モモファン達から寄せられたメール −続き−



発信者:ちいはしさん
住んでるとこ:大阪府
発信日:98/10/21

こん○○は、大橋と申します。
初めてメール致します。
私は宝田さんと同じく、空モモをリアルタイムでファンになった者です。
初めてモモのページに出会ったのが宝田さんのページでした。
パソコンを持っていなくてワープロで通信している私にとってこのページは
複雑な(凝った)ペ一ジではないので快適に見る事ができて良いぺージです。
そしてユ一モアもあり楽しく見させていただいてます。私もモモ歴は15年・・・。
ただ、全くアニメ自体に興味がなくなった時期もありますが。
ただ、当時は私もデチョンパつけてモモのトレーナ一を着て、ミンキ一
ステッキを振っていた周りから白い目で見られていた高校生でした。
玩具は全て持っていましたよ、編み機まであリましたから・・・。
ただ、興味がなくなった時期に子供に全てあげてしまいましたから、今では
後悔してもしきれません!
現在はグッズをさがすのに力をそそいでいます。
持っていたデチョンパや魔法のプリンセンセスオルゴールを探しているのに
見つかリません。
バカですね、持っててもしかたがないのにと思いながら・・・。
ページの更新を楽しみにしています。
ではまたメールします、今日はこの辺で・・


発信者:妹○朋○さん
住んでるとこ:滋賀県
発信日:98/12/3

僕はフェナリナーサのモモのほうは、小さかったのであまり記憶にないの
ですが、「ラブラブミンキーモモ、お願い聞いて」っていうフレーズは頭の
すみに残ってました 。マリンナーサのほうは、僕が中学生ということで、
周りの目が気になって、たまにしか見られなかったんですね。でもアニメー
ジュ編のロマンアルバムを新旧両方買ってその内容に触れるにつけ、モモの
すばらしさがよく分かりました。純粋に子供に夢を与えるっていうのは、今の
時代、特に大切ですよね。僕は来春就職活動ですが、バンダイとかの玩具メー
カーに行きたいと思っています。何か最近のおもちゃって女子高生とかアニメ
ファンとかゲーマーとかを対象にした物が多くて、何だか子供がかわいそう。
僕は、子供の笑顔を増やすことを目的とした仕事がしたいです。そういう意味
でもミンキーモモ第三作の登場が待たれる所ですね(笑)。1982年、1991年ときた
ので、次は2000年・・・おお、再来年だ!!次のモモは森の奥のフォレストナーサ
とかがいいな。環境問題とかもからめて。
ドイツ大好き妹〇朋〇


発信者:サンドルさん
住んでるとこ:韓国
発信日:99/1/15

ミンキー宝田さんへ
始めまして。
私はミンキーモモが大好きな韓国人です。
ハンドルはサンドルを使っています(サンドルは韓国語で
“サンドルバラム”のイニシャルで、意味は“微風”です。)
ある日、ミンキー宝田さんのホームページを偶然みました。
そして、ミンキー宝田さんの「原著論文:僕はミンキーモモが好きだ」を
見て、“私と同じだ”と思いました。
私がモモをしった時は小学校のところです。今から十七年も昔かな。
韓国では“空モモ”の全シリーズが放送されなかったんですが、
やはり、モモの死はショックでしたね。
(未放送分はすべてLDで購入しました。まだ、それを見る時間が
なかったんですが。)
そして、宝田さんの論文を韓国語で飜訳し、韓国のパソコン通信の
アニメーションの同好会へ紹介しました。
その後、いろんな人から“宝田さんの論文を見て感動した”と言う
メールやメモを受け取りました。
それで、宝田さんにお願いしたい事があります。
宝田さんの素晴らしい論文を私のホームページに掲載したいです。
もちろん宝田さんの論文の韓国語の飜訳版を載せるかと思っていますが。
もし、宝田さんが“そんなことは許せない”とおっしゃいましたら、
論文のホームページの掲載をしません。
ですから、宝田さんのご意見を知らせて下さい。
なにとぞお願いします。
私のホームページのアドレスは“http://hey.to/breeze”です。
まだ、テスト中ですが。
私の日本語がまだ下手なので、
‘宝田さんに失礼な事をしてるんじゃないかな。’と
そんな気がします。^^;
もし、そしたら、ごめんなさい。
では。
敬具

