『土用の鰻』の巻


 世はまさに夏の土用で、こんな時に鰻の話を書くなんていうのは、あまりにもお約束すぎて気後れがしちゃうんですけど、そんなことはどうであれ、私が鰻を好きなことは事実です。今年の土用の丑の日もきちんと鰻を食べました。
 今年は土用の丑の日が二回ありますので、もう一度鰻が食べられると思うと嬉しいですね。

 べつに、土用の丑の日でないと鰻を食べちゃいけないということは無いのですが、鰻というのは安いものではありませんから、きっかけというか、何か自分を納得させる理由が無いと、なかなか財布の紐が緩みません。その点、土用の丑の日というのは、『うん、今日はまぁしょうがないな・・』と、財布に口を開かせる立派な理由になりますね。

 土用の丑の日に鰻を食べてスタミナをつけるというのは、平賀源内が言い出したという説がありますが、夏ばて防止に鰻を食べるというのは、遠く万葉の昔から行われていた様です。
 でも、なんとなく漫然と『夏ばて防止には鰻』というよりも、『土用の丑の日』と特定した方が、浅草寺のほおずき市などのお寺の縁日の様に、普段の何倍も御利益がありそうな気がしますよね。すぐに世間に右へ倣えをしたがる日本人の国民性もうまくついていると思います。さすが江戸のダ・ヴィンチと言われた平賀源内ですね。

 鰻の食べ方というと、蒲焼というのがもっともポピュラーだと思いますが、多分昔は、今のように開いてタレに漬けて焼くというスタイルでは無かったのだとと思います。

 蒲焼の『蒲』というのは、ガマの穂のことです。ガマの穂というのを見たことがありますか?ちょうど、遊園地やお祭りの屋台などで売っている、ソーセージを芯にして周りにホットドッグの生地を付けて揚げた、アメリカンドッグの様な形をしています。色は、もうちょっと黒っぽい褐色で、良く熟さないうちはかなり固いものです。これが熟すと、はじけてフワフワの綿をまとった種が風に飛ぶ様になります。これが、ワニ鮫に皮を剥がれた因幡の白兎が、大国様に教わって傷の手当てに使ったガマの穂綿というやつですね。

 鰻をぶつ切りにして串に刺すと、ちょうどガマの穂の様な形になります。蒲焼はそもそも、この様な形で焼かれていたのではないでしょうか?
 鰻は独特の臭みがありますから、それを消すために、濃い味のタレに漬けたのかもしれません。もっとも、最近の鰻はほとんどが養殖で、泥臭い様なところで育つわけではないでしょうから、臭みも少ないようです。

 現在では、鰻の蒲焼きは、鰻を開いてから串を打って焼く様になっていますが、関東が一度蒸してから焼くのに対して、関西の方では蒸さずに焼くという違いがあるそうです。
 私は、子供の頃は関東と東北の境界に近いところで育ったのですが、父親が近くの川から鰻を取って来ると、母親がそれを料理していました。全くの田舎料理ですから、蒸したりするような手間はかけずに、開いていきなり焼いちゃうという様な感じでした。焼くと身が縮んでしまって、皮も固くなっていましたが、ギュッと凝縮された濃い味がしていた様に思います。今は、蒸して柔らかい関東風の鰻も好きですが、時々昔のような鰻も食べてみたくなります。

 自宅で鰻を食べる時には、スーパーなどで蒲焼になっているのを買って来るのですが、私の場合はそれを酒の肴にする都合上、なかなかボリュームタップリの鰻丼というわけには行きません。
 しかし、鰻の蒲焼きは、御飯があってこそその実力を発揮できるのですね。鰻とタレの染みた御飯がほどよく口の中で混じりあわないといけません。この点は、寿司のネタとシャリの関係に似ていると思います。
 一度寿司屋で、ネタとシャリを分離させて、別々に箸でつまんで食べている女性を見たことがありますが、なんでああいうことをするのか理解に苦しみますね。はっきり言って無性に腹が立ちました。黙ってましたけど・・・。

 鰻丼は食いたし、腹いっぱいになってしまっちゃ酒が飲めなくなるしという板ばさみで、私は御飯の量をきわめて少なくした鰻丼を作ってもらって、それをチビチビとつまみながら酒を飲むわけです。死ぬ前に一度で良いから、御飯を山盛りにした鰻丼を腹いっぱいかき込んでみたいと思います。

 鰻の蒲焼きが残ったら、細く切ってゴボウのササガキと一緒にタレで煮て、玉子でとじれば柳川鍋風になって、御飯のおかずにも酒の肴にも結構なものです。是非三つ葉を添えて下さい。それから、蒲焼のタレが残ったら、フライパンでハムなどを焼いてまぶすと、なかなか良く合います。蒲焼のタレで炒飯を作ったら美味しいんじゃないかと思っているのですが、これはまだやっていません。

 土用が過ぎると、秋の風が立ちます。


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