Computing Gospel Education etc. Links

Gospel

 私はクリスチャンです。
って、威張っていえるような、偉い人間ではないのですが、やっぱりクリスチャンです。自分がどうしてクリスチャンになったのか、その経緯を語ることを、クリスチャン用語(クリスチャンがよく使う言葉)では「救いの証し(あかし)をする」と言います。
 ここでは、私の救いの証を紹介します。




 小・中学生時代。私は「盗み」という泥沼にはまっていました。どういうきっかけかわかりませんが、欲しいと思ったものを物を得るために「盗む」という選択を安易に取るようになっていたのです。罪の意識はありませんでした。そこにあるのは単なるスリルと、刹那の満足感でした。
 やがて誰も相手をしてくれなくなりました。盗みもさることながら、わがまま身勝手な性格が原因でした。
 高校生になり、人とのかかわりで悩みを感じるようになりました。自分のどうしようもない性質が人とのかかわりを破壊していることを自覚し始めました。どうあがいても解決が見えなかったとき、小学生以来お世話になっていた塾のクリスチャンである先生からいただいた聖書を読み始めました。そこには私のような罪深いものでも救われる、愛されるという宣言があるではないですか。勇んで教会へ足を運び、17歳の終わりの夏、洗礼を受けました。そしてそれまでに行った思いあたる限りの盗みを告白し、謝罪をして歩きました。

 クリスチャンとして歩み始めてはやくも10年以上の月日が流れました。聖書によって自分がやがて天国を約束されていると言う安心感と、罪を許されて愛されているという実感があります。
 しかし、私は相変わらず罪の性質に苦しみ、また本当の罪である、「神を愛せない、人を愛せない」という状況にあまり変わりがありません。おそらく、これは死んで天国に入るときまで続くのでしょう。
 長い長い道のりに思えますが、ただイエス様に愛されているということだけが支えです。