藍那トンネルでの落盤事故で朝鮮人労働者に6名の犠牲者が出てから65年になり、追悼する金城実氏作のモニュメントが完成して5周年になるのを記念して、工事中の新藍那トンネルを神戸電鉄から御借りして追悼会が開かれました。
藍那は古くからの町であり、藍那トンネルの工事現場と町はさほど離れておらず、当時、事故は町のだれもが知る事態であろうに、事故を語るひとは少ない。
藍那小学校も百年を越す歴史をもち、町よりさらに藍那トンネルに近いが、5年前の調査当時、校長先生はトンネル事故のことを知らなかったという。追悼会のあった日は、神戸市長選挙の期間中。
当時、町の一番はしのこのあたりに飯場があったという。古くからの住民と朝鮮人労働者は少なくとも毎日、顔をあわせていたはずである。
当時アポジが神戸電鉄三木線の工事現場で働いて、飯場で暮していたという李秉萬(リ
ビョンマン)さ んが当時の様子をトンネルの中で語ってくれました。
トンネル内では朝鮮式にチェサがとりおこなわれました。横断幕は飛田雄一さんの筆。
チェサのあと、若者たちがトンネルの外で太鼓をたたいて犠牲者を追悼しました。あいにく小雨がぱらついて出演者は大変でした。
行事が行われたのは現在単線なのを複線にするためのトンネルで5年前に既に貫通していましたが、諸般の事情により複線工事が進まず、いまのところ宝のもちぐされ状態です。こちらが、65年前に掘られ、落盤事故のおきた藍那トンネル。この入り口から少しはいったところが、1936年11月26日に崩れて6名の犠牲者を出した。
新旧トンネルの全景。65年前とは違って日曜は工事が休みで安全第一に作業が進められている。