通刊35
最後の春団治、逝く
漫才の横山やすしが52歳という早すぎる生涯を閉じた。破天荒の一言で括る にはあまりにエピソードの多い持ち主であった。 横山やすしとアントニオ猪木、大方には何の関連を見出すことはできぬと思う が、実は興味深い共通点が存在する。B型、そして自己破滅型の人生を送ってい る点、そしてその世界でまさしく頂点を究めた点が一致している。思えば政治の 世界で頂点を究めた田中角栄もB型で、そして自らの集金力がアダとなりスキャ ンダルに塗れた政治家として生涯を閉じた。B型で世界の頂点に立った人間には、 この手の自己は滅型人間が多いのだろうか? 面白い統計データがある。世界の指導者の血液型を調べると、B型が最も少な いのだそうだ。そういえば日本の宰相の血液型も、最近のデータこそ知らないが 10年くらい前のデータでは、B型で総理大臣の座に座ったのは田中角栄ただ1 人であった。そもそもB型という血液型の人間は、世界のトップに座る人間には なりにくいのかも知れない。そのために仮に頂点に立つ人物が出てきても、どこ かに無理が生じて破滅的に転落してしまうのかもしれない。 かくいう私もB型である。そして自己破滅的性格の上記の3人に惹かれている 自分がいる。私がここまでたどった岐路を振り返ってみても、なんとなく自己破 滅的な選択を行なってきたなという気もする。ただ上記の人物とはスケールがあ まりにも違いがありすぎるけれども・・・・・。 話を戻そう。横山やすし・西川きよしの漫才は本当に面白かった。死後各局に より追悼番組が放送されたが、そのなかで再び流れた漫才はとても追悼番組とは 思えず、何度も腹の底から笑いが沸き起こった。本当に名人だったと思う。残念 だ。本当に残念だ。もう1度やす・きよの漫才が見たかった。今の2人の漫才が 見たかった。 しかし、死後のTVの報道にはあまりにも嫌気がする。「惜しかった」「残念 だ」と報じるなら、なぜ生きている時に使わなかったのだ!? 使わずに「惜し かった」はないだろう? 現在は建前の時代である。言いたいことは言わずに旨 く巻かれて世渡りをする者が賢いとされる時代である。だからメディアも本音の 塊である横山やすしが使いにくかったのかもしれない。しかし横山やすしがメデ ィアから去ったあと、上岡竜太郎、やしきたかじんなど上方の毒舌タレントが浮 上してきている。本音を語るタレントは必要とされていたのではないか? 本当 は今の時代こそ、横山やすしが必要であったのではないか? それだけに仕事が ないことから酒に溺れ破滅して逝った彼が不敏でならない。 所属していた吉本興行も死後に吉本への復帰を認め、グランド花月で漫才葬を 実施し、また1億円とも言われる借金を香典代わりとして棒引にするという。そ れならなぜ生きている時に復帰させなかったのか? 吉本という会社への怒りさ え禁じ得ない。 芸人の世界もサラリーマン化してしまった。そもそも芸人とは社会をドロップ アウトした人間の集団であった。それは今でもある種残っている面がある。しか し世の中はその集団に対し、世間のモラルを求めている。はっきり言ってこれは 矛盾しているのだ。卓越した芸は世間のモラルを超越した所に存在するのではな いか? その意味で横山やすしのような芸人は、もう今後出現しえないだろう。 本当に惜しい人物を亡くした。合掌。 「無制限一本勝負 通刊35」 完 Presented by IPUSYRON The Y.Yoshioka. このMSGは、1996年2月版のTODAY格闘技興業データ付録のコラムをあ らためて掲載したものです。