島田叡について

最終更新日付:1998年11月02日

 第二次世界大戦の沖縄戦での県知事、島田叡氏について紹介します。

  島田叡氏は1901年12月25日に現在の神戸市須磨区に生まれました。
  旧制神戸第二中学、現在の兵庫高校に進学しました。
  旧制第三高校から東大法学部に進み、内務省の官僚を勤めていました。
  1944年暮れに、前任の沖縄県知事がアメリカ軍上陸を恐れて出張名目
  で内地に戻ってきたので、代わりに彼が後任に推されました。
  周囲の反対を押し切ってその職を受け入れ、1945年01月に家族を残し
  て単身、沖縄に渡る。軍の司令官らと折衝し、台湾にまで行って県民の
  食糧確保や学童の県外への疎開に奔走しました。
  戦争が起きたのちも、繁多川を始めとして、地下壕を転々とし、壕内の
  治安維持や衛生指導の職務をまっとうしました。
  1945年06月下旬、現在の糸満市伊敷にある轟の壕で、県組織の解体を
  命じたあと、荒井退造警察部長ら数人とともに軍司令部のある摩文仁方
  面に向かったまま消息を断ち、今日まで遺体は発見されていません。

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肖像(JPEG:3K 拡大:6K) 島田叡氏の肖像。神戸市中央図書館にあったもの。おそらく、旧制神戸第二中学時代の写真と思われる。









碑文(JPEG:14K 拡大:38K) 旧制神戸第二中の4年後輩の詩人、竹中郁がしたためた文がそのまま碑になって、1964年6月に兵庫高校の校門に建立される。

このグラウンド
このユーカリプタス
みな目の底に収めて
島田叡は沖縄へ赴いた
一九四五年六月下浣
摩文仁岳の近くで
かれもこれも砕け散った



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