住宅への投げ込みチラシとレジ袋、どちらが環境を破壊しているのか、
まったく議論がなされていない。
レジ袋だけが課税の対象になる理由がないのだ。

安易な新税は日本をダメにする。

TOPに戻る




<新税創設以前になすべき事>

・世田谷区の「レジ袋税」、豊島区の「放置自転車税」、横浜の「場外馬券売場税」、 北海道の「パチンコ税」などなど、 日本全国で新しい税金を課税しようとする動きがある。
だが、なぜ、新税なのかが、分からない。
「レジ袋税」で環境破壊を防止するという、「放置自転車税」で自転車公害を防ぐという。つまり、 これらの新しい税金で環境保護や駅前の整備をするというのだが、 新税がないとこれらの整備ができないというのだろうか?
予算を見直して税金の使い方を工夫すれば「レジ袋税」や「放置自転車税」程度の資金は捻出できる。 税の無駄使いを無くせば、そのくらいの資金は捻出できる。

構造改革も何もしないで、新しい税金を作って税収を上げようとするのは悪代官的発想だ。
取れれば何でもいい、税収になれば何でもいい、という発想が先行している。
・新税を創設する前に、地方議員は、「自分たちは地元のために何をしてきたのか」振り返る必要がある。
安易な新税の創設は日本をダメにする。


豊島区の「放置自転車税」は、1年先送りの後、2006年4月に(実施されず)廃止されることになった。
 乗車人員千人につき、740円、年間2億1千万円の税収を見込んだのだが、放置自転車を鉄道事業者の責任とする課税者の論理は受け入れられなかった。


TOPに戻る




<固定資産税> (固定資産税は不公平)

・固定資産税は土地の価額に課税される地方税。土地に課税する固定資産税のルーツは古く、現代の課 税権者にも「オレの領地に住むなら税金を払え」との考えがある。
言ってみれば、固定資産税はお上に支払う地代である。自分の土地でありながら、お上に地代を払 わないと使えないのだ。

固定資産税は公平な税金だと言われている。
所有する土地の面積や価額に応じて税金を課税するのだから、誰の目から見ても納得できるし、土地を隠 すことができないので脱税ができない、というのがその理由だ。

だが、固定資産税は公平な税金ではない。
固定資産税は典型的な外形標準課税方式の税金であり、外形標準課税の典型的な欠点が出 ている税金だ。

例えば、同じ100平方メートルの土地を居住用として使用している場合。
A氏の土地はローカル駅から30分の所にあり、B氏の土地は都心の駅近くにあるとしよう。
同じ100平方メートルなのだが、ローカルと都心とでは評価額が違うので、両氏の支払う納税額は極端 に異なる
どこに住んでも、住むという行為は同じであるのに、同じ面積の住宅地でありながら、場所が違うだけで (評価が違うだけで)納税額に差が生じるのは不公平である。

「いや、都心の方が便利だから固定資産税は高くていい」という意見もあろう。
だが、住むという行為はどこに住んでも同じであるし、「日が当たらない」「騒音」「大気汚染」 「治安が悪い」という「便利」と逆の要素もある。

「いや、高く売れるのだから固定資産税は高くて当然」という意見もあろう。
しかし、居住用地を売ることはできない。基本的に売却を予定していないのが居住用地であるし、 仮に売却するとしても、その売却利益には別の税金が課税されている。

例えば、同じ面積の土地を農地として使用している場合。
その土地がどこにあっても、農作物が収穫できる量は同じである。都心に近い土地だと地方より太い大根や 大きなスイカが収穫できるということはない。    (都心近くの農地のニンジンは、税負担のためにより赤くなる ・・・・とか??)
農地の所在地によって固定資産税の額に差があるのは、不公平なのだ。

「いや、農地を例にするのは適当でない」との意見もあろう。
だが、農地であっても、事業用地であっても同じである。
例えば、都心と地方の同じ面積のタバコ屋としよう。同じ数のタバコを売ったとすると、どちらの店の 粗利益も同じであるが、都心のタバコ屋には高額の固定資産税が課税されるから、純利益は大きく異 なってくる。
タバコの定価は決まっているし、タバコを売る手間はどこで売っても同じである。なのに、売る場所によって 手許に残る利益に違いが生じるのだ。こんな不公平なことはない。

「いや、都心のタバコ屋の方が売上が多いはずだ」との意見もあろう。
その通りだ。だが、売上が多くて所得が多いことについては、所得税など別の税金が課税されていて、 その分の税負担はしている。
売上が多いから固定資産税が高くていいという理由はない

TOPに戻る




<高額納税者に勲章を>

・叙勲者の名簿を見ると、その多くは元公務員。警察、消防、教育、司法、財務・・・・などなど その分野に功労があった、というのが叙勲の理由だ。
公務員が与えられた職務に従事するのはあたりまえのことなのだが、勲章がもらえる。
民間勤めでは、公務員と同じように職務を全うしても叙勲の対象にならない。 公務員だけが日本のために働いていると思われているのだろうか。不可解である。

その公務員の給料を負担しているのは日本国民、すなわち、納税者だ。
仮に公務員の年収を1千万円として、30年勤めたとすると、生涯の給与は3億円。
かなり高めの給与設定だが、この3億円分の仕事が叙勲の対象になるわけだ。
だが、これを納税している人が忘れられている。そう、累計額で3億円以上の納税をした人は、 叙勲される元公務員と同じように扱われてしかるべきなのだ。

平成12年分の申告データによると、年間3億円以上の所得税を納税した人は全国で104人。
一口に3億円というが、税金で3億円というのは半端な額ではない。生涯に3億円ではない。 年間に3億円だ。
このような高額納税者を叙勲の対象から外してしまっていいのだろうか。
元公務員に勲章を与える前に、高額納税者に感謝の意を表し、叙勲する必要がある。

