独り言の部屋
▼ 7/11 1999 -- NTなんて......(ノヘ)
OS/2にはあった非同期タイマーのAPIが、NTというかWin32にはないのね。。。
仕方が無いので、別スレッドでSleepEx()をかませるというとんでもなく原始的な方法をやってしまった。
納得いかな〜い!!
▼ 7/10 1999 -- OS/2なんて......(ノヘ)
なぁんて使いにくいんだ!! 必要な情報は得にくいし、デスクトップは腐ってるし。
もっとも、この辺りはMicrosoftのが秀逸だなんて、口が裂けても言えませんけどね。(笑)
それにしても、DosCreateEventSem()が不安定ってのは許し難いぞ。
更には、COMポートを追加したのだが、コイツがDosOpen()で認識されないのだ。
PCMCIAでの増設というのもなんだが、このくらいはサクッと使えなくて優れたOSとは言い難いな。
▼ 7/9 1999 -- 風邪ひいた・・・
▼ 7/8 1999 -- 反省
▼ 2/5 1998 -- 医療関係の改善
医療現場の改善が密かに進んでいます。最も進んでいるのは千葉県鴨川市の病院で、
カルテのデータベース化が進んでいます。患者の診察時、医師が画面からデータを入れます。
そこには症状だけではなく、投薬や検査の情報も同時に入れてしまいます。
なにしろ、検査の内容や投薬の内容を決めるのは医師ですからね。
決める=データ入力というのが最も効率的です。
というのは、医療現場で業務効率化で一番問題となるのが、医師が決めた内容を、
後から別の人が記入したりする運用形態にあるからです。
患者は具合が悪くて来ているのに、あちこちを自分で回って手配せねばならず、
しかも長い時間待たされます。
それが嫌で、病院に足を運ばず、重大な結果となる人も多いことでしょう。
こういう現場のデータベース化はデータのセキュリティーに留意すれば十分に威力を発揮します。
▼ 9/15 1997 -- さよならRaid Kamuro
12年間の歴史を持つ、オフロードバイクのレースの一つ、Raid Kamuroが今年で最後となった。
過疎に悩む山形県の金山町で、町興しを含めたレースとして全国規模で絶大な人気を持つ
レースだった。
私も1990、1991、1992と3年間参加したが、他のレースが耐久モトクロスと化しているのに対し、
移動区間と競技区間とを明確に分けたレイド形式を採った、国内では最初のレースだったように思う。
黙々と周回を重ねるだけではなく、移動区間途中に設けられた民家の人たちが用意してくれた
冷たいスイカや、漬物や、お茶などが、ライダーを元気付けてくれる。
実行委員長によると、最初は危険だから、家から出ないでくれとのことだったようだが、
始まってみると、民家の人たちが自主的にもてなしてくれたものだった。
そのような地域住民との密着のあるレースがなぜ終わりを告げたのか。
数年来、問題になってきた肥大化によるライダーのマナーの低下が最も大きな問題であろう。
集まる途中、民家の軒先で勝手に酒盛りを始めたり、
家の外にある洗濯機を勝手に使ってしまったり・・・。
金山に定着する若者が増えた代わりに、こういった弊害も無視できなくなってきた。
そのため実行委員長は、毎年参加者全員に問い掛けてきたのだが、
今回を最後とすることになった。
結局はライダー自身が自らの首を絞める結果となってしまった。
中高年の登山ブームや、若者のアウトドアブームも同様である。
みんな、もっと自律しないと楽しかった遊びが何にもできなくなっちゃうぜ!!
