私説ヤマト論 その8


第9話「回転防禦 アステロイドベルト」

この回は、あまりこれといってきわだってはいないのですが、ヤマト全体としては極めて重要な意味を持っている話なのです。もう皆知っていると思いますが、ヤマトは企画段階では「アステロイドシップ」つまり常にこの話ででてきたような岩盤を周りにつけた姿になる予定でした。それが変更されて現在の姿になり、この話はそのなごりとして作られたのです。つまり「これがヤマト本来の姿」なのです。えー、このセリフ、この話の中で出てきましたね。そう、ヤマトが岩盤を回してガミラスの攻撃をかわしているとき古代が「これで戦闘かよ、じれったい」とぶつぶつ言うのを聞いた島が「守りも完全である必要があるんだ。考えてみればこれがヤマト本来の姿なんだな」と言ったのでした。このセリフにはヤマト全ストーリーを通してのテーマがあります。ヤマトは元々「人類」という種を残すためのノアの方舟だったのです。スターシャのメッセージにより「コスモクリーナを取りにいく」と目的は変わりましたが、それでもあくまで「人類を守る」為の艦であり、決して「ガミラスと戦う」ための艦ではなかったのです。もっとも、「攻撃は最大の防禦」とかのために、波動砲を初め多くの武器を持っていますが、守りが完璧ならそれらの武器は全く不要なのです。それなのに、その辺の人に「ヤマトの武器は」と聞くと「波動砲」とか「ショックカノン」とかばかりで、「アステロイドシップ」というのが絶対出てこないのは残念な限りです。(もっとも、最近は「ヤマト?そんなん知らん」というようなパターンが増えてきたようですが・・。)
しかし、この段階でヤマト乗員がこの思想を持っておきながら、第24話でガミラスを滅ぼし、そのあとで後悔するはめになったのことは大変残念なことです。ですが、だからといってどうすべきであったか、というのは作品内で語られておらず、視聴者への課題として残されています。このあたりヤマトのメインテーマの1つですので、皆さんもヤマトファンの一員として考えてみて下さい。もうあまり言いたくもないけど、何もわかっていないくせに「自分が原作者であり、ヤマトの何たるかは・・」といいつつ、パート3で「参戦章」をヤマトにつけた某プロデューサを誰かなんとかして下さい。(ちなみに、また続編をつくるそーな)
不愉快なことを思い出したので、話題を変えよう。
さて、この話で僕が大変気に入っているシーンは、シュルツが体当たり宣言をした時、ガンツが「お供します」と歯をくいしばって言った所です。また、そこまでの過程の描写も大変面白いと思います。ガンツのそれまでの言動を見ていると、出過ぎた・・というか、とにかくシュルツを出し抜こうとするような箇所がチラチラ見えていました。たぶんシュルツのことをあまりよく思っていなかったのでしょう。それが、特攻の演説を聞いて「どこへでもお供します」の言葉がでてきたのです。このへんの真理状態・・恐ろしいですねぇ。太平洋戦争の際、多くの若者が同じような一時的な感情の高揚と心理状態で散ってゆきました。こんなことは今でもよくありますよ〜。一時的な感動のために宗教に入る者、政治家に傾倒する者・・。かなたも熱しやすいアニメファンなのだから気をつけないとだめですぞ。え〜、話しがそれてしまいましたが、その点シュルツは大したものだと思います。彼は自分の意志で特攻を選択したのだし(周囲の状況に強制されたということとは別に)、また周りをそれに引っ張っていく力を持っていたからです。さすがは一つの作戦を預かる長官だけのことはあります。彼はおそらくデスラーに帰還を禁止されていなくても、いずれは同じ道を辿ったでしょう。見上げた人物です。ここで僕が特攻を肯定するようなことをいうと、右翼的だといわれるかも知れませんが、僕にはそれが不思議なのです。愛する人のために命をかける映画は感動を呼ぶのに、愛する人がいる国のために命をかける・・とかなると軍国的だとか右翼的だとかなるのです。僕はそれが本当に自分の意志である限り大いに賞賛すべきだと思います。もちろん、強制されてとか、そういう教育を受けてきたとか、国とはなにかといった問題は別にあります。しかし、「国の為」となると無条件に眉をしかめる今の風潮はどうかと思うのです。
少し難しいことを述べましたが、この辺は「宇宙戦艦ヤマト」を考える上で重要な問題となりますので、そして実生活での種々の問題とからんできますので、あなた自身で考えてください。まえからしばしば書いていますが、自分で考えることは最も大切なことです。周りの意見を聞くことも大切ですが、すぐにふらふら動じることのない自分の意見というものを持ってください。せっかく「ヤマト」というすばらしい作品に出会ったのだから、それを取り入れて、生活の糧にしてください。 ・・今回はマジになってしまった・・