【私は嘘つき2】
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【セブ島の子供達を学校へ】
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  • File 28【私は嘘つき2】


    【嘘は文化】

    月明かりに輝く小波

    夏の匂いのする夜の砂浜に、俺と彼女は座っていた。

    俺  「あんなに遠くにいる月が、波を渚に誘っているんだな

    女  「そうね、ロマンチックね」

    俺  「こんなに近くにいる君に、俺が誘われるのは当然だよね

    彼  「ほんと?」

    俺  「・・・うそ」


    わはは、嘘だ嘘だ、そんなことを本当にロマンチックに考えている奴なんているワケ無い。と、「詭弁の話術(ワニ文庫)」という本を読んで笑い転げてしまった。ちなみに「ほんと?」「うそ」は私が勝手に付け足した。男は必死に殺し文句を考えたに違いない。何かの本に書いてあったが、一番文章力をつけるにはラブレターを書けば良いなどと書いてあったのを思い出したが、やはり真剣みが違うという事であろう。そして策を弄する為に嘘を多用するのである。

    「私は嘘つき」 という文がエッセイのコーナーにあるが、読み返している内に、ふとこの人間社会に於いて「嘘」とは必要不可欠なものであるという事に気がついた。人間社会は「真実」と「虚偽」だけでは無い、様々な真実と嘘が絡み合い、時には「虚」さえも「真実」になりうるのである。そう、あの日本書紀や古事記とて、勝者の記録したものである限り、その内容が本当に真実か否かどうか判らないのである。

    そして我々が 日常生活を健全に送る為に「嘘」は必要なものである。「嘘も方便」とか「ものは言いよう」などなど、必要な嘘は最早「文化」なのである。人間の「欲」にはきりがないと言われている、確かに社会生活をするにあたって欲望を達成する為や、身に掛かる危険を回避する為に、自分以外の人間とのコミニュケーションが避けられない現代の社会生活には、かなりの「嘘」が必要なのである。

    【日常の嘘】

    私は、 時間をかけて一生懸命書いた文章にコメントを頂いた時なども「いやぁ、簡単ですが雑感を書かせて頂きました」などと嘘をつく事がある。しかし事実は簡単どころでは無く、私の文章にはメチャメチヤ時間が掛かっているのである。漢字を知らないので辞書で確認したり文法的に間違っていないかを調べたり、オマケにカナ入力なので英数文字でHTMLのタグを入れるのにもかなり手間が掛かるのである、最高35文字×20行程度で4時間も考えた事があるのだ。

    しかし、やっぱり 見栄というものがあるので「休み時間に丁度時間があったので、チョチョイと」などと、つい口から出てしまうのである。確かに休み時間に書いたのは嘘ではないが、実は三日分の休み時間を使って書いていたりするのである。だから日記など毎日スラスラ書いている人を見ると感心してしまう。いや・・・これも嘘ですな、「とても妬ましく思う」というのが正直な気持ちである。


    【嘘の種類】

    「嘘つき」には種類がある。 初めから相手をおとしいれようとする行為は「嘘」などとは言わず「詐欺」という。よくある話だがポスト用の表札を売りに来たセールスマンが郵便局員でも無いのに「郵便局から来たんですが・・・」などと話しはじめ、不審に思い「郵便局の人ですか?」と聞くと「いえ、ここへ来る前に郵便局へ寄って来たのです」などと言うあの詐欺紛いである。

    また、 相手を自分の得意な分野に引き込んで、議論などに勝つためのテクニックの嘘は「詭弁」などと称する。政治家や論客を目指す人達は皆、勝つために論法という名の「詭弁」を勉強するのである。

    善意から つく嘘や、良い結果を導き出す為の嘘は「方便」と言われている。またコミニュケーションの際に話を面白くする為の嘘を「脚色」という場合があるが、エスカレートしてくると「大言を吐く」という様に評価され、まったく事実からかけ離れてしまうと「虚言」となり、それらが周囲に認知されると、いきなりランクが下がって「でたらめ」や「法螺(ほら)吹き」になってしまう。


