【私は嘘つき?】

『嘘は文化』

月明かりに輝く小波。夏の匂いのする夜の砂浜に、俺と彼女は座っていた。


ほら、あんなに遠くにいる月が、じつは波を渚に誘っているんだよ


「そうなの?、
ロマンチックね」


そう、だからこんなに近くにいる君に、俺が誘われるのは当然だよね


「ほんと?」


「ほ、ほんとさぁ、君は海で僕は浜辺の砂だよ。月に導かれた波で浜辺の砂は海へと誘われていくんだ」

 

わはは、嘘だ嘘だ、そんなことを本当にロマンチックに考えている奴なんているワケ無い。男とは、何とか彼女と深い仲になりたくて、必死に「くどき文句」を考えるものなのだ。

何かの本に書いてあったが、一番文章力をつけるにはラブレターを書けば良いそうだ。やはり言葉に対する「真剣味が違う」という事であろう。そして男も女も策を弄する為に「嘘」を多用するのである。

この現代社会において「嘘」とは必要不可欠なものである。この世は「真実」と「虚偽」だけでは無い、様々な真実と嘘が絡み合い、時には「虚」さえも「真実」になりうると思うのである。そう、あの日本書紀や古事記とて、勝者の記録したものである限り、その内容が本当に真実か否かどうかは判らない。

そして我々が日常生活を健全に送る為には、「嘘」は必要なものなのである。「嘘も方便」とか「ものは言いよう」などなど、必要な嘘はもう「文化」と言ってもいいのである。

人間の「欲」にはきりがないと言われている、確かに社会生活をするにあたって欲望を達成する為や、身に掛かる危険を回避する為に、自分以外の人間とのコミニュケーションが避けられない現代の社会生活には、かなりの「嘘」が必要なのである。

【日常の嘘】

私は、時間をかけて一生懸命書いたメールや文章にコメントをもらった時なども「いやぁ、いいかげんで失礼かとも思ったけど、思った事を簡単に書いちゃいました」などと嘘をつく事がある。

しかし事実は簡単どころでは無く、私の文章にはメチャメチヤ時間が掛かっているのである。漢字を知らないので辞書で確認したり文法的に間違っていないかを調べたりしてかなり手間が掛かるのである、1通のメールに4時間も考えた事があるのだ。

まあ、そんなに時間をかけるのは、たいてい女性を口説く為のメールだが。

しかし、やっぱり見栄というものがあるので「素敵なメールありがとう」なんて言われると「休み時間に丁度時間があったので、チョイと」などと、つい口から出てしまうのである。確かに休み時間に書いたのは嘘ではないが、実は三日分の休み時間を使って必死に書いていたりするのである。だから日記とか毎日スラスラ書いている人を見ると感心してしまう。いや、これも嘘ですな、「とても妬ましく思う」というか「けっ、日記なんざ書けなくてもいいもんね」というのが正直な気持ちである。

【嘘の種類】

「嘘つき」には種類がある。初めから相手をおとしいれようとする行為は「嘘」などとは言わず「詐欺」という。よくある話だがポスト用の表札を売りに来たセールスマンが郵便局員でも無いのに「郵便局から来たんですが・・・」などと話しはじめ、不審に思い「郵便局の人ですか?」と聞くと「いえ、ここへ来る前に郵便局へ寄って来たのです」などと言うあの詐欺紛いである。

また、相手を自分の得意な分野に引き込んで、議論などに勝つためのテクニックの嘘は「詭弁」などと称する、よく相手を説得したり、納得させる為の嘘だ。「それじゃあ、君は▲●▲と同じって事になるじゃない?」なんて言うやり方だが、世の中、同じものなど無いのである。なので「たとえば○○だったら△△だろ?」と、話を他のものに例える奴ほど「詭弁」を使う嘘つきなのである。それが高じると政治家や論客を目指す人達の様に、勝つために「論法」という名の「詭弁」を勉強するのである。

善意からつく嘘や、良い結果を導き出す為の嘘は「方便」と言われている。またコミニュケーションの際に話を面白くする為の嘘を「脚色」という場合があるが、エスカレートしてくると「大言を吐く」という様に評価され、まったく事実からかけ離れてしまうと「虚言」となり、それらが周囲に認知されると、いきなりランクが下がって「でたらめ」や「法螺(ほら)吹き」になってしまう。

