第14巻
さらば、いとしのUWFよ!!
4月3日、私は大阪にいた。プロレス団体「UWFインターナショナル」の興業 である「プロレスリング・ワールドトーナメント’94・1回戦」の試合を見る為 である。実はこの日の観戦は私の当初の予定にはなかった。UWFインターナショ ナル(以下、Uインターと記す)は今回のトーナメント開催に先立ち、新日本プロ レス・橋本真也、全日本プロレス・三沢光晴、WAR・天龍源一郎、リングス・前 田日明、パンクラス・船木誠勝の5選手を特別招待選手とし、この5選手が優勝し た場合の賞金を1億円として記者会見場に現金1億円を積み上げ、裏工作もなしに 一方的に5選手に対する招待状を発送したのだ。 新日本の橋本選手は露骨に反発、Uインターとの絶縁を発表。普段は大人しい全 日本の三沢選手でさえ、Uインターに対する非難を行なう始末。WAR・天龍、パ ンクラス・船木両選手は日程の調整が不可能であることを理由に出場を辞退すると の文書を郵送、しかしリングス・前田選手の行動が若干話をややこしくした。 リングスの前田日明は今年に入ってから、UWFから分裂した団体であるUイン ター、パンクラス両団体に対して対抗戦を呼びかけていた。しかしパンクラスはU WF分裂のしこりから前田に対し、「パンクラス所属選手の名前を出すな」と絶縁 を宣言。Uインターはこの時点まで前田の呼びかけを黙殺していた。そういう経緯 もあり前田はUインターからの招待状に素早く反応、4招待選手の不参加が明らか になった時点で「プロレス界のナンバー1を決めるとするUインターの構想は、今 回のトーナメントで実現不可能になった」として、逆にリングスvsUインターの 13vs13全面対抗戦を提案。これは後にトーナメントへのリングス所属8選手 の参加を要求、リングスとUインターは対抗戦とトーナメントを材料に、綱引きを 始めることとなった。 Uインター側は「参加して欲しいのは前田1人、他の『どこの馬の骨か判らぬよ うな選手には参加して欲しくない』」(宮戸優光選手兼取締役の発言)とリングス サイドやファンを激怒させる発言をしたものの、「一昨年のトーナメント優勝選手 であるクリス・ドールマンの参加は認める。」、「前田を破った実績の有る3選手 (ドールマンに加え、ディック・フライ、ヴォルグ・ハン)の参加も認める」まで の譲渡はしたものの、あくまで8選手とするリングス側との希望との差は埋まらず、 結局は前田も今回のトーナメントには参加しないという結論に至り、Uインターは ファンを煽るだけ煽って失望させるという事態を起こしていたわけだ。 実はUインターがファンを煽って失望させたという事件は、今回が初めてではな い。2年程前になるか、新日本プロレス所属の蝶野正洋・選手が雑誌のインタビュー の中で、「Uインターの高田延彦・選手と闘いたい」という発言を行なった。Uイ ンターはこの雑誌が発売されるとすぐに、敏感に反応した。Uインター最高顧問で あるルー・テーズ氏は「所属選手である高田延彦・選手の蝶野正洋・選手への逆対 戦要望書を新日本プロレスへ提出する」という緊急記者会見を開き、その足で抜き 打ち的にマスコミを連れて新日本プロレス本社へ乗り込むという行動を起こした。 この時のUインターが提示した条件は「リングは新日本プロレスのマットで、高田 はノーギャラで結構」という新日本サイドとしてはおいしい話で、ファンは確実に このカードは実現するものと踏まえて期待は大いに高まった。しかし新日本プロレ スサイドから「Uインターは新日本プロレスに対し、蝶野への挑戦料として300 0万円を支払え、またUインターから2名、新日本から2名の選手を出し、巌流島 (山口県下関市・・・宮本武蔵vs佐々木小次郎の決闘が行なわれた場所として有 名・・新日本プロレスでは観客を入れないノーピープルマッチとしてアントニオ猪 木vsマサ斎藤、馳浩vsタイガー・ジェット・シンの対戦に利用している)にて バトルロイヤルによる蝶野への挑戦者決定戦を実施する」との条件が提示され、こ れがUインターのポリシーに反するものであったため協議は決裂、幻のカードに終 わった。しかしルー・テーズ氏の新日本本社訪問後に新日本サイドからUインター 事務所に連絡の電話を入れた時に、留守番も置かずUインターは社内旅行に出かけ 連絡が不可能な事態となるなど、カード実現に向けてのUインターの姿勢に疑問も 多く、非難の対象となっている。しかしこの時には「Uインターが受け入れられな いと判り切っている条件を新日本が提示した」と、世論はUインターサイドに集ま り、非難は新日本に集中した。しかし今回のトーナメントでは強引すぎる手法にU インター側に非難が集中する結果が生じている。 そんなこともあって、私も今回のトーナメントは殆ど何も期待していなかった。 また初めから見ようとも思っていなかった。しかしPC−VAN「熱狂!