CPU | i386SX-20MHz (後にCyrix
486SL-25に換装。) (今思うと、なんであんな小さなCPUパッケージを一般用半田ごてで交換できたか不思議。当時は米国出張中なので、精密半田ごてや精密工具はなかったのでした。) |
Memory | 2MB + 2MB増設 |
HDD | 60MB (17ms) (これでも当時の同価格帯の平均的スペックよりはずっと上でした) |
FDD | 内蔵 |
LCD | VGA 16階調 |
PCMCIA | 2 |
I/Oポート | COM1, LPT1 |
重量 | 2.8Kg (これを毎日アタッシェケースで運んでましたね。) |
サイズ | Letterサイズ (日本ではなじみがないが、A4を一回り縦に短く横に広くした感じ。米国では標準) |
購入価格(含予備電池、ケース、FAXモデム、S&H) | $3029.00 (1991.7.26) 当時のレート \110/ドルで約33万円 |
当時は、日本製のノートPCの最上位機種でもHDDが40MB程度でとても高価だったのを記憶しています。
代表的なノートPCとしてはPS55ノート(i386SX-12MHz,、2MBメモリ、40MB(19ms)HDD,、FD外付、実勢価格はEPSノートより少し高めな程度)がありました。やっとDOS/Vがはやり出したころでしょうか?
60MBのHDDをパーティションで分けて、50MB分をStackerというディスク圧縮ソフトで見かけ上100MBにし、DOS/V
4.x, MS Windows 3.0ベータ版、MS Word
1.2Jや開発環境をインストールして使っていました。
今から見れば、スペックは貧弱ですが結構使えていました。
当時から考えると信じれない程、高速・大容量メモリ・大容量HDD搭載となっている現在の環境が、当時の環境から比べてあまり良くなっているようには思えません。確かに、ハデハデの画面でも問題なく処理できますが、それだけのことです。
まあ、開発を生業としているので、仕事のことを考えるとあまり高速なものはいらないとは言えない(今、開発中のシステムは、フルコンパイルするのにPentium-266MHzで約1時間かかります)のですが、ワープロやインターネットしかしないような一般の人がPentiumII-400MHzだとか使っていると、なんに使うの???と思ってしまいます。
残り10MBにはMINIX(PC UNIX)を入れて遊んでいました。ディスクが少ないのでXWindowやカーネル再構築などはできませんでしたが、コマンドラインだけを使用する分には十分でした。
気に入らない点としては、カーソルキーが逆T型や十字型ではなくてL型だったことと、レジューム機能がなかったことくらいでしょうか。
重量は今振り返ると2.8Kgもあるのですが、毎日アタッシェケースに入れて持ち歩いていました。いやぁ、若かった。 今や1.5Kgでも重いとか言ってるし。