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□■□『 Uボートとは? 』■□■


・潜水艦は、ドイツ軍によって第一次世界大戦で初めて大規模に使用され、第二次世界大戦では史上唯一の集団戦術による大潜水艦戦をやってのけたのでした。

・当時の主力だったUボートは、
   1、ディーゼル機関。
   2、電気推進機関。
の2つの機関で動くもので、現代の原子力機関で常に潜行活動できるものではなく、「必要なときにだけ潜行する船」または「潜ることもできる船」でしかありませんでした。

・Uボートは、水上と水中で活動するために2つの機関を次のように使い分けました。
 1、水上走行→ディーゼル機関。油(と大量の空気)を消費して動く(高速)。
 2、潜行中 →電気推進機関。水上走行中に蓄積した電気で動く、酸素は消費しない(低速)。

ディーゼル機関は電気推進機関よりも強力だが、当然のことながら大量の空気が必要な為、潜行中には使用できませんでした(つまり、Uボートは潜行中よりも水上走行中のほうが機動力が高く、スピードにすれば2倍ほど高い)。
また、潜行中に使用する電気推進機関は、数時間しか電池がもたず、電池がなくなったら水上走行でディーゼル機関を動かし蓄電する(2〜4時間)必要がありました。
つまり、とくに必要がないかぎり、低速で/機動時間が短く/電池の蓄電に時間がかかる潜水走行はせず、水上走行で活動するのが常でした。
(潜水艦の基本的な構造、なぜ潜行/浮上できるのか?といった技術的な説明は、かなりのUボート関係の本に説明されているので、ここでは省略します)。

・また、一般的に、Uボートは(潜水艦というものは)「潜れる」という能力が(穏密効果が)なければ単なる弱い船で、防御(受け身)より攻撃に適している攻撃兵器であり、一旦攻撃されると非常に脆い存在でした。
建造費も、同じ大きさの艦艇の数倍高つきました。
つまり、敵の攻撃を跳ね返す/反撃で敵を粉砕する能力はなく、潜行できるという穏密性を最大の武器として、目標に気ずかれずに接近し/敵の攻撃をかわし/敵に捕捉されない内に攻撃し離脱する「探知されない穏密性」が本領なのです。

穏密性の次にUボートにとってスピードが最も重要でした。
「水上速度」「水中速度」「浮上状態から潜行にかかる時間」。船団に追い付き/接近し、護衛艦の探知や航空機の奇襲/攻撃をかわし、素早く船団攻撃し、捕捉される前にすみやかに離脱する速度です。
Uボートがあそこまで成功したのも、「海に潜んで獲物を待ち伏せる(移動機雷)」という受け身的に思われていた潜水艦を、組織的な攻撃兵器として積極的に使用したからであり、受け身ではない攻撃兵器のUボートの攻撃/防御能力は穏密性とこのスピードにかかっていたのです。
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□■□『 Uボートの乗組員と生活 』■□■


・Uボートの乗組員は原則として志願者のみを採用し、健康良好者が条件でした。
乗組員は、苛酷な勤務の為(デーニツッは、彼らが不満や文句をいうのを特に禁止しませんでした)非常な忍耐と体力/精神力を必要とし、1つの運命共同体になることを要求されました。
三次元機動を要求され、一旦攻撃されると非常に脆い存在の潜水艦では、乗組員全体が適切に反応できないと即、生存性に直結するからです。
それゆえ高い士気と練度を誇っていましたが、43年後半以降 Uボートの損害が増大すると兵員の補充が志願者のみではまかなえなくなり、急速なドイツ潜水艦部隊の質低下をまねきました。

・船団攻撃任務に付くUボートは西部管区の指示に従って一定の海域に移動し哨戒・攻撃任務につきます。
個々の艦の船団攻撃任務期間は状況によって西部管区が判断し、魚雷を撃ち尽くした、任務に支障が出る損傷を受けたのでなければ約60日間で、その後修理/点検等で40日間の休暇が与えられました(戦況が悪化すると外洋40/港60日に逆転します)。

