1998年9月上旬の某日に ひょうたん島周辺に行ってきた。
愛媛県側からフェリーに乗って多々羅海峡を渡る。大人運賃290円。
クルマを満載しているが、徒歩客は少ない。私以外には
女子高校生ひとりとおじいさんひとりを見かけただけである。
フェリーは瓢箪島のすぐそばを通る。右手には
完成間近いたたら大橋。昔、この海を村上水軍が
自由に泳いでいた。
しかし、来年春に大橋が完成したら、このフェリーは生き残れるのだろうか。
フェリーはほどなく垂水港に到着する。集落は
あまり大きくないが、島の集落にしては
そこそこある。神戸−鳴門ルートの最後にかかる
明石海峡大橋の本州側の地名は
神戸市垂水区だが、尾道−今治ルートの最後にかかる
多々羅大橋の本州側の地名も
垂水という偶然である。
まっ先に降りた女子高校生を見失ったあとに、おじいさんのお尻を追うように
バス停に来る。バス停の時刻表を見て、エッ!
次のバスは日の暮れた19時過ぎまでない。フェリーの本数と比べて極めて
アンバランスである。これも島の人間であっても、みなクルマを持つように
なってバスに乗らなくなったせいでだ。バスに乗るのは、高校生とお年寄りと
私のような化石のような形態の旅をする極少数の変わり者だけなのだ。
おじいさんは、身内に迎えを頼むのか、それともタクシーを呼ぶのか
(常駐していない)、船着き場の待ち合い室前の公衆電話に向かう。
おじいさんより健脚で貧乏人の私は生口島の中心集落である瀬戸田へ
自分の足で歩くことにした。距離はおよそ5キロである。それでも
19時過ぎのバスよりは早いのである。
広島県側の生口島から見れば、なるほど瓢箪のような形をしている。愛媛県側からは お椀のようにしか見えなかったのだが。それだけで 歩いた価値はある。 写真は撮ってきたのだが、実際に見てのお楽しみにしたいので ここには掲載しない。
このバスの運転ダイヤだと高校生の下校には不便じゃないかと 思っていると、次々と瀬戸田方面から垂水集落に向けて 高校生が乗った自転車が南下してくる。 自転車だけが彼らの信頼できる足のようだ。しかし、クルマの 往来が結構あって、どれも制限速度を無視して飛ばしているし、また あちこちで工事しているので安全とは言い切れない。
垂水集落と瀬戸田の中ほどにユースホステルがある。 ひょうたん島が間近に見えるという ふれこみは全く正しいが、前述のとおりバスの便が少ないので、時間に余裕のない 旅人の宿には適切ではない。一日中、ひょうたん島を見て ぼおとしていたい人向けだ。
ユースホステルから少しゆくと、海岸にちょっとした広場があり、 動くオブジェが岸から少し離れた海上に設置されている。新宮晋 作のそれは「波の翼」と題した1991年のものだ。 ひょうたん島への思い入れより制作したのだろうが、実際に海の上に 設置してしまうのは、ひょうたん島を本当に愛しているといえる のであろうか?
島中のあちらこちらに彫刻をばらまいているようだが、それを 芸術的と言えるのだろうか? ありのままの自然をそのままにしておくことが我慢できないのだろうか? 「波の翼」の写真は撮らなかったが、帰宅後ネットを検索すると あるではないか、瀬戸田町のホームページに。