ともあれ、常に相反する難問を解決し続けてきた実行委員会のスタッフに、
私たちライダーを受け入れてくれた地元の人たちに、
レースを許可してくれた警察ををはじめ役所関係の人たちに、
そして趣旨に賛同し、盛り上げ続けてくれたライダーたちに、乾杯。
いつか何処かで、できれば金山で、また逢える日を夢見て。
ありがとう、みんな。
ありがとう、金山。
▼ 4/15 1997 -- KENSO in SHIBUYA
友人に誘われて、KENSOというバンドのライヴに行ってきた。
渋谷のON AIR WESTという小さなライヴハウスなんだが、
予想に反して大盛況。
二階席に行かないと座れなかった。
基本的に彼らはプログレなんだが、
どうもフュージョンだと誤解されたらしい。
アンケートに「やっぱり、フュージョンは最高ですね。」と書かれて、
リーダーの清水氏はガックリと肩を落としていました。
そのため、その原因となった曲は演奏してくれなかったけど。
リーダーの清水氏のトークもおトボケやウィットが利いてて、
演奏も2時間半をノンストップというパワフルなプログレを十分に堪能させてもらった
ので大満足。
ドラムの人は翌日もライヴがあるんだと。
よくやるなぁ。
▼ 4/15 1997 -- 増殖
増殖と言っても、なにかと問題の多い『もんじゅ』のことではない。
PC環境が手狭になり、更なる組み立てをしてしまった。
数ヶ月前に参號機を組み立てたばかりなのに、
四号機を組み立ててしまった。
弐號機のHiNote Ultra IIを除く他の3台は全てフルタワー。
もー部屋が狭い狭い。
参號機でUltra WIDE SCSIにうっかりと手を出してしまったので、今回は普通のSCSI2に留めた。
おかげでとても安定している。
速度もPentium 133MHzを2個の参號機よりも随分と速い。
う〜ん、さすがにPentium Pro 200MHzは1個と言えど高速である。
問題はディスプレイか・・・さすがに1台では足りない。
ただ、今使っているのより良いのが欲しいので、その点が最大の問題ってところ。
困ったもんだ。
▼ 4/16 1997 -- 在庫100本の恐怖
イタリアワインが好きで買い始めて、いつの間にやら100本も抱え込んでいた。
一体何をやっているんだか。我ながら呆れたものである。
我が家にはセラーなどは無いため、夏場の保存が心配である。
どうなることやら。
それとも、夏までに全部飲んでしまうか・・・。
▼ 4/16 1997 -- Java + Mac = ???
Sun Micro SystemsがApple Computerの買収に意欲的だ。
ハードはともかく、ソフト開発能力が欲しいらしい。
ソフトはハードに比べてとても人手がかかるものね。
最先端のシステムでも、ソフト開発は前近代的だったりすることも多い。
でも、自己増殖してしまうシステムというのも恐ろしくはあるけどね。
▼ 3/31 1997 -- Java, Java...
Microsoft Visual J++を買って、大分経つ。
そろそろ本格的に取り組みたいのだが、今一つ気力が充実しない。
このサイトはSSIやCGIが使えないので、Javaはインタラクティブ性を出すのに適している。
▼ 3/31 1997 -- ヘール・ボップ彗星
今世紀最大の彗星と呼ばれるヘール・ボップ彗星。
もうご覧になっただろうか?
実は、しばらく前に自宅近くの小高い丘で眺めていた。
なるほど、確かに大きい。
それに明るい。
4200年ほどの周期で訪れるので、この機会を逃したら一生見ることはできない。
そんなに長生きできないもんねぇ。
ともあれ、まだ見ていない人はぜひともこの機会にご覧あれ。
▼ 3/31 1997 -- キーボードだらけ
我がデスクトップは4枚ものキーボードに占拠されている。
Gateway2000 4DX2-66Vの壱號機、DEC HiNote UltraIIの弐號機、自作のDual Pentium機の参號機、そして納品用のToshiba PV3000がひしめき合っている。
当然のことながら、デスクトップは戦場のようである。
なにか良い手はないものか・・・。
使用中のディスプレイはNanao T560iJなので、ポートは2つある。
できれば、お気に入りのGateway2000の英語版124AnyKeyboardとMicrosoft Intellipoint Mouseに統一したいところ。
HiNoteはサブノートなのでモニターとキーボードの共有には気を遣わなくて良いし、
PV3000は納品用システムなので106キーボードでなければ困る。
ということは、壱號機と参號機のみ共有できれば良いのである。
何か良いものはないか・・・。
ふと、手元の雑誌を眺めていたらEIZO(旧Nanao)の切り替え機があった。
ニーズにはピッタリである。
問題は価格か・・・。(笑)
▼ 3/31 1997 -- New Machine完成
今まで業務用に主に使っていたマシンは、4年近く前に買ったGATEWAY2000 4DX2-66Vだった。
さすがに時の流れは速く、ちょっとしたコードの修正にも時間がかかるようになり、新しいマシンの購入を決断した。
ちょうど友人からマザーボードを譲り受けたので、これを核に構築した。
できあがったのは、Pentium 133MHzを2個搭載したもの。
これにMatrox Millennium 4MBを載せ、オンボードで提供されているUltra Wide SCSIのHDDを組み合わせた。
Mystiqueという選択肢もあったのだが、現状では3Dをそれほど必要としていないので、今回は見送った。
