『春の野山の御馳走』の巻


 いらかの波の上に、鯉のぼりが元気に風を食べて泳ぐ季節になりました。この季節、ふと気がつくと我家の狭い庭もいつのまにか雑草に埋め尽くされており、草むしりシーズンの幕開けを知らされます。
 雑草というのは、人間が勝手にそう呼んでいるだけで、当の草達にしてみればせっかく生えたのをむしられてしまうというのははなはだ迷惑に思っていることでしょう。でも、こちらも自然は大事にしたいと思っているとはいえ、庭を雑草(あっ、また言っちゃった。ゴメン。)だらけにしておくわけにも行きませんので、ひとつ勘弁してもらいたいと思います。

 一般的に、人間が意図しないところにかってに生えてくる植物を雑草と呼んでいるのですが、その中でも食べられるものは野草や山菜と呼ばれて、ものによってはかなりの好待遇をうけることになるわけです。
 私も、野草、山菜のたぐいは大好きで、わざわざ山の方まで出掛けたりはしませんが、近所の野原や薮などを歩いて、けっこう晩御飯のおかずや酒の肴になる位は毎年収穫しています。

 山菜の王様と言いますとなんといってもタラの芽でしょうが、タラの木は深山幽谷という様なところにはあまり生えません。人里に近い下刈りされた山などに良く自生し、新興住宅街などでも、野原や薮などで見かけることがあります。
 慣れると、地形、日当たり、他に生えている植物などによって、タラの木が生えそうなところがなんとなく分かるようになって、『この辺にはありそうだなぁ・・』と思って探すと見つかることが良くあります。

 タラの芽は、親指大程度のごく小さなうちに摘んで食べた方が良いという人もいますが、私の場合は掌くらいに大きくなったものの方が好きです。大きくなると山菜独特のえぐみが強くなりますが、慣れるとそれが美味しくなるんですね。タラの木や芽には棘がありますが、天ぷらにしてしまえば気になりません。

 近所の野原などにもよく生えている山菜としては、コゴミなどもあります。シダ類の新芽で、葉が開ききらずに丸まっているものをおひたしなどにします。ゴマで和えたり、マヨネーズをかけたりしても美味しいものです。

 山あいの湧き水のほとりや、田んぼの用水路の縁などには、芹やクレソンが生えています。花冷えのする晩に、芹のおひたしでぬる癇を一杯なんていうのはこたえられませんね。芹を摘むついでに、びー玉の様な地下茎をつけたノビル(野蒜)を引抜いてきて味噌をつけると、これも良い酒の肴になります。ノビルはネギやニンニクの仲間ですので辛味がありますが、さっとゆがくと甘味が出てマヨネーズなどでも美味しく戴けます。

 他に、ヨモギやカラスノエンドウなどは、どこの空地にも生えていますので、新芽を摘んでくれば天ぷらにして食べられます。

 しかし、タラの芽やコゴミなど、10年ほど前は近所を自転車で一時間ほど一回りすれば、けっこう2〜3回ほど食べられる位は採れたものですが、最近はめっきり無くなってしまいました。原因は乱獲です。
 タラの芽などは、二番芽までは摘んでもまた生えてくるのですが、それ以上三番芽や脇芽まで採り尽くしてしまうので、木が枯れてしまいます。もっとひどいケースでは、木を途中から切って行ってしまう人もいます。

 そんなことをすれば、来年は自分ももう採れなくなるのは分かり切っているはずなのです。これはもう、『自分さえ良ければ』を通り越して『今さえ良ければ』という刹那的な思想が蔓延しているということなのでしょう。春の恵みの御馳走を味わいながら、地球の明日をちょっとほろ苦く考えるのでした。


戻る