ちなみに、年間1千万円以上を納税した人は7万9千9百人もいる。
これら7万9千人9百の納税者は、各人が公務員一人分の給料を負担していることを意味する。
高額納税者を隅に置いてはいけない。

TOPに戻る




<納税者に感謝状を>

・どうしても高額納税者に勲章を出したくないというのなら、感謝状を出したらどうだろう。
年間の納税額1千万円の人を
公示するのだから、その時に、 感謝状を贈るのだ。
「納税は国民の義務」ではあるが、だからといって高額納税者を無視していいことにはならない。 高額納税者がいてこそ、日本の経済は成り立っているのだ。政府はこの点を分かっていない。

   年間1千万円以上の納税者は、税務署長の 感謝状
   年間3千万円以上の納税者は、国税局長の 感謝状
   年間5千万円以上の納税者は、国税庁長官の感謝状
   年間 1億円以上の納税者は、財務大臣の 感謝状
   年間 5億円以上の納税者は、総理大臣の 感謝状
こんな基準にするのだ。

・要は、国が納税者に対してどのように謝意を示すのか、ということ。「納税は国民の義務」 と決め付けて何もしないのでは、納税意欲は減退するばかりである。
そして、この感謝状が国民の納税意欲を高めることになる。

TOPに戻る




<選挙権は納税額に比例して与えよ> 

・その昔、高額納税者のみに選挙権が与えられていた時代(や国)があった。
   (日本では、昭和3年2月の総選挙から、納税額による選挙権の制限が廃止された)
それは、税金を払っていない者は国会に口出しをするなという理論からだ。
しかし、現在は、国民は皆平等であるから、納税額と選挙権を抱き合わせで考える人はいなくなった。

だが、それでいいのだろうか?
例えば株式会社の場合、決議権は持ち株数に比例している。
100株の株主は、1株の株主の100倍の決議権を有するのだ。
当然と言えば当然のことが株式会社では行われている。持ち株数に比例した決議権が平等なのだ。

納税者は自分が支払った税金の使い途について、納税額に応じた発言権を有しているはずである。
1票の格差が問題であるように、納税額の格差も重要な問題である。

これは過激な発言ととらえられがちだが、納税者を大切かつ公平に扱うという観点からすると、 真剣に議論しなければならない問題である。

TOPに戻る




<長者番付はプライバシーの侵害>

・毎年5月に「長者番付」が公表される。国税庁が発表する「高額納税者名簿」のことで、全国のランキング、 業界別のランキングが発表される。
正しくは、「申告書の公示」というのだが、その目的は「たれ込み」だと言う。

   「領主さま、隣の五右衛門はタヌキ山の向こうに隠し畑を作っています」
   「平助、よくぞ知らせてくれた、褒美を取らす!」

平助の通報で五右衛門の隠し畑は領主に知られてしまうのだが・・・・
税務署が申告書を公示する目的はここにあるといわれている。
申告書を公示すれば納税者同士が監視し合い、納税者は正しい申告をするようになるという理屈だ。

この密告期待制度はアメリカを真似たものだ。
アメリカは広大な国だから、おとり捜査と犯罪等の通報のシステムがないと秩序が維持できないところがあるが、 「密告」を潔しとしない日本人にはなじまない制度である。
実際問題、公表によって納税額を知ったとしても、 その人の申告が正しいものかどうかは第三者には分かろうはずがない

・納税額を公表されるということは所得金額を公表されることと同じで、 その人の生活内容や財布の中身が公表されるようなもの。 これは、プライバシーの侵害以外の何ものでもない。個人情報の保護違反の何者でもない。
しかし、なぜか、マスコミはこの点を取り上げない。
いや、取り上げないばかりか、芸能人やプロスポーツ選手などをジャンル分けし、前年の順位を添え、 有名人の成績発表のごとく納税額を掲載する。
申告書公示の本来の目的はどこへやら。単に販売のための「記事ネタ」、 視聴率稼ぎのための「芸能ニュース」として扱うだけだ。

この「番付発表」的な考えは国税庁にある。もともと、高額納税者を作家、俳優タレント、 歌手などに分けて発表しているのは国税庁なのだ。
税法には申告書の公示の方法について「税務署内の公衆の見やすい場所に掲示する」とだけ規定されており、 国税庁が日本全国の高額納税者のランキングを公表する必要はないのだ。
ましてや、高額納税者をジャンル分けしたり、本名に芸名を併記して発表する必要はまったくない。

個人の所得は保護されるべき基本的プライバシーであり、重要な個人情報である。
国税庁の発表はプライバシーを無視した安易なものである。
仮にこれがプライバシーの侵害でないというのなら、 日本中の、全国民の納税額を公表した場合を考えたら分かるだろう。
高額納税者だけが公示される理由はない

タレントが、高額納税ランキング上位になったことについて「与えられたチャンスを生かした結果です」 などと言っているのを聞くと、「人気投票と勘違いするな」と怒鳴りたくなる。





・申告書の公示はプライバシーの侵害であることを訴えてきて20年(新税金雑学辞典・昭和61年9月刊)、ようやく個人情報保護の動きが出てきた。
国税庁は早急に公示制度の見直しを行い、マスコミは反省をすべき時である。




・苦節20年、やっと、長者番付が廃止されることになった。
 これについて、一方ではプライバシーの保護と言いながら長者番付を発表し続けてきたマスコミは、沈黙をしている。
 あまりにも、自己的である。  潔く反省すればこそ、マスコミのマスコミ的価値が上がるのだが・・・・・




TOPに戻る