今更のPentium 133MHzとはいえ、さすがに高速で稼動してくれている。
そりゃそうだ。
4DX2-66VはPentium OverDrive 83MHzで使っていたので、速度的にかなうわけが無い。
インストールしたOSはWindows NT 4.0のみ。
既にLANは張ってあるのでNICも追加したが、実はここに落とし穴があった。
某店で購入したNICがWindows NT 4.0対応と銘打ってあるにもかかわらず、動作しないのである。
色々やってみたが、駄目だった。
少ないISAバスをやりくりする関係上、PCIカードに拘ったのがいけなかったのか。
仕方が無いので、別のメーカーのものを購入。
そうしたら、あっさりと動いてしまった。
問題のカードはPV3000に入れてみた。
すると、Windows 3.1とLAN Manager 2.1Bとの組み合わせではちゃんと動くではないか。
納品するまではこのままにしておこう。
しかし、結局Dual Pentium Pro 150MHz機と同じくらいの金額がかかってしまった。
この次はPentium Pro 200のDualか、Pentium IIを狙うとしよう。
▼ 3/30 1997 -- U.S. Robotics買収
愛用しているSportster 28800 V.34 FAXというモデムのメーカーであるU.S. Robotics社が、3Com社に買収された。
長年親しんできた社名が変わってしまうのは少しさびしいな。
▼ 2/15 1997 -- ISDN
最近、自宅の電話をISDN化した。
同番案内で調べたときには電話番号が変わらないで済むはずだったのに、端子が足りないとかで変わってしまった。
まったく、NTTのお役所ぶりは流石である。
ただ、Internetなどを長時間使用中にもう1回線で電話も使えるなんて本当に便利。
▼ 2/15 1997 -- ソムリエナイフ
前から欲しいと思っていたソムリエナイフを買ってしまった。
これは何をするものかというと、ワインのキャップシールを切り取り、コルク栓を抜くものである。
単にそれだけのものだが、結構奥が深いものである。
昔、某レストランでソムリエというほどではないけど、ワインのサービスをやっていたことがあるので、
その時以来だな、こんなのを使うのは。
まぁ、自分一人で使っているけど、親しい友人が訪ねてきたときなどに「今日は良いワインがあるんだ」とか言って
飲むのも良いだろうね。
▼ 2/15 1997 -- ついでにワイングラスも
ワイングラスが丁度良いのが無かったので、ちょっと奮発してみることにした。
その筋に割と明るい友人に相談したところ、とあるメーカーの物を薦められた。
値段もそれほど高価ではなかったし、4種類のグラスが2客ずつ入っているので用途も広がるし、というわけで早速1セット購入。
通と呼ばれる人たちがグラスが良いとワインも美味しくなるなんて言うけど、なんとなくわかったような気がするから不思議なもんだね。
▼ 2/15 1997 -- イタ飯三昧
パスタ関係からアンティパストやカルネなどを作っては食っている。
一口にトマトソースと言っても色んなバリエーションがあるので、結構面白いんだな。
焼き物系、煮物系、グリル系とやってみたので、今度は何をやってみようかと楽しみ。
▼ 2/15 1997 -- ワイン通ではないけれど
巷ではワインブームが続いているようだ。
まぁ、それ自体はかまわないのだけど、今迄安価だったイタリアワインまで値上がりしてきたのは嫌な感じ。
一般的に比較的安く、フランスワインよりも早くから楽しめるイタリアワインはお気に入り。
今のところ何処そこの何という何年のヤツが良いなんていうのも自分なりに見つかってきたし、これからしばらくは楽しめそう。
良い店に当たると、ちょっと遠くてもまた行ってみようと思う。
反面、悪い店に当たると二度と行くもんかとも思うね。
横浜にあるたまたま立ち寄った店は小さいけれどとても楽しい感じの店長が直接海外へ行って買いつけてくるような店だった。
小さな店内にビッシリと並んでいるのにも圧倒されるが、地下室は更に凄かった。
色々とたずねるときちんと話をしてくれて、何だか嬉しい。
▼ 11/13 1996 -- 細かいところが変わってきた
いつも思う。
このページは重いよなぁと。
極めつけは「重い」という一言の感想を送ってきた人もいた。
P5-120を使っている弐号機でローカルで見るとサクサクと表示されるのに、
P5-75相当の壱号機では288,000bpsのモデム経由と同じくらい時間がかかる。
そこで、背景のグラフィックとかのサイズを無駄とは思っても削減してみた。
要するに圧縮率を上げたのだ。しかし、結果は面白いもので、画像の圧縮率を上げても
解凍する時によりCPUパワーを必要とするので、トータルでの時間はあまり変化がないということだった。
P5-133以上、PowerPC604のマシンならば、それほど遅くはならないと思うのだが。
▼ 11/13 1996 -- 近付く冬の足音
このところ一気に冷え込んできた。
バカは風邪をひかないと言うが、結局ひいてしまった。
バカではないという証拠かな。(笑)
結局、11日に雨の降る中、事故処理の立ち会いをしていたから冷えたのだろう。
あぁ、今夜はもう寝よう。
青森は既に雪が降ったらしい。
▼ 11/11 1996 -- 星降る夜空に
獅子座流星群がやってくる。
今年は割とコンディションが良さそう。
月は早々に沈んでくれるので、十分に楽しめるかもね。
流れ星が光っている間に3回願い事を唱えると叶うと良く言われるね。
迷信めいた話しでもあるけど、夢があるよね。
さて、今度はなんて唱えようか?
