M.Kobayashi のパソコン歴


パソコン歴30年を迎えて

 私ことM.Kobayashi は、2015年でパソコン歴30年を迎えます。それにしても長かったですね。どういう経歴をたどったのか、以下に書いてみることにします。

1.MSX時代

 85年の1月のこと、私がまだ中学1年の頃、CASIO PV-7というMSXパソコンを買ってもらった。そのマシンはキーボードがキャラメルみたいな安っぽいボタンでできていて、TVにつないで使っていた。今のマシンと比べると、全てが子供だましみたいな貧弱なマシンだった。その頃にしては画期的な部分が多いというわけではなかったが、小型軽量でとても可愛いやつだった。

 それには3音のPSG音源が付いていてBASIC で簡単に音楽が楽しめたので、教科書の楽譜からMMLデータを打ち込んだりしていた。
 さらに、当時はFDDなんてものは高嶺の華で、個人が買えるような代物ではなかった。プログラムはカセットテープ、しかもラジカセで録音することで保存していた。しかし、信頼性が低いのですぐに読めなくなり、遅いし管理は面倒で大変だった。

 当時、私は毎日のようにこのPV-7と格闘しながらプログラミングを覚えていった。同時に「ベーマガ」(電波新聞社)という雑誌を買い、テクニックを学んでいった。
 今思うと、雑誌に載っているリストを全部手で打ち込んでいったなんて、なんて気の長いことをやっていたのだろうと思わず苦笑してしまう。今みたいにダウンロードすれば、CD-ROMを買えばすぐ使えるって環境は夢みたいに思える。
 そして、自らも「Mountain GAME」「Hi&Lo GAME」「語句覚え」等のプログラム作成をしていく。(詳しくはMSXコーナーへ)

 さすがにPV-7では耐えきれなかったので、1年半後にCanon V-25(MSX2)に乗り換えるが、これが大失敗だった! 半年後にVRAM128Kながら低価格のA1やF1が発売され、非常に悔しい思いをする事になる。その後VRAM64K のソフトはほとんど発売されず、使いものにならなくなった。
 追い打ちをかけるようにさらにその半年後、誤ってキーボードを踏んづけてしまい、長い冬眠に入ってしまう。このため、パソコンからはしばらく足を洗う。もし壊れていなかったらどうなっていたろう。(^^;)

 88年の冬、兄が競馬に凝っているのをきっかけに「競馬ゲーム」を作成。これが拙作「JR−B競馬」の前身となる。
 同時に、「鉄道シミュレーション」等のちょっとユニークなプログラムを作り、一応復活する。ちなみにPV-7である。(^^;)

2.PC−9801時代

 89年の夏、家族がNEC PC-9801VX21 を購入する。実はこのマシン、ココム違反で差し押さえになった新古品である。
 率直な感想は、フロッピーと漢字ROMが付いていて、さらに専用ディスプレイで画像が格段に綺麗で、MSXと比べものにならないくらい速くて驚きの連続だった。それにしても、今のパソコンの格段の性能向上はすごいものだ。(^^;)
 当然のことながら98のことは何も知らず、苦労することとなる。当面、今はなき雑誌「PCマガジン」(ラッセル社)を買い、掲載プログラムを入力して楽しむ。
 後に「MS-DOS」というものが必要だということがすぐ分かり、サウンドボードと同時に購入したのは翌年になってからである。
 そして、BASIC でFM音源を鳴らしていた。「君が代」「YESTERDAY」 等を打ち込み、「おぉ、FM音源はなんてリアルなんだ」と感心していた。これがRayを使うきっかけになったのは言うまでもない。同時に「JR−B競馬」の初期版も作成した。
 ちなみに受験シーズンと重なったにも関わらず、夢中になりすぎ敢えなく失敗。訳あって仙台の専門学校へ行くこととなる。(^^;)

 この後も、標準BASIC で色々とプログラムを作っていく。

3.Quick−BASIC

 91年の冬、それまではプログラミングツールとしては標準BASIC しかなかったので、MS-DOS上でもプログラムを動かしたいと思い、Quick-BASIC (以下QB)を購入する。
 前評判通り、言語的には完成度が高く、EXE(実行ファイル形式)のスピードもBASICとしてはまずまずだったので満足する。ただ、実行ファイルはかなり大きくなるのが難だったが。
 まず、過去に作っておいた標準BASIC のプログラムをQBに移植した。そして、最初からQB上でのプログラムを作っていったものもある。
 これらが拙作の「アチョーX」「TRAINR」「○×マスター」である。(詳しくはプログラムコーナーへ)
 なお、未公開プログラムはほとんど雑誌などからの移植プログラムである。「ファイルコンバータ」なども作った。

