『竹の子キャンディー』の巻


 特に好物というわけではないのですが、毎年必ずどこからか竹の子が到来して、春の味を味あわせて戴いています。今年もまだずいぶん早い時期にご近所から頂戴して、煮物や竹の子ご飯にして戴きました。

 竹の子は、筍とも書きますね。旬というのは、上旬、中旬というように一月を三つに分けた十日間のことを指しますので、わずか十日ほどの間に竹になってしまうという成長の早さがこの字からもわかります。
 どちらの字が正しいのかは知りませんが、筍の方はなんとなく学術的というか、植物学的に見る場合に合いそうな感じがします。食材として捉える場合は、竹の子の方が似合うと思うのですが、いかがでしょうか?
 玉子と卵も同じような関係で、茹で卵と書くよりも、茹で玉子の方が美味しそうだと思いませんか? 茹でた孫だとオカルトです。

 さて、私が小さい頃は、台所の勝手口あたりで竹の子の皮を剥いていた母親が、よく竹の子の皮に梅干しを漬ける時に入れた紫蘇をはさんで二つ折りにしたものを渡してくれました。それをくわえてしゃぶっていると、紫蘇に染みた梅酢がしみ出してきて、竹の子の皮がだんだん紅く染まって来たものです。

 先日、竹の子の皮を剥いているときにそんなことをフと思い出して、30年ぶり位に同じようにしてやってみました。

 こういう子どもの頃の記憶というのはたいてい美化されていて、何十年かぶりに同じ物を食べたりすると記憶とのギャップにがっかりすることが多いのですが、この竹の子キャンディーは久々のヒットという感じでした。

 口にくわえても最初はなかなか味がしなくて、じょじょに染み出して来るという絶妙のもどかしさ。梅酢と紫蘇の酸味に若い竹の香りがプンと効いて、思わずチューチューとしゃぶってしまいます。そのうちに竹の子の皮がふやけて柔らかくなってきて、桃色から紅く色が着いて行きます。
 最後は、紫蘇の味が無くなってしまうのですが、かすかなしょっぱさが紅くなった竹の子の皮にいつまでも残っており、なかなかしゃぶるのを止める決心がつきません。最後は皮をガジガジと噛んでおしまいになります。

 子どもの頃印象に残っている味と言いますと、竹の子キャンディー(って、勝手に呼んでますけど、正式名称は何ていうんでしょうか、あれ??)の他には、炊き上がったばかりのご飯に、母親が生味噌をまぶしてくれただけの握り飯などがあります。
 こちらの方は竹の子キャンディーの様な季節商品でありませんので、作ろうと思えばいつでも作れるのですが、あえてやってみるのも野暮という様な気がしますね。そっと記憶の中に置いておいた方が良いのかもしれません。


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