のり巻き亭の思い出

最終更新日 2002.4.23

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ここには「のり巻き亭」という、Macintosh用ソフトを紹介する個性的なサイトがありました。変わったものや古いもの、とにかく他では紹介されていないレアなソフトが満載で、紹介文やスナップショットにも、ちょっとした遊びが用意されている私の大のお気に入りでした。また、ときおり更新される「つぶやき」という日記も、直球から変化球まで様々で、女性特有の視点で語られる日常や、コスメヲタクでありコレクターでもある彼女の華麗な戦歴にいつも感動させられたものでした。

しかし今はもう存在しません。ご本人の予告通り、2002年4月22日にサイトは閉じてしまいました。大切なものほど知らぬ間に失ってしまう、と言ったのはベルセルクのガッツだったでしょうか。そこで、というわけではありませんが、このサイトをご存じだった方々のために、最大の謎であるこのサイトの管理者、「のり巻き」さんについて少し書いてみたいと思います。もちろん「のり巻き亭」なんて見たことも聞いたこともないという方も、昔はそんな人が自分の趣味のページを開いていたんだなあと、当時の息吹を感じて頂ければ幸いです。

私が初めてのり巻きさんに会ったのは、20世紀最後の夏が終わろうとしていた頃でした。私の自作ゲームを通じてメールの交換が始まり、「じゃあ我が家に遊びにいらっしゃいますか」という彼女の申し出に図々しくものらせて頂いたのです。今だから白状しますが、サイト内の文章から「管理者は若くて美人」という妄想?をふくらませていた私には、若干の下心があったことを白状しておきます。その日も相変わらず暑く、住所と道順を印刷した紙とタオルを右手に、ショコラティエ・エリカのマ・ボンヌを左手に、ふうふう言いながら歩いていたのを覚えています。そして最寄り駅から坂道を歩くこと15分。約束の午後3時より10分ほど早く到着した私の目に映ったのは、そびえ立つ大きな門でした。

何度も住所を見比べて間違いないことを確認した後で、私は1分くらい無言で立ちつくしていました。なにしろ、門の高さは約3メートル、幅は5メートル以上。大理石の支柱にはアーチ状のヤジリ付き鉄格子の扉が据え付けられていました。石畳が奥の方に通じていましたが、建物は壁や緑に隠されて見えません。このあたりは都内でも有数の高級住宅街でしたから、もしかしたらとは思っていましたが、まさかこれほどとは。対する私はジーンズにTシャツにスニーカー。なんとなく気が引けて隣の通用門から入ろうとすると、インターフォンから「お待ちしておりました」と男性の声。扉はほとんど音を立てることなく90度回転して開きました。

もしや、この声の主がのり巻きさん!?男じゃん!などと怯えながら門をくぐり、お屋敷の入り口まで辿り着きました。しかし出迎えてくれたのは身長160センチくらいの小柄で細身の女性。年の頃は20前後。透き通るように白い肌とクリクリした大きな目は、若い頃の黒木瞳を思わせました。「お待ちしてました。初めまして」彼女はおっとりした口調でにっこりとほほえみました

想像よりも一回り以上若かったことはもちろん、なによりその落ち着いた印象に日記とのギャップを感じながら、Macの事などをとりとめなく話したような気がします。「でも、のり巻き亭が続けられるのは学生の間だけなんですよ」と、愛機PowerBook2400改を前に寂しそうに語るのり巻きさんが印象的でした。なんでも、大学を卒業すると同時にお父様の仕事を手伝うためにドイツに渡らなければならないそうなのです。この頃はまだ学生さんだったんですね。「向こうで落ち着いたら、何か別のサイトを開きますわ」と話すときに、少し笑顔が戻ったような気がしました。

その後はハイヤーまで手配してもらい何事もなく?帰路につきました。後にも先にもお会いしたのはこのときだけでしたが、今でも保存しておいた日記を読み返すたびに、ギャップの大きさからクスクスと笑ってしまいます。あれはどこまで本当なんですかと聞いたときも「くくくっ」と笑うだけで答えてもらえませんでしたが、秘すれば花といったところでしょうか。そんな彼女も大学を無事に卒業し、いよいよドイツへと旅立つ日が近づいたようです。噂では、フィアンセがついて行くとか行かないとか。仕事に恋に、どこかのドラマのような日々が待っているのでしょう。新しいサイトが出来るのはかなり先になるかもしれませんが、それまで首を長くして待ってますね。



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