水晶島海域で犠牲者が出たことについて
最新更新日 2006年08月19日土曜日
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ヤマトとロシアが互いに領有を主張し合うハボマイ群島の水晶島海域でロシアの国境警備艇からの銃撃で日本人乗組員に死者が出たことについて。
亡くなられたトシロウより若い方に追悼の意をここで表するとともに、北の豊かな海域をこのような危険な状態であり続けさせている日本政府、ロシア政府の双方に対して強く抗議する。十七世紀までこの地にはヤマト民族もロシア民族もいなかった。そしてここは無人の地でもなかった。日露双方によって侵略されたのが歴史的事実である。フランスの巴里で民衆が立ち上がった1789年初夏、この地でも若者たちは侵略者たるヤマト民族に対してリベンジを企てた。しかし、悲しいかな強大な暴力で支配するものに暴力だけで立ち向かっても必ず敗れるのが歴史の法則というものだ。
その後、北の先住民族が武装蜂起することはなくなったが、日露の緊張は続いている。双方の国の偏狭なナショナリズムをあおるために緊張状態がむやみに引き延ばされている。いまだ両国は平和条約を結ぶに至っていない。北の豊かな海はヤマト民族のものでも、ロシア民族のものでもない。なぜなら共にここを辺境とみなし道具として利用し、海に生きる民に想いが及んでいない。双方ともこの海と水晶島を始めとする群島を本当のあるじの元に返して、それぞれ日本列島、シベリア大陸にお戻りなさい。そして、良き隣人(シサムの元の意味)になりなさい。さすれば、トシロウがウクレレを手にして水晶島に海鳥の詩を歌いに来れるでしょう。ギターじゃないのは、トシロウが華奢なカラダで重いものは苦手なのであって他意はありません。台風10号が日本列島を過ぎるさなかに南こうせつが歌う夢一夜と加茂の流れにをバックに書きました。今朝の夢は忘れずに覚えていました。トシロウが自分の1994年3月29日の日記でその使い道を思案した企画きっぷで旅する夢です。行き先は1992年8月6日に南こうせつ、伊勢正三、鈴木祥子がコンサートを開催したちんちん電車が走る町です。ただ夢の中に出てきた路面電車は大阪市の3001型。
海鳥には国境はない。人がおろかに引いた線など知らずにソラノオトをたよりに島から島へ飛ぶ。(画像はコマツトシロウが2006年03月11日に撮影したものです。クリックすると拡大表示します)
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