サンドルさんが翻訳して下さった韓国版論文は ここ で公開して頂いています。
(ハングル文字フォントのない環境では読めませんので、ご注意。)


発信者:かとけ〜さん
住んでるとこ:愛知県
発信日:99/2/10

どうもはじめまして、宝田さん。
そうなんですか...前作(というか、小山茉美さんが声の担当だった作品)
のことを<空モモ>って言うんですか...
私も同じ思いを持っている者として、大変共感しました。
まず<空モモ><海モモ>という分け方自体が気に入らなかったんですよ。
絵も違うし、声も違う。
同じモモって言う名前すら気に入らなかったんです。
まったく別物でやったなら多分見ただろうけど...。
支離滅裂な文章で申し訳ありません。
とにかく初代(と言うのもおこがましい。)モモしか見えないと言う、
宝田さんに一言言いたくてメールした次第です。
失礼しました。


発信者:里中楓さん
住んでるとこ:東京都
発信日:99/2/10

 初めまして、里中と申します。
 ミンキー宝田さんのミンキーモモのページからやってまいり ました。
 里中の机の上のペン立てには今でも月刊OUTの付録だった モモのシールが貼ってあります。
 しかし15年という歳月はシールのモモのピンクの髪を少しず つ色褪せさせて行き、里中もモモのことを思い出すことは少な くなって行きました。
 先日アニメイトに行ったとき「再放送してほしいアニメは?」 というアンケートをもらったので迷わず「ミンキーモモの最初の やつ」と書いてきました。それから数日後です。ミンキー宝田さ んのホームページに出会ったのは。
 ミンキーモモは小山茉美さんのファンだったこともあって見始 めました。脚本が良く練られていて面白かった。モモが大人に変 身して問題を解決するという魔法もののお約束「以外」の部分に 魅力を感じていました。ドラマとして好きだったんですね。毎週 物語に入り込んで見ていました。
 ただ「夢のフェナリナーサ」の後も放送が続いたせいで最終回 を迎える頃は頭が混乱して何がなんだか分からなくなっていまし た。最終回がどんな話だったかさえ覚えていないのです。覚えて いるのはただ最後のエンディングを聴いて提供が流れて「おわり」 の止め絵が流れCMが始まり…。
「モモが終わった…」。
という悲しい記憶だけ。
 それからは少しでも胸に空いた隙間を埋めようと「仕方なく」 クリィーミーマミを観たりして…。
 ミンキー宝田さんの「僕はミンキーモモが好きだ!」を読んで 15年以上経ってようやくわだかまりのようなものが整理できまた ような気がします。
 「正統派」ミンキーモモファンのためのページ。看板に偽りなし ですね。
 素敵なホームページありがとうございました。
P.S.
 今日アニメイトで「魔法のプリンセス ミンキーモモ マジカル・ ボックス」 Part-1、 Part-2 を取り寄せ依頼してきました。里 中はこれらのLDの存在すら知りませんでした。ひたすら感謝です。 (だけどLDプレーヤー持ってない…)。


発信者:矮鶏さん
住んでるとこ:埼玉県
発信日:99/5/31

 僕もかなりのミンキーモモファンです。本放送の時には観ていなかった… というか、やっていたのすら知らなかったのです。でも今から思えばそれで 良かったんだと思っています。だって本放送の頃は、私はまだ小学生。とて もミンキーモモの内容を察することの出来る年齢ではなかったからです。
 僕が初めてミンキーモモをみたのは中学生の頃で、最初は別の時間帯にや っていたマジカルエミが面白かったので「あ、なんかまた魔女っ子モノがや ってるんだな」程度でしばらく観ていました。で、しばらくしてからのこと でした。まだ放送が序盤の頃に、ビデオレンタル屋に行きました。なんとそ こにはミンキーモモのビデオが列んでいたのです。別にどうと思った訳では ないので、全部みるのも面倒、ならいきなり最終回から借りてしまえ!って な感じでいきなり最後の巻を借りたのです。
 家に帰って観て仰天しました。今まで観てきたミンキーモモの内容とはか け離れた素晴らしい最終回。これで一気にミンキーモモに深い興味を抱き、 それ以外のビデオをレンタルするのを止め、毎回の放送を楽しみにして観て いました(とはいえ、非常に残念なことに、モモが死んだことはカジラのセ リフによってすでに知ってしまっていたのですが)。
 そして全部見終えた時、本当に感動という感情ものが支配しました。