・一旦出撃すると 外界から切り離され、通信機だけで命令を受ける状態になります。
狭く、窮屈で(電力節約の為)薄暗い艦内で、慢性的な運動不足になります(敵襲警戒の為に限られた時間しか外に(甲板に)出れません。これも敵航空優勢が強化され水上航行すら困難になると、ほとんどできない状態になります。
・半睡眠状態で警戒。ベッドは交替制。 (とくに冬期は)艦内の空気は湿っており、濡れた衣服/靴は塩を吹き、艦内はカビが横行する。新鮮食料は最初の1週間以内に食べ尽くし、後は缶詰の長期哨戒による食欲減退や酒(反応力の低下、疲労増長のため禁止)も煙草(艦内では危険、艦橋か司令塔で)もほとんどできない生活が続きます。
・骨の折れる艦橋当直(見張り)は濡れて寒く(特に冬の激浪は小さなUボートを振り回し、屋根のない吹きざらしの艦橋にいる見張りは容赦なく波をかぶっていました)、水上航行時のUB司令塔の眼高は約5mで澄んだ大気中でも、船団等のマストの頂部は1〜1.2kmでの距離でしか視認できかったそうです。
・戦闘が始まると攻撃側に立てば商船(船団)の追跡/目標への攻撃。攻撃される側に立てば護衛艦によるはてしない雷爆攻撃による、緊張感と警戒心と1秒を争う反応行動による消耗と潜行中の酸素不足が乗組員にのしかかります。

・作戦中の故障や戦闘等で損傷した場合、できる限り自分達で修復します(いつ敵襲があるかわからない海上で(^_^;))。
水圧に耐える必要性から、かなり本格的な熱処理や溶接修理もこなす必要がありました。

・無事に帰投したUボートは約40日間修理/点検等でドック入りし、乗組員には休暇が与えられます。フランス西部の港町で”ヒゲもじゃで妙に顔色が青白い人間”を見かけたら、それは大概 帰投したばかりのUボート乗組員だったそうです。
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□■□『 Uボート、形式資料 』■□■

水上排水量 水上速力/水中速力 建造数
・I型A式(1) 862 18.0/8.3 
・II型A~D 式(2)
(沿岸/訓練用)
254~314 12.0~13.0/6.9~7.3 50
・VII型A〜C式(7)
(主力艦) 魚雷14本
626~769 16.5~17.5/7.6~8.0 710
・VII型D式(7)
(機雷敷設艦)
965 17.0/7.3
・IX型A〜D2(9)
(大型潜水艦)
1032〜1616 18.0~18.3/7.0~7.7 195
・X型B式(10)
(機雷敷設艦)
1763 16.7/7.0
・X IV型(14)
(Uタンカー)
1688 14.6/6.2 10
・XXII型(22)
(電気式潜水艦)
1621  15.6/16.8 164
・XXIII型(23)
(電気式潜水艦 )
235 /12.5 63
・XXVII型
(ヴァルター式)
320 72


・電気式潜水艦とヴァルター式以外は、排水量が大きいほど航続距離が長く(遠距離まで作戦でき)、戦闘時に素早い動きができないと解釈してください。
・当時の船団の航行速度は7ノット前後(高速船団の航行速度は10ノット前後)。
つまり、潜行状態だと船団に追い付けないということです。 船団の正面に、攻撃UBが全部位置していればいいのですが、船団はジグザク航行してますし、少しでも針路変更されると攻撃位置を変更しなければなりませんし、最初から集中していたのでは船団の発見が困難になります。
結局、水上走行で追い付く行動が必要ですが大戦後期になると、水上走行状態だと(特に船団の近く)すぐに探知され、航空機や護衛艦が来襲し、撃沈されないでも船団攻撃位置に付くのを阻止されてしまいます。
大戦後期、新型 Uボートを熱望し(生存性の向上と共に攻撃性の真価はともかく)、過大とも云える期待を抱いたのもわかる気がします。
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□■□『 Uボート、形式生産数表 』■□■


〜39年 40 41 42 43 44 45 ↓合計
1A
2A 31 17 50
7A 21 20 98 108 149 92 497
9A 13 40 52 56 24 195
10B
14 10
17A
21 62 57 119
23 31 31 62
27A 70 70
合計→ 63 50 145 167 212 283 100 1020


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  ■□■□■□■□■□ 『Uボート関連a』 1997.5.1 □■□■□■□■
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   きけがわあきお(亀卦川彰夫)
 【 AKP19ホームページ  http://www.nsknet.or.jp/~akp/ 】
 『その瞳に、宿したい。- AKP -』 Copyright 1997 AKIO KIKEGAWA