プロレス 通信」に掲載されたSIG−OP(RIO 氏)のメッセージが私の気持ちを動かした。 「Uインターが大阪市の福祉施設に大量の招待券を配布し、自分の勤務先にも18 枚の割当があった。しかしながら春休み中ということもあり、招待券を消化するこ とができないので、誰かタダで貰って欲しい。」 私は当初、4月9日に所用で上 阪することになっており、その為の青春18切符を確保していた。従って大阪へ行 く為の電車の切符はある。プロレスのチケットもただで入る。私は急遽RIO 氏の元 へ電話を入れて5枚分のチケットを確保。様々な日程の調整を行ない、予定を繰り 上げて2日に上阪することにした。(このため、福山CBBS主催の花見会をすっ ぽかすことに・・・・・。) 決断した日の深夜、従妹に電話を入れ「3日暇か?」 「デートやねん」 「彼氏も連れて来い」 ということで3枚を消化。某SIGで の仲間夫妻も誘ったのだが残念ながら都合がつかず、3人で観戦することとなった。 試合自体は結構楽しめるものだった。かつて新日本マットで活躍したスーパー・ ベイダー(ビッグバン・ベイダー改め)やサルマン・ハシミコフ、ビクトル・ザン ギエフらのロシア人レスラー、ミュンヘン五輪柔道・銅メダリストのバッドニュー ズ・アレンらの姿を見れたのも収穫だった。でも彼らが活躍すればするほど、Uイ ンターマットは当時の新日本色に染められていく。そこにはもはや、かつてのUW Fは存在していなかった。UWFを知らなければUインターの試合は単純に楽しめ て満足できたのだと思う。でもUWFに対する思い入れの強かった私にとっては、 それは残酷な時間だった。UWFを継承した筈のUインターマット。そこにはUW Fのカラーを全く失ってしまった「新日本プロレスごっこ」が展開されていたのだ。 UWFが誕生したのは昭和59年4月のことだから、今年で10年目を数えるこ とになる。旗揚げに参加したメンバーは前田日明、ラッシャー木村、剛竜馬、グラ ン浜田、マッハ隼人の5選手に、新日本プロレスから応援に高田伸彦(現・延彦)、 最終戦には弟子である前田との一騎打ちの為に藤原喜明が姿を出した。外人勢はジ ャイアント馬場がブッキングしたと解るメンバーがズラリ。(馬場は公式には否定 しているが。) なぜか新日本プロレス、全日本プロレスが協力して誕生した不思 議な第3団体だった。実はこの団体の旗揚げには相当ドロドロした裏話がある。前 年の夏に初代タイガーマスク「佐山聡」の離脱に始まる新日本プロレスでクーデター 事件が発生した。アントニオ猪木は社長を解任されヒラのレスラーに、坂口征二も 副社長を解任、新間寿・営業本部長(前スポーツ平和党幹事長)は新日本プロレス を追放された。UWFはフジテレビをスポンサーとする予定で新間寿氏が旗揚げし た団体だ。新日本から送り込まれた前田らは猪木の命令で「後から自分も行くから」 という約束で移籍した。猪木は新日本プロレスのスポンサーであるテレビ朝日とフ ジテレビを天秤にかけた。テレビ朝日が金を出せば新日本プロレスへ残留。出さな ければ自分を解任したクーデター一派を見捨ててUWFへ移籍。結局テレビ朝日が 金を出した為に猪木は新日本へ残留。猪木が来ない事が確定した段階でフジテレビ はUWFのテレビ放映を断念。逆に前田らが見捨てられた形でUWF丸は漕ぎ出し たのだ。 旗揚げ戦では「裏切り物」の烙印を押された前田日明。猪木、藤波、長州、藤原 の各コールが響く会場で闘いを繰り広げたが、実はこの時点で裏切られた人物こそ が前田日明だったのだ。旗揚げシリーズはなんとかこなしたものの、猪木に見捨て られたUWFは独自路線を進めるべく、前田の師匠である藤原喜明と後輩の高田伸 彦、そしてベテランの木戸修を新日本から引き抜き、また前年に新日本を離脱しシ ューティングなる新格闘技を提唱していた「初代タイガーマスク」佐山聡とタイガー ジムのコーチをつとめていた山崎一夫を迎え入れ、佐山のシューティングをUWF の路線として団体を進めていくことになった。これが現在UWF系のリングで進め られている闘いの路線の原点となっている。従来のプロレスにあった反則や場外乱 闘といったあいまいな要素を一切廃し、全ての決着はリング上でつける。キックと スープレックスと関節技のみで展開されるリング上は、従来のプロレスとは全く異 なった世界が展開されていった。 後楽園ホールでは絶大な支持を集めたUWFも、紆余曲折の運命がまっていた。 旗揚げ時の不明瞭な金銭問題が解決せず(一説には移籍金として猪木に大金が流れ ていたとも言われている)、折角ついたスポンサーが社会問題を起こしたペーパー 商法の豊田商事の関連会社であったり・・・。そして前田日明と他の人物との確執。 佐山はプロレス界を去りシューティングを確立。単独興業が不可能になり新日本プ ロレスとの業務提携路線に転ずるも、長州力との確執で業務提携は崩壊し再独立。 