【ヒグラシの鳴く森で】
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『 ヒグラシの鳴く森で 』

 

 

夕暮れ。紫掛かった空の下、裏の森でヒグラシが鳴いている。
その哀しげな鳴き声を聞くと、ついあの頃を思い出してキュンと胸が痛くなってしまうのである。思い出すのは中学生の頃の夏、剣道部に在籍し厳しい稽古にもかわらず毎日の様に部活動に出ていたのは、同じ剣道部に在籍するお茶屋の娘が好きだったからであった。そもそも剣道部へ入部した動機がお茶屋の娘と親しくなりたいという当時の言葉で言えば「不純」なものだった。
 

剣道の稽古が終わり、お茶屋の娘が面を脱ぐと、その顔からは玉のような汗がこぼれ落ち、手ぬぐいを巻いた小さな頭の横には、少し大きめの耳が赤らんで見える。そてその可愛いさに、その愛しさに、私の胸は原因不明の痛みに襲われるのであった。

当時、サッカー部に在籍する菓子屋の息子が、私の親友なのであったが。皮肉な事に、彼もそのお茶屋の娘が好きだったのである。それはある夏休みの蒸し暑い午後の事である。いつもの様に菓子屋の息子の自宅で売り物の菓子をお盆に盛り、売り物であろうラムネを二人で勝手に飲んでいた。

すると漫画を読んでいた菓子屋の息子が、急に私の方に向き直ると、私がお茶屋の娘の事を好きだとは知らずに彼のその胸の内を私に話し始めたのである。そして自分の気持ちを、なんと私からお茶屋の娘に伝えて欲しいなどと言ったのである。

私は友情をとるか恋をとるか迷った。
が、その役を引き受ける事にした。いつもの様に剣道部の稽古が終わったある晩夏の夕暮れ、ヒグラシの鳴く体育館裏の森に、お茶屋の娘を呼び出し私は愛を告げた。しかし、それは菓子屋の息子の愛では無く、自分自身の愛だった。ところが一年先輩の剣道部員と交際しているという理由で、私は無惨に、しかも簡単にフラレてしまった。

暫くして菓子屋の息子には「彼女には好きな奴が居る」とだけ伝えた。彼はたいそうガックリしていたが、それ以上に私の心の痛みは大きかった。そう、愛と友情を一度に無くしてしまった様な気がしたのである。それ以来、剣道の稽古は休みがちになり、寒稽古の前には退部してしまった。

 

そして春。

ブラスバンド部に入部した私は、
ホルンを吹く工務店の娘に恋をしていた。
 

 



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