第0日目 1997年〜1998年9月13日


AERAを読んで

そもそも、「北朝鮮(以下共和国)に旅行に行きたい」、と思ったのは1997年の夏のことだった。毎週買っていたAERAを読んでいると、共和国への観光旅行の話が出ている。パスポートの有効範囲外から共和国が消えたのはもちろん知っていたが、まさか現実に旅行に行く手段があるとは思ってもいなかった。

あわてて、検索エンジンでAREAに出ていた旅行社を調べると出てきた。よろこんで問い合わせると、「最低2人からツアーを承っております」とのこと。どうやら、外国人が旅行する場合、2人以上でないといけないらしい。周りの友達に聞いても、みんな「行って来れば」とつれない。それはそうだろう、情報がほとんど入ってこない国の上に、隣の韓国だったら10回近く旅行できる値段(約25万円)がする。


中外旅行社

しばらくあきらめていたが、そういえばと思い、NIFTYSERVEの海外旅行に関するフォーラムで質問したら、共和国ツアーを扱っている「中外旅行社」を紹介してくださる方がいらっしゃった。

喜んで連絡すると、ツアー旅行なので一人でも参加できるし、タイミング良くチャーター便で行く共和国創建(建国)50周年記念のマスゲームを見るツアーまである、という。さらに、平壌-北京の国際列車で国境を越えたい、というお願いも通った。なんとラッキー、ということで手続きを進めていた。


飛行物体

忘れもしない1998年8月31日の正午頃、朝鮮半島から1つの飛行物体(この際、打ち上げロケットかミサイルであったかはどうでもよい)が、日本上空を通過する。
これが、なぜか9月2日にはチャーター便を止めてしまった(この時は運輸省に電話しようかと思った。旅行中に話をしていると、こう思ったのは私だけではなかったらしい)。チャーター便の運行のめどが立たずに、ツアーが中止になった。


代替ツアー

ツアー中止から1週間たった9月9日に、そろそろ預けていたパスポートと前払い金を返してもらうか、と中外旅行社に電話した。パスポートとお金を返してもらうとい話がすんだ。
「ところで、いつになったらツアーが再開されますか?」と聞いたら、「9月14〜20日に北京経由でやります」とのお話。とりあえず「行きます」と答えて、それから有給の再申請やら、仕事の段取りをあわてて済ます。


旅行の用意

共和国に行くと、もの珍しさから写真をたくさん撮ることになる、と聞いていたので36枚撮りを10本買う。実際にツアーに参加してみると見ると、一眼レフカメラに望遠レンズをつけてフィルム数十本の上に、ビデオカメラを片手に、という人が多かった。 念のためX線ケースも買ったが、これはフィルムを手荷物で持ち込んで、ゲートをくぐるときに、荷物から出しても何もいわれなかったの、必要なかった。
あとは、鞄に着替えを詰めたぐらいだった。ろくな用意をする時間もなく、どたばたしているうちに、あっというまに9月14日が来た。



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