黄色い声
AOWAOW Essay.


 

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【セブ島の子供達を学校へ】



  • File 1【黄色い声】

    最近街を歩いていると夜中にも関わらず、やたらと「黄色い声」がこだましている。これがコンサートやライブ絡みだと、これまた当然の様に、黄色い声が飛び交っている。しかし、どうして声が「黄色い」のかと、ふと疑問に思ったのであった。

    私は物心ついた頃から「ふと疑問に思った」事をほってはおけない性分なのだ。確かにある特定の色からある種のイメージを連想することは心理学の分野でも一応説明はされている。例えば「腹黒い」は、黒という色に悪いイメージがあるからだと言うのだ。しかし「ふと疑問に思った」事をほってはおけない性分なだけに「疑い深い」のも事実である。

    黄色にも「初々しい」「明るい」という様なイメージが有ると言われている。ここで「幸せ」をイメージした人は映画の見過ぎであろう。ついでに「木綿」とくれば「ハンカチーフ」であろう。すまん脱線してしまった、これではただの連想ゲームだ。

    他にも、別に赤いとは思わないのだが、他人の事を「赤の他人」と言うし、アヤシイ胡散臭い事などは「灰色に包まれている」などと表現する。しかし色のイメージだけでは無かろうと調べると「黄色い声」とは、ナント中国の漢語から来ている様なのだ。「黄」と言う漢字には春秋戦国時代から「ただごとではない」と言う意味があったそうである。その影響で「黄色い声」=「ただごとでない声」となったそうだ。しかし明治以降、一般的に漢文はあまり読まれなくなったので、元の漢字の意味を大衆は忘れてしまったと言う事である。やっぱり調べてみれば、それ相応 の理由というものが有るものである。

    「腹黒い」と「赤の他人」も何故ゆえそう言うのかを一応は調べたのだが、すまん、これらは結局よく判らなかった。「腹黒い」はやはりイメージから来ているのだろうか、何か他にも理由がある様に思えるのだが。判らないからそう「灰色に包まれたまま」なのである。これは使い方がちょっと違うな。 「灰色」は調べなくとも私にも大体は予想できる、白黒ハッキリしないから混ざってしまって「灰色」なのであろう。英語でも「GRAY」と言う。残すところは「赤の他人」であるが、本には「赤」は他人であることを強調する修飾語だと書いてあった。

    「修飾語」とは、上にある言葉が下に来る言葉の意味をせばめて、はっきりさせる言葉らしいのである。つまり、「赤」は「明るい」「明かなこと」という修飾語なので、「明かな」という意味で「他人」の上にくっついているそうだ。なるほどそうか、それで「まっかなウソ」と言うのだな。それでは「明らかに自分である」というのは「赤の本人」だな。 明らかに自分のウンチであれば「まっかなクソ」か・・・。すまん、下品になってしまった。

    他にも「青息吐息」というのもが有る。実はここだけの話しだが、今まで「青色吐息」だとばっかり思っていたのであった。でも、「青色」の方が「青息」よりも感じが出ていて良いと思うのだ。とは言っても学生時代「切磋琢磨」を「切磋豚磨」と書いてしまい、先生に「豚を磨いてどうする」と言われた私が言っても言い訳にしか取られないのが悲しいところではある。

    さて「青息吐息」であるが、・・・すまん、調べるのが面倒になってしまった。私は面倒な事が、世界一キライなのである。唯一の欠点だと自覚している。「ふと疑問に思った」事をほってはおけない性分で、疑い深く、面倒な事もバリバリこなせる人間ならば、・・・・・今頃「学者」になっているのである。

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