4月16日 マンネリのすすめ
今回は久々に投票数が少なかったですね。って言っても3票くらいしか変わらない悲しい現実もあるんですけどね。前回の
「春爛漫」では期待を裏切ったからかな?彼女に相談したところ事前申請すれば多少の公表は可。との許可を貰ったのでそのうち
具体的な話しも出来るかと思います。
さて、今回はマンネリについて考えてみようと思う訳です。どうもマンネリと言うと同じ事の繰り返しで悪い事とのイメージが
先行していると思うのですが、俺はこのマンネリをうまく生かす事が日々の生活では大事な事ではないかと常々考えています。
どでかくど〜んと幸せってなんだろう?なんてテーマを掲げてみると究極的には自己満足をいかに得られるかではないかと思う
訳ですね。満足したら終わり。なんて言う人もいるでしょうし、向上心を持って常に高い目標を持つことが大事だ。なんて人も
いるでしょう。でも、果たして本当でしょうか?人間は通常同じ刺激に晒されていると慣れが生じて感覚が麻痺してしまいます。
するとさらに強い刺激を求めるのは世の常と言うものです。そういうエスカレーション的な欲望では到底幸せなどという抽象的な
ものに辿り着ける訳はありません。例えば日常の生活を例にした場合、サラリーマンの場合は朝起きて、朝食を摂り、満員電車に
いつもの時刻に乗り込み、仕事をし、決まった時間にお昼を食べて、残業をちょっとやって、家に帰って、テレビを見て、
食事して、風呂に入って、寝る。なんて生活の繰り返しですよね?まぁ、違う人もいるでしょうが俺のサラリーマン時代は大体
こんな今時だったと思います。で、当時は「こんなマンネリの生活は詰まらない、もっと刺激的な生活をしたい。」などと思った
ものですが、独立した現在でもそれほど刺激的な毎日と言う訳ではありません。もっとも売上が直接家計に響くという綱渡りの
状況ですから多少の刺激はありますけどね。そこで、考えてみたいのはパターン化することによって安定が得られるという事実
です。この安定とは安心感と言っても良いかもしれません。それに退屈してしまって飛び出すのも時には必要な事ですが、その
パターンで退屈しない人間形成こそが幸せになるコツなのではないかと思う訳です。毎日が同じ繰り返しで詰まらないなんて
話しは良く聞きますが、同じ日なんて、いや同じ瞬間だって存在しないはずです。パターンとは大枠であり、その中では色々な
事象が起こっているのです。その大枠を変えてみたいとの欲求に負けると自分に対する、もしくは人に対する要求が高くなって
しまい、結局は満足感など得られないのです。例えば俺は旅行があまり好きではありません。旅行とはすなわち日常からの脱出
であると思うのですが、パターンが全く通用しない恐怖感があるのです。事前に事細かに調べ計画を立てても予定通りに進行する
なんてことはまずありません。そのハプニングが楽しいなんて人もいるようですが、旅行でさえハプニングなのにそのなかで
さらにハプニングが起きたら、俺はパニックで有らぬ事を大声で叫びながら裸で踊り回る危険性さえ含んでいます。(そんな...)
最初は近場の旅行が段々遠くになり、そのうち「旅行が趣味です」なんて事になると旅行に行くために仕事してるなんてことに
なる可能性もあります。なにもここで旅行が好きな人を批判するつもりはありません。旅行に行く為に一生懸命お金を貯めるのは
その人の自由であり、趣味にお金をかけることは決して悪いことではないですからね。現に私もビリヤードのキューにたいしては
知らない人から見れば単なる木の棒なのに車1台買えるくらいの資金は今までに余裕でつぎ込んでます。もちろん後悔なんて
してませんし、これからも機会があればキューを変えるかもしれません。ちょっと話しの方向がずれましたね。戻しましょう。
マンネリなるパターン化された毎日を過ごせるというのは、安定した毎日であるとも言える訳でそれはそのこと自体がすでに
幸福なことなのです。人間には誰しも欲がありますし、より良い生活への向上心もあります。それは必要な事ですが、それにより
マンネリを打破しようなどと考えるのはどうかと思う訳です。俺は物事に対して飽きるということは極端に少ないようです。
ただし、自分のパターンに組み込む訳ですから、最初に行動を起こすには非常に慎重です。これは普段の生活、仕事、趣味、恋愛
その他全てに於いて共通のようです。決してそれぞれに満足する事はないですが、パターンから大きくはみ出すこともしません。
マンネリの中で変化をさせて自分なりに向上して行くことだって充分に可能だと思うのです。以前、このコーナーで触れたことも
あると思いますが、テレビなどではこのマンネリをうまく利用しているケースがあります。水戸黄門が毎回旅先は違うし、起こる
事件も違いますが、連れて歩く供は変わらないですし、必ず水戸黄門でないと解決出来ない問題が持ち上がり、最初から出て
行けばよさそうなものをもったい付けて終盤に印籠をかざしてひれ伏させ、見事解決、次の目的地へ。ってな感じの大枠は
変わらないですよね。たまには最初から身分がばれていたり、印籠を出さずに事件が解決する場合もありますが、それは全体の
流れの中での変化です。俺にとって言えば旅行とか始めてのお店に行くとか言うことになるんでしょう。で、これが面白いからと
毎回変化に富んだ水戸黄門なんか放送してみようものならあっと言う間に批判の投書が一杯来て元に戻るか、放送打ち切りです。
自分に安定的なパターンを持ち、その中で工夫し、さらに発展させる。時には刺激を与えることも必要でしょうが、それを目的に
してしまってはいけないような気がします。今、マンネリの中にいることに幸せを感じ、さらなる強固なマンネリズムを構築する
事が大切だと思うのです。それを持って始めて時々起こる突発的な事象が面白く刺激的で楽しいと思えるのではないでしょうか?
刺激ばかりを求める生活なんて俺にとってはそちらの方がよほど詰まらない人生だと思いますね。