 それからというもの、本当にモモという作品だけはどうしても忘れること が出来ずに過ごしてきました。作品の中に流れる夢や希望、そして優しさ。 辛いことがあり、挫折しそうになった時などや、自暴自棄になりかけた時、 生きている意味を見出せなくなった時、そんな時にフト、モモの作品を偶然 にも録画したビデオ等でみたりすると「ああ、そうだ。忘れていたよ。思い 出させてくれてありがとう」と作品に語りかけたくなったものです。それは 夢をみる純粋さ…そしてモモの持つ優しさを支える「強さ」に感動したから ではなかったのではないかと思います。昨今のドラマのようなドロドロとし た雰囲気はなく、あくまで和やかな日常の雰囲気の中に見え隠れする姿だか らこそ感銘を受け、自分を奮い立たせたものです。たしかに立ち直る為に努 力をしたのは自分自身や、助けてくれた友人かもしれません。でもそのキッ カケとなってくれたのは、いつも「ミンキーモモ」だったように思います。

 今までも、ミンキーモモが好きという方々には何人も出会ってきました。 しかし、私のように実際に感銘を受け、そしてそれを忘れずに生きてきた人 はいませんでした。でも初めて出会いました、あなたのような人に。それが 凄く嬉しかったのです。自分以外にも、モモを忘れずに、モモの作品と共に 生きてきた人がいたんだな…と。

 先日「夢の中の輪輪」のビデオのパッケージを見た時に友人は言いました。 「お前、絶対に変だよ」。その友人はこの作品を観たこともありませんし、 内容も知りません。「内容?どうせくだらないんだろ」と言い放たれたこと はとても悲しかった。でもある意味、その友人は不幸だとも思えます。こん な素晴らしい作品を一生知らずに生きていくのですから。そう考えると僕は 幸せなのかもしれませんね。こんなに素晴らしい、一生、自分と共に生きて いける作品に出会えたのですから。

 突然のメール、そして長文&乱文、大変失礼致しました。ここまで読んで くださって嬉しい限りです。
 では最後になりますが、いつまでも夢を持ち、それに向かって努力する強 さ、そして人としての優しさを忘れずに頑張ってください。私も絶対に忘れ ずに頑張っていくつもりです。それでは失礼します。


発信者:うまづらさん
住んでるとこ:兵庫県
発信日:99/6/5

はじめまして、5年前の再放送を見てずっぽしモモに魅了されました。
僕は小学校2年のときに、モモを始めてみました。その頃クラスで流行っていて、 僕も見ていました。その時は、「ミンキーモモ」という話の内容も全くわからないで 見ていました。
それから9年後の高校2年まで、僕の記憶の中からモモは消えたままでした。 でも、そんなある日、学校の帰りにテレビジョンを立ち読みしていると、TV大阪の朝 のアニメでミンキーモモが再放送されているのをたまたま発見したのです。僕はとても懐かしく思い、次の日の話をビデオにとって学校に行きました。帰ってきてビデオを見ると、なんとまああの懐かしい曲が流れてきました。その日から毎日が楽しくてしかたありませんでした。
でも、しばらく見ているうちに、昔は理解できなかったモモのテーマである「夢」の ことを真剣に考えるようになり、「今の自分は夢を持って、毎日を一生懸命生きてい るんだろうか?」と思うようになりました。
しかしそんなある日、関西地方を予期せぬアクシデントが襲いました。そう、あの阪 神大震災です。 そんな中でもかろうじて回復したテレビにかじりついてモモを見ました。当時の僕に とってはそれほど、僕の中で占めるモモの割合が大きくなっていました。
そんなある日、学校から帰っていつものようにビデオを見ると、なんとペンダント が破壊されてしまい、大丈夫なのかと思いきや次の回になんとモモが事故で死んでし まうではありませんか。話は続いていましたが、赤ん坊になったはずのモモがいるのに、いるはずのない12歳のモモが新しいペンダントを持って活躍しているのでますます分からなくなり、激しいショックで放心状態が続きました。
学校に行っても勉強に手がつかず、友達と話をしていても上の空でした。しかし最終 的に、あのモモがなんだったのか、カジラはなんだったのかが分かり、悪夢を倒した瞬間、僕の心の黒雲も全て吹き飛びました。全てを見終わった時、気づかないうちに涙が出てきて止まりませんでした。
そして今、あの感動の日から5年が過ぎました。僕の心の中にはいつもモモがいて、毎日を生きていくエネルギーをくれます。モモに心から「ありがとう」と伝えたいです。こんな素晴らしい作品と巡り合えたことに感謝しています。これからも、いつも心に夢と希望を持って生きていきます。
えらく長くなりましたが、モモの素晴らしさを分かり合える人たちがまだ大勢いることを知って嬉しく思います。皆さんもいつでも心に夢を・・・・。