 また、これより少し経って、「I・O」という雑誌にPC-9800用音源ドライバがFDに収録されていたので、自力でQB上でFM音源を鳴らすといった試みもやってみた。当時はFM音源を鳴らす音楽ソフトは所有しておらず、またRayの存在自体知らないので、喜びや達成感もひとしおだった。

 余談だが、この間に中古のV-20を買い、キーボード基盤を交換してV-25が復活する。(^^;)

4.フリーソフトとして公開

 93年秋、たまたま手にしたある本がパソコン通信を始めるきっかけとなった。この辺のエピソードは、「Rayの活動を通じて」に書いた通りである。ここではRay以外の活動について触れてみることにする。
 94年10月、手始めにPC-VANのSIG・SLABO に「アチョーX」「○×マスター」を公開。早速メンバーから反響が来る。思っていたよりもいい反応で、嬉しく思う。後に「JR−B競馬」「TRAINR」「RSym」も公開する。フォーラムの他、メールでも反響が来て、思ったよりも手応えがあった。
 少しして、「JR−B競馬」にパソコン通信雑誌「ネットピア」への紹介依頼が来る。正直言って嬉しかったが、「有名になってしまうな」とちょっとプレッシャーもあった。ただ、掲載された画面写真が不鮮明なのが残念だったが。

 これより少し経った95年3月、今度はベクターデザイン(現ベクター)社から「RSym」「TRAINR」のCD-ROM書籍収録依頼が来た。「RSym」はまだ未完成だったので、「TRAINR」のみ載せてもらうことにした。
 しばらくして書籍が家に届く。分厚い本にCD-ROMが2枚入っていた。定価は5800円でかなり高価だ。書籍本体には自分のソフトは単にファイル名が載っているだけだったが、それでも嬉しかった。これ以降、98年冬まで半年に1回書籍が送られて来るようになり、収録ソフトも徐々に増えた。Webページスペースまで無料で提供してもらうようになる。

 これを機にパソ通以外でもフリーソフトが行き渡っていった。ただ、時代はDOSからWindows95に急速に変わり、DOSソフトももはや色あせたものとなってしまった。よって、最近はプログラミングはほとんどやっていない。

5.Macintosh&Windows

 93年7月、家にMacintosh LC520が届く。家族が購入したものだったが、主に操作したのは私だった。当時感じたこととしては、「DOS系マシンにない斬新さ」だった。今のパソコンでは当たり前だが、ファイルやフォルダ(ディレクトリ)の管理の仕方がうまいなと感じた。ただ、正直言って私には今ひとつ肌に合わなかったのも事実だ。途中故障というトラブルもあり、全盛期でもCD-ROMソフトを動かす以外には、せいぜいPHOTO-CDからフォトレタッチソフトで画像修正するといった用途でしか使っていなかった。

 95年5月、念願のノートパソコンを中古で購入。パソコン通信での用途を強く意識したものだ。同時にWindows 3.1も購入。残念ながらこちらも当初は積極的には使っていなかった。そもそもCPUが486SXではかなり無理があり、使うソフトも大したものはなかったからだ。よって、今まで通りDOSアプリケーション中心の利用となる。

6.いよいよインターネットへ

 96年12月、144モデムを2000円で購入。これを機にNetscape Navigator も購入し、インターネットを始めることにした。早速ベクター社にホームページスペースを申請をし、14日に念願のホームページを開設した。当初は無手順接続でWorldTalk使用、FTPはNIFTYの無手順接続を介しての使用と、かなり無理のある環境で当初は苦労したが、何とか運用していくことになる。これ以降はインターネット中心の利用となる。
 97年3月、ついにWindows95マシン、「FMV DESKPOWER SII16A」を購入。これで一気に環境が充実した。こうしてM.Kobayashi のパソコン歴は現在に至っているわけである。

7.そして現在

 インターネットを始めて以来、私自身の興味もパソコンそのものよりもデジカメやビデオカメラでの撮影などに傾き、パソコンそのものを趣味と言うには無理がある状況になりつつあった。また、Windows95・98普及以降、マニア層以外の一般人(あえてこういう表現を使う)にもパソコンが広く普及し、少しぐらいパソコンのことが分かっても自慢できる状況ではなくなってしまった。
 さらに、2002年3月、新たな機種「FMVNB995L」を購入。確かに圧倒的な性能向上には驚いたが、これは単にCPU及びRAMの性能向上に対する恩恵に他ならない。そのためパソコンは単なる道具と化すことになった。このことは私にとっては非常に複雑である。BASIC(MSX)、MS-DOS(PC-98)の時代は良かったな〜。

− 以上 −

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