イプシロンのスピードコラム 「61分一本勝負」

第16巻

村山社会党政権誕生


 いやはやなんというか、社会党から総理大臣が誕生するという今までの常識では  考えられない事態が起きてしまった。いやそもそも政治における常識なんてものは  昨年夏の政権交代によって通用しなくなっていたのかもしれない。1955年以来  激しく対立してきた自民党と社会党による「55年体制」。その両党が和解して1  つの政権を作り上げることになるなど、1年前の激変時すら予測できた人間は1人  もいないのではないか? もはや政界にタブーは存在しない。あるとすれば共産党  と自民党のドッキングくらいか?                         村山・社会党主導政権というのはココ一週間ほどの間に表面化した感があるが、  実はかなり以前から芽が噴き出していた。自民党が「予算成立後すみやかに羽田内  閣に対する不信任決議案を衆院に提出する」と言い出した頃、次期政権は安定多数  の政権でなければならないと唱える武村正義・前官房長官(新党さきがけ代表)か  ら、「次期政権構想は社会党がまず提示せよ」との呼びかけが社会党に対して出さ  れた。どうも武村氏はこの時から、「次期首班は村山富市」との思惑で動いていた  節がある。社会党はこの呼びかけを受けて次期政権構想を党内でまとめ、まずさき  がけに、続いて連立与党各党と自民党に提示した。しかしこの時まとめられた政権  構想は武村氏の思うようなものではなかった。社会党右派の圧力のために「細川政  権発足時の8党派合意」を元にした連立与党に向けられた和解のための構想だった  のだ。                                     社会党がまとめた政権構想をもとに、連立サイドと政権協議が始められたが、こ  れが中々進まない。当然である。細川政権下での抜打ち的な国民福祉税構想、羽田  政権政権樹立時の政権協議、そして統一会派・改新騒動・・・。社会党は連立参加  以来、恒に苦杯を舐めさせられてきた。新生党と公明党、というより小沢&市川両  氏主導による政権運営によって、社会党側の小沢一郎・新生党代表幹事に対する不  信感は到底ぬぐえなかったのだ。新生党・公明党サイドも同様である。これらの政  党と社会党では支持層も理念も全く違う。ここで合意しても時々に直面する問題協  議の席でことごとく座礁に乗り上げることは目に見えている。つまりは初めから決  裂することは覚悟の上の政権協議だったわけだ。ならばココで疑問が残る。なぜ決  裂する可能性が非情に高いにも関わらず、連立与党に向けられた政権構想を社会党  は発表したのか? そこに社会党内部の複雑な力関係が作用していることをが表れ  ている。                                    社会党は右派と左派によって成り立っている。厳密に言えばどちらとも言えない  中間派と呼ばれる勢力もあるのだが、それらの勢力も時により右派や左派の力関係  に応じて行動していることが多い。今回の社会党も右派と左派のそれぞれの思惑の  違いから迷走が始まった。右派の集団である「デモクラッツ」の考え方は、いわゆ  る中道勢力と呼ばれる民社党や公明党ときわめて近い。また細川政権で連立各党と  の太いパイプも構築されている。だからできればこれらの政党と共に連立政権に参  画してやっていきたい。逆に左派の中には未だに社会主義イデオロギーが根強く残  っている。ましてや先の政権離脱劇に見られる反小沢アレルギー。しかも羽田政権  樹立以降の連立政権は、柿沢外務大臣の憲法解釈見直し発言、永野法務大臣の南京  大虐殺でっちあげ発言。その他対北朝鮮問題や国連常任理事国入りに関する発言な  ど、ますます右傾化の方向をたどっていて、とても協力できるものではない。この  両者の思惑の違いから、社会党は連立に取り入ろうとしたり、あるいは自民党と組  んで反小沢勢力結集を試みたりと統一した行動が取れなかったわけだ。        1日毎に右派、左派が交互に主導権を取り合いながらも最後は新生・公明両党が  提示したハードルを社会党は飲むことができず、連立与党と社会党の政権協議は決  裂した。