【嘘の活用】
 

我々が日常的にスムーズな社会生活を送るための「手段」としての「嘘」にも多彩な種類が有る。まず「注目を集めたい」という幼児的な欲求を実現させる為の手段に「嘘泣き」があるが、これはよく女性の使う手段である。幼児的と分類したのは、それがエゴイスティックな心理から来る嘘である為で、幼児が「かまってほしい」という潜在的な意識から痛くも無いのに泣き叫んだりするものと同じ行動、同じ嘘だからである。女性の場合「嘘泣き」は、かなりの効果を期待出来る武器になりうるのである。たとえ実際に泣かなくても「泣きそうな表情」だけでも男には絶大な効果が得られるものなのだ。

逆に怒ってもいないのに怒ったフリをするのも親密な間柄になった相手には効果がある、相手が自分に好意を持っていればいるほど「怒ったフリ」は「嫌われたくない!」という深層心理に働いて効果的である。しかし限度をわきまえないと、逆ギレされる場合もあるので注意が必要だ。

会社などでの多少の失敗ならば、この嘘泣き系で同情をかって帳消しにする事が出来る。しかしこれにはある程度外見的な「容姿」というものにも効果が左右される。容姿が伴わない場合には次の手段「責任転嫁」という嘘が使用される。「○○さんが・・・」「私、知りません」という様に責任を自分以外の人に転嫁させて身を守るのである。統計的に見ても断然女性の方が日常的に嘘をついている。(統計的という言葉を使うと説得力が増しますな、勿論統計というもの自体、嘘くさいものですが)

また周囲との協調性を保ちながら自己を防衛する為にも小さな嘘はかなりの割合で言葉に挿入されている。例えば上司に「今度の日曜日に取引先での説明会に出てくれんか」と言われれば「是非行かせていただきたいのですが」と嘘をつき、結婚式など無いのに「友人の結婚式でスピーチを頼まれているものですから」と言いながら、壁に掛かっているカレンダーを見て今度の日曜日が仏滅では無いか、冷や汗をかきながら確認したりするのである。そうそう、皆さんもズル休みをする為に親戚を何人か殺してしまった方も多いのではないだろうか。私などはもう全員殺してしまって、本当の親戚が逝った時に困ってしまい、新たに別の親戚を作って殺した程である。

また友達同士のレベルでも、誘いや用事を断ったりする際に「つき合いが悪い」などと評価されない様に、なるべく協調しようとする為に「嫌だ」という直接的な表現を控えて、「ちょっと用事が、なはは」などという「歯に衣」的な小さな嘘も結構使うものである。
 

【嘘に染まる】
 

自分が周囲から良く見られたいというナルシズム的段階の嘘だけなら、健全な社会生活を送る事が出来るのだが、あまりに協調性を気にする様になると嘘の度合いも過剰気味になり、かえって本音で話すことが出来なくなってしまう様になる。そうすると危険信号である。

次に、協調性を保つ為に次第に小さな嘘がエスカレートしてしまったり、慢性化してしまうと、今度は本音で話す事が無くなってしまう場合がある。特に組織的に強要されるような嘘に染まってしまうと、時として「自己嫌悪」に陥ったり、自分が傷つくのを避けるためにつき合いが悪くなり、嘘を見透かされるのではと人の視線を気にする様になってしまい、ついには「対人恐怖症」にまで発展するケースも見られる。

それ以上になると、逃避のメカニズムが働き、自分自身が嘘をついている事さえ自覚出来ない様になる場合も有り、もっとも危険である。やがて自分自身の嘘を信じる様になり、現実との境がハッキリとしなくなると「妄想」の領域にまで達してしまう事もある。

 

【健全な嘘】

というわけで、健全に嘘をついている分には心配する様な事は無く、現状で円滑な人間関係を維持しているのなら、あなたは「正常な嘘つき」である。ちなみに社会的にも認められ人望厚く誰からも信頼されている人などは「大嘘つき」と言ってもいいかもしれない。そして政治家や芸術家などに至っては、もう「嘘つきマスター」の称号を与えても良いであろう。とにかく「嘘」は適材適所、上手に使わなければならないのである。

上手に嘘をついて社会生活に潤いを与え、信頼関係により良い影響と幸運をもたらそうではありませんか。個人個人を取り巻く環境、その時のシチュエーション、相手の心理状態によって使用すべき効果的な嘘と表現の仕方を身につけてください。
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それではまた。

One for all,
all for one.

一人はみんなのために
みんなは一人のために
 

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