魚の釣り方を教えるということ
仕事、趣味でも構わないけれども、人にモノを教える機会は歳を取るごとに増えていく。
モノを教える機会のが一番多いのはトラブル時だ、次に多いのはやりたいことが分からない時だ。
いきなり答えを教えれば解決は早いし、頭の回転の速い相手ならば似たようなことにも応用して対応できるであろう。
答だけを教えていないので相手はどうやって問題を解決したかを理解できない、だからまた聞きに来る。
また聞きに来ても答だけしか教えないのであれば、いつまで経っても相手は聞きに来るしかない。
少しだけ時間をかけて答えの探し方を教えてあげると、問題に対する解決は遅いが、次からその人は自分で解決できるようになる。
解決することの楽しさも得られるだろうし、また他人へ教える機会にも恵まれることだろう。
一度教えたくらいでは理解できない場合もあるだろうけど、何度か教えてもらえば次からは自分で考えるはずだ。
一人でキャンプをしている自分を考えてみる。
ふらりとの見知らぬ人が来てお腹が空いているという、今この瞬間にお腹が空いているわけだから、まずは何かを食べさせてあげることが先決だろう。
腹が満ちて一泊することになり、次の日のお腹が空く前に我々はやらなければならないことがある。
見知らぬ人の分の釣り竿を用意することである。
朝起きたら一緒に河に向かい、魚の釣り方を教える。
昨日同様に今日も釣った魚を分け与えていたのでは、いつまで経っても自分で魚を釣ることが出来ない、いつまで経っても魚を恵んでもらうよう頼ってくる。
初めから魚がうまく釣れるはずもないし、何度か失敗もするだろうけど、魚を釣ると言うことはそう言うことである。
教える方にも忍耐が必要であり、その忍耐がまた教える方を育てることにもなる。
魚を分け与えるのではなく、釣り方を教える、忘れないようにしたい。
2003年12月 記
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