社会党としては政権構想を提示し、それに支持する政党(さきがけ)があ  る以上は首班候補を立てなければならない。もし立てなければ社会党は連立側、自  民党側それぞれからの草刈場となってしまい結束が保てなくなる。仮に自民党が立  てた首班候補を社会党が支持する形になれば、右派は完全に離脱してしまうだろう。 しかし社会党自らが首班候補を立てれば、右派も「自前政権」の魅力には勝てない。 自民党としても総理大臣は出せなくとも、閣僚をそれだけ送り込むことができれば  メリットは大きい。武村・さきがけ代表の放った矢は自民・社会両党を組ませ、「  一大反小沢一郎勢力」を結集させる結果となった。                 対する小沢一郎・新生党代表幹事にも策はあった。「社会党と組めなくても政権  を守るための隠し玉」が既に用意されていたのだ。海部俊樹・元総理大臣その人で  ある。海部氏を自民党から離党させて首班候補に立候補させれば、自民党・社会党  ともに自社連携に反対する勢力を取り込むことができるだろう。案の定、渡辺美智  雄・元副総理が早々と海部支持を打ち出した。自民党からも多数の造反者が出た。  自社合わせて60人程度の造反者が出れば、海部新総理は誕生する。連立各派は自  信を深めていた。しかしココで2つの大きな誤算が発生する。中曽根康弘・元首相  が海部支持を表明したのだ。考えてみれば自民党・渡辺派は中曽根派を継承したも  のであって、2人は思想的に極めて近い。また渡辺氏が4月に一旦は離党を決意し  たときも、中曽根氏は理解を示していたとされるから、決して不自然なものではな  い。しかし取る方はそうは取らなかった。社会党右派の極めて連立側に近い勢力も、 「あの右翼の中曽根とは、とてもじゃないが同じ人は押せない」とする議員も多く  出た。中曽根氏が欠席した第一回目の投票で「海部俊樹」と用紙に書いた社会党議  員も、中曾根氏が出席して投票を行なった決戦投票では、白紙や「村山富市」と書  いた人が多かった。それほど「中曾根アレルギー」は「小沢アレルギー」に輪をか  けて大きく、支持記者会見は余計なものだったのだ。もう1つはやはり「社会党自  前政権への魅力」である。やはりどんな政党でも自分の政党から総理大臣を出した  いという希望は持っている。それが目の前にぶらさがっているのだ。その状況では  なかなか他党の候補を押しにくい。結果的に海部票の造反は出ず、白紙のみが増え  る結果となった。                                結果的には村山富市・社会党委員長が海部俊樹・元首相を破り前代未聞の自社連  立政権が誕生した。しかし今回の一連の政変劇のしめくくりは大きな問題ある結果  となった。まずは海部氏の離党劇。政界再編はどうやら護憲勢力と改憲勢力の二大  政党化への様相を見せている。今回の連立劇でみれば河野−武村−村山の護憲勢力  と渡辺−小沢の改憲勢力というわけだ。実は海部氏は護憲勢力に位置する人物であ  る。従って河野−武村−村山ラインに位置せねばならない。その人物が総理大臣の  椅子欲しさに改憲勢力に担がれるというのは、晩節を汚す失態であったと思う。ま  た反自民党で結集した勢力が2時間前まで自民党にいた議員を首班に押し、それに  輪をかけて反自民結集勢力推薦の候補に自民党議員が投票するなど出鱈目もいいと  ころだ。対するに自民−社会連立も大きな問題を残す結果となった。次の小選挙区  選挙をいかに戦うのかという問題だ。現実にこれまでの選挙では多くの選挙区で自  民vs社会の対決が行なわれてきた。その2つの勢力がいまさら選挙で協力できる  のか? また4月の社会党連立離脱以降も地方組織によっては、引き続き社会党と  連立与党による統一候補者選考会議が機能していたのだ。自民党と連立しながら地  方組織で新生党などと一緒にやっていくことはできない。中央と地方の組織の矛盾  が発生したことにより、今まででさえ問題だった「選挙をいかに戦うか」という懸  念が一層浮き彫りになり、場合によっては社会党にとどめを差す行動になりかねな  い選択だったわけだ。                              