自己紹介として、私がコンピュータと出会った頃の話しについて書きます。
ハンドル名の由来を追加しました。
絵はザウルス(PI系)で昔描いた物です。
[出会い]
私が初めてコンピュータを意識したのは、テレビゲームでした。
初めての出会いは、中学か小学生のときに、友達の家でやった「テニスゲーム」でした。
確か、コマネチがオリンピックで10点満点を出しまくっていた頃なので、何年前かな?
[前兆]
中学時代は「陣取りゲーム」や「ガンマンゲーム」で
コンピュータと戯れて、「ブロック崩し」にはまって、コンピュータ(ゲーム)の虜になっていった時代でした。
[インベーダゲーム]
高校に入った頃には「ブロック崩し」が1球/面程度でクリア出来るようになっていました。そのころ出たのがあの有名な「インベーダゲーム」でした。
「インベーダゲーム」は手にタコを作るくらいやりました。でも、あまりうまい方ではなくて、点数も覚えていませんが、11面をクリアして1順する(2順目は2面から)のですが、4順ぐらいで死んでいました。
「インベーダゲーム」にはイメージにも描いているように、”名古屋打ち”という必殺技がありました。
この名古屋打ちの最後のツメは人それぞれで、私の場合、最終段が右から左に移動するときは下のような方法でクリアしていました。
最終段を1段消す。 1段下がったら、また、最終段を1段消す。
半段下がったら左上消す。さらに半段下がったら、最終段を1段消す。
そして、左から順に消す。次を、消す。
さらに次を、消す。 左に移動しながら、下を消す。
上を消す。
この消し方は私が友達の前で初めて見せた技だったので、私の回りでは「みなおうち」と呼ばれていました。が、決して私が発明したものではありません。
また、最終段が左から右に移動するときは下のような二段打ちを使っていました。
右下から2段づつ、左に消していく。
この後良くやったゲームは「ヘッドオン」、名前をわすれた
MI-E25DCで描きました
こんなゲームとか、「パックマン」よりも「ムーンクレスタ」を良くやっていましたが、そんなゲーム熱も高校二年生の頃にはすっかり醒めて、そのあとは、あまりはまったゲームはありませんでした。(決して、絵を描くのが面倒くさいので略したわけではありません(^^;)。)
おしまい・・・。
[ハンドル名の由来]
ハンドルは「たろサ」で通しています。よく、「たろさ」「たろさん」「たろう」「たろうさん」等のハンドルの人がいますが、区別が付くように、「さ」をカタカナにしています。由来は、大学時代の愛称が「太郎」で、みんなから、「たろうさん」もしくは「たろさん」と呼ばれていたので、それをそのまま付けてます。
●何故に太郎?
何故、愛称が「太郎」かといいますと、大学に入ったときに、「三七男」という名前が読み辛かったので、名字が「山本」なので、曾野綾子の「太郎物語」の主人公が「山本太郎」だったので、そこから、引用されました。
●何故に曾野綾子?
何故、曾野綾子の「太郎物語」が出てきたかというと、たまたま、NHKの番組で私が大学に入学した年に「太郎物語」というドラマをやっていたので、そこから、発想が出たのでした。 これで歳がわかる人は結構歳だ。
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