▼ 11/11 1996 -- 不吉な予感
なにやら朝起きた時から調子が悪い。
嫌な予感が頭から離れない。
客先からの帰り道に、それは現実のものとなった。
要するに追突されたのだ。
う〜む、どうしてこういうのばかり当たるんだろうか。
どっちかというと、幸せの予感の方が良いんだけどな。
▼ 11/10 1996 -- 波間の友達
母方の祖母の七回忌の帰りのフェリーで、なんとはなしに眺めていた波間を元気に跳ね回るヤツがいる。
良く見るとイルカたちだった。
実はイルカが大好きなJOEは喜んで眺めていた。
そうしたらこっちに気付いたらしく近づいてきた。
海面上に飛び上がって見せたり顔をのぞかせて笑っている。
まるで「遊ぼうよ」と話し掛けているかのよう。
なんだか幸せな気分に浸れた一日だった。
▼ 11/5 1996 -- 犠牲者は増えてゆく
いきなり物騒なタイトルだが、なんのことはない。
富樫義博の『レベルE』という漫画にハマッてしまった。
主人公は「宇宙一頭の切れるバカ王子」という設定が新鮮だったし、
何より「宇宙人=悪人」という安易なイメージに支配されがちな少年漫画の世界でただ一つ異彩を放っていた。
その昔横山光輝の『マーズ』で受けたのに匹敵する衝撃を受けた。
シリアスの中に織り込まれたギャグのテンポもバランスも良く、作者の才能が輝いているかのようだ。
週末に我が家を襲撃しにきた友人に見せると大喜びで読んでしまい、早速帰り道に買いに行ったのであった。
▼ 11/5 1996 -- Say goodbye to OS/2
とうとう、親OS/2の最右翼たるウィリアム・ザックマンもMicrosoftに寝返ったかのようなコラムだった。
やはりそうだろうな、うんうん。とついつい納得してしまう内容だった。
相変わらずWWDAPはOS/2開発関連のセミナーとかの案内を送ってくるが、一体どうするつもりなのだろうか?
やはりザックマンの言う通り撤退戦なのかもしれないなとも思う。
しかし、過去に溯るとOS/2を対象としたアプリケーションの開発依頼はどういうわけか多かった。
▼ 11/4 1996 -- お掃除大作戦
ここんところ不調だったし、気分的にもとっても落ち込んでいたので、部屋は荒れ放題。
これではあまりにも情けないので徹底的に掃除してみた。
結果は上々で、今はとても気分良く過ごせている。
思い出のある品々も、それぞれの想いを胸の奥深くにしまって、処分してした方が良いのかもしれないな。
それでも、ノクターン作品9の2を刻んだオルゴールだけは捨てられそうにないけどね。
▼ 10/27 1996 -- Windows NT 4.0 is cool!
MSDNで送ってきた包みを開けるとWindows NT 4.0の日本語版の最終ベータ版があった。
早速メインマシンの壱号機にインストール。セットアップ自体は95よりも高速で簡単だった。
ところが気の迷いで95用のIE 3.0をインストールしたら起動しなくなってしまった。賢さが一つ上がった。
今やっているプロジェクトで95のシェルに慣れてしまったので、NTでも同じシェル環境が使えるのはとてもありがたい。
▼ 10/25 1996 -- 怪しげな配置
今度はVisual Basic 4.0の処理速度が遅く、文字列変換エンジンをVisual C++ 4.0で書いた。
スピードは良いのだが、いかんせん両者での構造体の扱いに若干の相違があり、調整に手間取った。
こーゆーところは一致させて欲しいものである。
▼ 10/1 1996 -- Access 95にハマル(笑)
うがぁ! なんでフォームの位置がずれるのだ! と散々悩んでからwww.microsoft.co.jpのアップデート情報を見ると・・・。
なんと、Access 95のサービスパックがあった。
これを使ったらメイン・サブフォームでのずれは解消されたのだが・・・
ダウンロードするのに28800bpsでさえ30分も時間がかかってしまった。
それでも欲しい方はどうぞ。
Access 95 ServicePack
▼ 9/30 1996 -- KARAKのFLOWが廃盤に・・・
気に入ってしまったカラクというグループのCDが廃盤になってしまったのだ。
キングレコードから発売されていた「フロウ」というアルバムなのだが・・・。
CD番号はKICS-202と解ってはいるのだ・・・しかし。
もし、中古や新品をショップで見掛けた人がいたなら是非ご一報頂きたい。
▼ 9/30 1996 -- やはり只者ではないサザン
「雨バンド」という異名を取るほどに屋外ライブは雨に祟られるサザン・オールスターズ。
なんと今年は当日が台風17号だった。
いやはや、ここまで行くと立派の一言に尽きる。
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