発信者:telecastさん
住んでるとこ:神奈川
発信日:00/3/25

突然すいません。
”なぜ 今ミンキーモモなんだ?”ってんで のぞいてみました。 実は、ミンキーモモって、、、描いてたくせしてみたことなかったんですよ。 なんか、抵抗あって。ってゆーか、自分が絡んだ作品も、そうじゃない作品も、 つまりはアニメそのものに抵抗が有った、みたいな(なんでアニメーターだった んだ?自分)。
takarada-sanは、旧作のファンでらっしゃるみたいですが、各所に著された文章 を拝見するに、よくぞここまで、、、とゆう感じです。なんか、今まで偏見が あったけど、、、見てみたくなりました。今更って気もしますが。自分が描いた カットも見てみたいし。(覚えてるかなー?)あの頃、毎晩遅くまで鉛筆握って たのは、18か19でした。もう20年もたつんですね。
Takarada-sanのホームページ見てたら、なんかすごいノスタルジックに陥って しまいまして。「ああ そういえば、モモのベストの胸の部分の膨らみに、 ”胸ではありません、タルミです” なーんてキャラ設に書いてあったなー」 とか 「そうそう、ママさんが好きで よく落書き用キャラにしてたなー」って 感じで、、、。若かったです。
今はふつーのサラリーマンやってますが、あの頃はめちゃめちゃ元気だった。 逆転イッパツマン、ミンキーモモ、まいっちんぐマチコ先生、、、うーんその他 いろいろ。
でも、今、改めてミンキーモモを見たい。あの頃全く見てなかったアニメを、最 近は割と抵抗なく見てるし、自分は変わってるんだって気づいたし。 なんか、 こんな気持ちは、ひさしぶりだ。このときめくような、せつないような、きっと その答えは、長年溜飲にしていた、ホントは気になっていたモモの中に有りそうな、 そんなきがします。
とりとめも 無い事ばかり書いてしまいました。申訳有りません。


発信者:telecastさん
住んでるとこ:神奈川
発信日:00/3/26

見てしまいました、DVD MEM BOX vol1 昨日仕事帰りに、買って、、、。 懐かしさって、実は無くて、、、新鮮さを感じます。 なぜなら、前述どうり 今まで見たことがなかったから。 もちろん、自分が描いたカット、覚えているものもありましたが、、、。 でも、恥ずかしいですね、へたくそで、、、ははは、、、。
あ、ending staff roll かなり嘘はいってました。(どうでも いいことだけど) それにしても、こんな作品だったんだ、、、けっこう面白いです。 かみさんの姪たち(小3&小5)が、なぜか先週、ミンキーモモの話をしてたんで、 「ああ、それねえ、俺も描いてたんだぜ」って 言ったら、信じてもらえなくて(あたりまえか、今はふつーのサラリーマンだし、あ の子らはまだ生まれるまえだし、staff rollに名前でてないし)  で、土曜だってのに、出勤してみたら、えらく暇。なんとなくネットサーフィ ン、、、。 まさか こんなにはまるとは、、、へへ、、、。
うううん、vol2ではいきなり自分のメイン作画、、、。早く出ないかなー。そうそ う、ナントカズ、って野球チームの話(見てないから知らんのですわ、ははは)。 それにしても 2話、メリージェーン、、、実に下手な絵でした、見てて恥ずかし かった。
今は当時のスタッフとは付き合いはありません。自分自身、最も恥ずかしい歴史でし たから。消してしまいたい経歴だったんです。自分でも忘れてました。
これからは、一般のファンとして、モモを見てゆきたい。そんな心境になりました。 改めて、モモに再会させてくれたtakarada-sanに、感謝。

ps それにしても、、、DVD4枚、24話一気で、朝になりました。つらいモンが ありますね。アニメ初心者には、、、。
   それでは、また、のぞきにきますね。