第2次UWFを前田の手足となって働いた神真二社長との確執がきっかけとなって 他のレスラーからの信任も失いUWFは崩壊。リングス旗揚げ後も一部のフロント は会社を去ることになり、タレントとしても活躍中の佐竹雅昭をエースとする正道 会館との業務提携路線の崩壊。そして週刊プロレスのターザン山本編集長との衝突。 UWFの歴史は前田日明の栄光と確執の歴史でもあった。 4/3の試合後、UWFインターの安生洋二・選手(兼取締役)の発言が大きな 波紋を広げることになる。前田のトーナメント参加問題でのリングス・フロントと の折衝における不満から、「前田は第2次UWFで終わった人。今の前田なら自分 でも200%勝てる」と発言。発言の中で安生は前田を呼び捨てにするなど、礼儀 を知らぬ暴言に対してファンはとまどいと大きな怒りを感じていた。怒りを感じた のはファンだけではない。何よりも怒ったのは名指しされた前田日明。週刊ゴング 誌上で「安生と道で会ったらタダでは済まさん。家族の前で制裁を加える。」と発 言したことと、前田が人を通じてUインター事務所に安生の居場所を問い合わせる 電話をかけさせたことが決定的な事件を生じさせた。Uインターは前田を脅迫罪で 警察に告発するという事態に陥ったのだ。なぜかつて同じ釜の飯を食い合った中で このような事態が起きてしまったのだろう。そして両者はこの問題がファンにどの ように影響を与えるかを考えていなかったのだろうか? 私にはUWFに対する思い入れがあった。社会的に批判の多いプロレスが大衆に 受け入られる正当な進化こそ、UWFであると考えたのだ。だから私は一時期、第 二次UWFばかりを続けて観戦していた。最初の観戦は1988年12月22日、 大阪府立体育会館の大会。メインは高田延彦と元WWFヘビー級王者・ボブ・バッ クランドの一戦だった。次が翌年5月5日大阪球場決戦。メインは前田日明vsク リス・ドールマンの異種格闘技戦。この大会では私が観戦ツアーを企画し、熱狂! プロレス通信、NIFTY・バトルロイヤルから合わせて約20名もの参加を頂い たが、その中に作家の岡村正史・御夫妻がおられ、席も岡村氏は私と隣だったこと から、色々とお話を聞かせて頂いて大変勉強をさせて頂いたことが印象深い。そし て翌年の2月9日・・・。毎年必ず1回は観戦していたUWFも最後の観戦となっ てしまった。この年の12月に長野で行なわれた試合を最後にUWFは3つに分裂。 選手達は全く別の方向へ歩き出し始めたのだ。 私が最初にUWFに不満を感じたのは最近のことではない。実は第二次UWF旗 揚げ当初から「何処か違うな」という感触は持ち続けていた。第一次UWFに於て は佐山聡により100項目にも及ぶルールが設定されていた。しかし第二次UWF ではそこまで確立されたルールはない。しかも前田日明は佐山と確執を起こして「 俺には俺のシューティングがある」と言いながら、結局佐山が言っていた事と同じ 路線を進み始めた時、一体第二次UWFとは何だろうかと疑問に思ったこともあっ た。しかしそれでも私はUWFは正しいと信じ、応援を続けたのだ。それだけにU WF分裂は失望を感じ、ショックに襲われた。そして今回の訴訟騒動・・・・・。 プロレスに向けられた偏見を覆すべし市民権を獲得する為の運動こそがUWFだっ た筈だ。そのUWFで供に闘ってきた者同士が醜い罵り合いの末に訴訟問題を起こ すとは言語道断である。私は虚脱感に襲われてしまった。今度こそとどめを刺され てしまった。もう私はUWFを支持することも応援することもないだろう。仮に誰 かにタダで招待券を貰ったとしても、観戦しないかもしれない・・・。 昨年、大阪府立体育会館で行なわれた女子プロレス4団体により合同で行なわれ たオールスター戦を観戦した時、私は感動のあまり涙を流した。今年は4月16日、 獣神サンダーライガー選手プロデュースによるジュニアヘビー級オールスター戦「 SUPER J−CUP 1st STAGE」が開催された。この大会では従来 交わることが決してないと言われた新日本の選手と、大仁田厚率いるデスマッチ系 団体のFMWの選手が対戦し、素晴らしい熱戦を展開した。全日本プロレスやWA Rのウルティモ・ドラゴン、FULLのグラン浜田らの参加こそ無かったものの、 この大会はファンに多くの夢と感動を与える大成功の興業となった。女子に出来て、 ジュニアヘビーで出来たことが、何故Uで出来ないのか? 関係者は考えて欲しい。 ファンが望む興業を行なってこそ、本物のプロモーターの筈だ。しかし、今UWF 系4団体によるオールスター戦が開催されたとして、もし私がその興業を観戦する 機会に恵まれたとするならば、その興業を観た私は感動で涙を流すのだろうか? 「61分一本勝負 第14巻」 完 このMSGは、1994年5月版のTODAY拡張格闘技興業データ付録のコラ ムを、あらためて掲載したものです。