これまで事ある毎に敵対してきた自民党と社会党、両党の連立は互いに「悪魔に  魂を売った行為」なのか? 実は私はこれには否定的な意見を持っている。社会党  が4月まで連立を組んでいた勢力の中には、新生党が含まれていた。新生党はこれ  までにも挙げたように改憲勢力の中核に位置する政党で、自民党よりも遥かに右に  位置する政党なのだ。社会党はその新生党と政策合意を結んで連立政権を組んでい  た。自民党はその新生党一派が抜けた為に、以前に比べれば左を向いている。そう  考えれば社会党と新生党との間でできた政策合意が、自民党との間でできない筈は  なかったわけだ。また自民党は金権腐敗の温床政党であるかのように言われている  が、金権腐敗の中心は旧田中派、旧竹下派、金丸信・元副総裁であり、新生党はそ  の直系政党であるという事実を忘れては成らない。社会党はこれまでそのような政  党と組んできたわけで、「新生党一派が抜けたお蔭で自民党はクリーンになった」  と自民党員が言う程の事だから、社会党が自民党と組めない理由は消失しつつあっ  たわけだ。一方自民党サイドから見ても、社会党は昨年夏から今年春まで与党を経  験する中で、相当現実政党として脱皮を果たしている。従って政策的にも以前ほど  のギャップは存在していない。そう考えると自社連合政権というのは、当初思って  いたほど違和感のない政権なのかもしれない。                   とはいえ、今回の連立政権は「野合」の批判は免れまい。今回の政権構想は社会  党が提示したものを新党さきがけとの政権協議の席で合意がはかられ、各党に提示  したものを自民党が丸呑みしたものだ。従って自民党と社会党との間には何等政権  協議といえるものはされていない。昨年夏の細川政権は8党派による政権協議がな  され、問題こそ残ったが合意が成立した上で発足した政権であったが、自民党は「  野合政権」と批判していた。すくなくとも今回の自民党の行動は、なんせ政権協議  すら行なわずに社会党委員長を首班に担ぐという、政権欲しさになりふり構わない  行動を取ってしまったわけだから、これを「野合」以外のどの言葉でも表現するこ  とはできまい。少なくとも細川政権を批判した人間たちの取る行動ではなく、自民  党はこの点を国民に対し何等かのけじめをつける必要があろう。           今回の自社連立は完結ではなく、政界再編のうねりの中の過渡期の1つの現象で  あろう。この中で自民党から改憲勢力が抜け、社会党から右派の一部が抜け、逆に  日本新党や民社党から護憲勢力が合流してくることで、小選挙区比例代表並立制度  に対応した護憲リベラル政党と改憲勢力政党との2大政党制への移行がはかられる  ことになるだろう。それまで、どんなに短く見積もってもまだ5年の時間はかかる。 その5年間もの過渡期に政治は山積する諸問題を解決しながら前進していくことが  できるのだろうか? また改革には常に挫折がつきまとうものだ。社会主義崩壊、  ベルリンの壁撤去のみならず、イエメン共和国も南北分裂し、1989年移行の世  界の変動はことごとく市民の利益にはならない方向へ推移している。日本の政局も  おそらく同じだろう。しかし一時の挫折を乗り越えて、我々国民が改革の完結を掴  むまで、山積する諸問題は果たして待っていてくれるものなのだろうか? 社会党  左派議員たちは自らのリーダー「村山富市氏」を総理大臣の椅子に座らせたことに、 「ハト派内閣の成立」と声高に叫んでいた。しかし「ハト派内閣」の言葉を最初に  使った人物は、他あろう武村正義・新党さきがけ代表その人であったのだ。こうし  てみると武村氏は反小沢勢力の結集に、自民・社会両党議員(衆院でも2百数十人) を手玉に取ったわけだ。武村正義、おそるべし・・・・・。       「61分一本勝負 第16巻」     完 Presented by IPUSYRON The Y.Yoshioka.  このMSGは、1994年7月版のTODAY拡張格闘技興業データ付録のコラ ムを、あらためて掲載したものです。                    


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