イプシロンのスピードコラム 「61分一本勝負」

第20巻

村山政権成立における戦犯は誰だ!?


 6月に村山政権が誕生してから、早くも半年が経過しようとしている。7月のこ  のコラムでは村山政権発足の手順を検証した。今回はそこへ至るまでのプロセスを  検証し、今後の政界のうねりを予測してみたいと思う。               ’93年7月、宮沢政権と共に自民党一党支配は終焉を迎え、8党派連立による  細川政権が誕生した。細川政権はそれまで野党に甘んじていた社会、民社、公明、  社民連の4党+参院の民主改革連合に、自民党を飛び出した新生、日本新、さきが  け各党が一緒になって自民党に代わる勢力を結集し誕生した政権であった。この時  点で社会党と他の連立各党とは「反自民」の思惑で利害は一致していた。しかし年  がかわって細川政権は、内閣改造未遂、国民福祉税構想、そして首相自らの佐川急  便疑惑から自滅していくこととなった。細川政権崩壊を検証すると、直接的には首  相が自らの疑惑が晴らせない為に政権を放り出したと見る向きもあるが、それは誤  まりである。                                  細川政権崩壊の要因は、細川首相が本来果たさねばならぬ役目が能力不足のため  に遂行できなくなり、身動きが取れなくなった細川氏が政治家生命が残っているう  ちに政権を投げ出したと見るべきなのだ。ここで「細川氏の果たすべき役割」とは  何であったかを考えてみたい。細川政権をささえていた連立各党は大きく2つのブ  ロックにより構成されていた。1つは社会・さきがけ・民社党大内派、もう1つは  新生・公明・民社党米沢派である。細川氏は「それぞれのブロックに片足づつを乗  せ、両足を広げて立っていた」と例えることが出来る。細川氏はこのままの姿勢で  立ち続けていればずっと政権が存続できていたはずであろうものの、94年に入っ  てからは「徐々に重心を新生党の方へ傾けていき、最後には足を踏み外して転落し  てしまった」と例えることが出来る。つまりは細川氏の役割とは社会党ブロック、  新生党ブロック双方をまとめ上げ、それぞれを強固な支持母体とすることだったわ  けなのだが、細川首相の能力不足からそれが出来ずに政権が内部崩壊を起こしてし  まったというわけだ。                              続く羽田政権は新生党自前の政権である。この政権の発足時は「新生党ブロック  に両足ともに乗せた羽田氏に、ななめから社会党ブロックが支えていた。」と例え  ることができるが、例の「改新騒動」により発足時から社会党ブロックの支えがな  くなっていた。反自民勢力を結集した内閣を作ろうと思えば、2つのブロックの存  在は絶対条件だったのであるが、新生党自前政権であるが故に社会党ブロックを大  事にできなかった。これについては羽田氏に何等責任は無いだろう。         ここまでを考えると、最初の戦犯は勘のいい人は細川氏であることが理解して貰  えると思う。つまりは細川政権が崩壊しなければ、その後の羽田、村山両政権は誕  生しえなかったのだ。政局を流動化し混沌とした不安定なものとした細川氏の責任  は重いと言えよう。                               第二の戦犯は言うまでもなく小沢一郎氏で異論はあるまい。細川氏を盟友関係と  言われた武村・官房長官(当時・・・現大蔵大臣・さきがけ代表)との分断をはか  り、自分の元へ引き寄せることで結果的に細川政権を内部崩壊へと導びき、またこ  とあるごとに社会党分裂を模索した。羽田政権では成立直後に「改新」なる院内会  派で社会党を連立離脱に追い込み、羽田総理辞任後の首班指名では大政翼賛的に村  山首班指名への道を残しながらも、わずか2時間前まで自民党にいた海部氏を担ぎ  出すことで矛盾に満ちた自社連立と自民党復権体制へと導いた。そもそも古くは前  回の東京都知事選で元NHKの磯村氏を担ぎ出し、地方組織の大反発を受けて敗北  したり、今回も大蔵省と謀り何の議論も答申もないまま国民福祉税なるものを打ち  出して社会党や国民の反発を買ったりと、小沢氏がココぞとばかり打ち出した事柄  はことごとく失敗に終わったことにこの人は懲りていないというか、何も教訓にし  ていないというか、戦犯に値するには充分の功績を果たしたと言えるだろう。     あとは前回にも取り上げた通り中曾根・元首相。この人が海部支持の記者会見さ  え開かなければ、もしかしたら海部政権は誕生していた可能性もある。それにミッ  チー渡辺氏、この人が4月の時点でさっさと離党して旧連立と合流していれば、結  果的には社会党の連立離脱は避けられなかったかもしれないものの、渡辺政権が発  足していたかどうかは別にして、また違った展開が見られてかも知れない。続いて  担ぎ出された本人の海部・元首相、海部氏は自らが負け馬となるために自民党を離  党したようなものと言える。最後は大内・前民社党委員長、おそらくは陰で小沢氏  が指揮したとみられる改新騒動を、社会党の行動を充分予測せず自らの手で起こし  てしまったことは、充分戦犯に値する行動と言えよう。               さて、過去についての検証はココまでにして将来への展望を考えてみたい。新生  党をはじめとする旧連立勢力は、1つにまとまり新・新党へ結集しようとしている。 先頃社会民主連合が解党し合流したばかりの日本新党は解散を決議し、公明党を除  く各政党も新・新党旗揚げを前に解党し合流することにしている。公明党は来年改  選の参院議員と衆院議員のみが新・新党に合流し、その他の議員や地方組織は来年  の統一地方選が終了後に新・新党に合流するとのことだ。その流れの中で既に新・  新党の党首をめぐる駆け引きが始まっている。また「幹事長ポストは非自民党出身  勢力から選ぶべきだ」などの牽制も民社・公明両党あたりから出てきている。また  各党が新・新党内に政策集団を設置することを提案しており、新・新党において現  行政党がそのまま派閥へと移行しようとしている。                 一方現連立与党サイドであるが、自民党内は既に小選挙区制度への移行に向けて、 これまで党内で重要な役割を果たしてきた派閥が役割を終え、消滅しようとしてい  る。自民党の派閥政治が終焉を迎えようとしている中で、一方これから生まれよう  としている新・新党には早くも派閥が暗躍しているとは、なんたる皮肉な事だろう  か? 社会党は左派によって牛耳られている現政権に対抗するため、右派は「新民  主連合」なる党内党を旗揚げした。新民主連合は自民党とも新・新党とも距離をお  く第3の勢力の結集を目指すとしているが、実際には新・新党との連携を目指すと  思われる。新・新党に合流しないことを表明している日本新党の海江田氏らのグルー プや、小沢一郎氏や公明党を嫌う民社党旧大内派の一部、そして来年任期を終える  北海道の横路知事が合流すると思われる。おそらく社会党が分裂し新民主連合が独  立新党として旗揚げするのは来年の参院選前になるのではないか? 新民主連合は  新・新党と結び付くために、この時に現村山政権は崩壊する。かつて社会党右派が  政権を握った時、この政権を葬ったのは他ならぬ社会党左派であった。そして今、  社会党左派が握った村山政権は社会党右派の手によって葬られようとしている。な  んという運命の皮肉か?? さて、この私の予想はどこまで当たるものやら・・??       「61分一本勝負 第20巻」     完 Presented by IPUSYRON The Y.Yoshioka.  このMSGは、1994年11月版のTODAY拡張格闘技興業データ付録のコラ ムを、あらためて掲載したものです。                     


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