    【嘘の活用】

    そして我々が 日常的にスムーズな社会生活を送るための「手段」としての「嘘」にも多彩な種類が有るのである。まず「注目を集めたい」という幼児的な欲求を実現させる為の手段に「嘘泣き」があるが、これはよく女性の使う手段である。幼児的と分類したのは、それがエゴイスティックな心理から来る嘘である為で、幼児が「かまってほしい」という潜在的な意識から痛くも無いのに泣き叫んだりするものと同じ行動、同じ嘘だからである。女性の場合「嘘泣き」は、かなりの効果を期待出来る武器になりうるのである。

    多少の失敗ならば この嘘泣きで同情をかって帳消しにする事が出来る。しかしこれにはある程度外見的な「容姿」というものにも効果が左右される。容姿が伴わない場合には次の手段「責任転嫁」という嘘が使用される。「○○さんが・・・」「私、知りません」という様に責任を自分以外の人に転嫁させて身を守るのである。統計的に見ても断然女性の方が日常的に嘘をついている。(統計的という言葉を使うと説得力が増しますな、勿論統計は未確認で嘘ですが)

    また周囲との協調性 を保ちながら自己を防衛する為にも小さな嘘はかなりの割合で言葉に挿入されている。例えば上司に「今度の日曜日に取引先での説明会に出てくれんか」と言われれば「是非行かせていただきたいのですが」と嘘をつき、結婚式など無いのに「友人の結婚式でスピーチを頼まれているものですから」と言いながら、壁に掛かっているカレンダーを見て今度の日曜日が仏滅では無いか、冷や汗をかきながら確認したりするのである。そうそう、皆さんもズル休みをする為に親戚を何人か殺してしまった方も多いのではないだろうか。私などはもう全員殺してしまって、本当の親戚が逝った時に困ってしまい、新たに別の親戚を作って殺した程である。

    また友達同士のレベルでも 、誘いや用事を断ったりする際に「つき合いが悪い」などと評価されない様に、なるべく協調しようとする為に「嫌だ」という直接的な表現を控えて、「ちょっと用事が、なはは」などという「歯に衣」的な小さな嘘も結構使うものである。


    【嘘に染まる】

    自分が周囲から良く見られたい というナルシズム的段階の嘘だけなら、健全な社会生活を送る事が出来るのだが、あまりに協調性を気にする様になると嘘の度合いも過剰気味になり、かえって本音で話すことが出来なくなってしまう様になる。そうすると危険信号である。

    次に、協調性を保つ為に 次第に小さな嘘がエスカレートしてしまったり、慢性化してしまうと、今度は本音で話す事が無くなってしまう場合がある。特に組織的に強要されるような嘘に染まってしまうと、時として「自己嫌悪」に陥ったり、自分が傷つくのを避けるためにつき合いが悪くなり、嘘を見透かされるのではと人の視線を気にする様になってしまい、ついには「対人恐怖症」にまで発展するケースも見られる。

    それ以上になると 、逃避のメカニズムが働き、自分自身が嘘をついている事さえ自覚出来ない様になる場合も有り、もっとも危険である。やがて自分自身の嘘を信じる様になり、現実との境がハッキリとしなくなると「妄想」の領域にまで達してしまう事もある。


    【健全な嘘】

    健全に嘘をついている分には その様な心配は無く、現状で円滑な人間関係を維持しているのなら、アナタは「正常な嘘つき」である。ちなみに社会的にも認められ人望厚く誰からも信頼されている人は「大嘘つき」である。そして政治家・科学者・芸術家などに至ってはもう「嘘つきマスター」の称号を与えても良いであろう。とにかく「嘘」は適材適所、上手に使いたいものである。

    最後に宣伝。 どの様にして上手に嘘をついたら社会生活に潤いを与え、信頼関係により良い影響と幸運をもたらすかをお知りになりたい方は、詳しく解説した私の著書「嘘の上級テクニック(角川書房・第三刷・税抜き1200円)」を是非ご購入頂きたい。個人個人を取り巻く環境、その時のシチュエーション、相手の心理状態によって使用すべき効果的な嘘と表現の仕方を詳しく解説している。(嘘)




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