八木文代先生が急逝なされました
お悔やみ
敏郎は2006年秋期実用フランス語検定試験2級を関西学院大学で受け、その足で
夜に神戸市兵庫区のどろの芝居小屋にブレヒトくらぶへ行きました。そこで
お姿を拝見した八木文代先生が
その3日後に亡くなったとは、まるで信じられません。ナチス
ドイツの謀略でソビエト赤軍の元帥トハチェフスキーが粛清された話しを
嶋田先生がなされたのが悪かったのかもしれません。
ファシズムと闘う研究を続けられた先生に追悼の意をここで表します。(2006-12-05記)
最終更新日付:2007年01月02日火曜日
2006年12月17日の夕刻、どろの芝居小屋で
定例のブレヒトくらぶを臨時に変更して2006年11月22日に亡くなられた
「八木文代先生を偲ぶ会」が開催されました。そこはエレベーター、エスカレーターなどない
バリアフリーに縁遠い古い雑居ビルの4階で
八木文代先生は亡くなる直前まで自らの足で登ってきていたのです。
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(C) 2007 小松敏郎 (KOMATSU Toscirou)