6月11日 痛みを知る事

 なんか大そうなタイトルになってしまいましたねぇ。それはさておき毎度のように近況報告から書き出しましょうかね。

結婚への準備は着々と進んでます。二人の休日を合わせるのが難しいこともあって時間のあるときにある程度一気に進ませる

という少々強引な手段で段々形が見えて来ました。とりあえず住むところも大体決まりました。ずっと実家だったのですがついに

家を出ることになりました。まぁ、直線距離で200mくらいですけどね。これからは一家の家長としてがんばらねばと自覚を

新たにする俺だったりする訳です。

 さてさて、本題に入りましょう。痛みを知ることは是か非かと言われた時には俺はやはり是と答えるでしょう。ただし、それを

他人に強要してはいけないとも思っています。よく昔はこんな苦労をしたみたいな話をする人がいます。俺も時々そういうことを

言う年齢になってきたようです。でも、それは実体験を語るだけで「お前の苦労はまだまだだ」とか「俺はもっと大変だった」

なんて事を言うつもりは毛頭ありません。自分の経験を語るというのはもし聞き手が似たような状況になったときの判断材料の

ひとつとして提供する情報でしかないと考えています。最終的な決断は結局は自分がしないといけないですからね。俺の嫌いな

タイプの人間に俺と逆の考えを持った人たちがいます。自分はいかに辛い体験をしたかを大げさに語り、その後に悩んでいる人に

対して「そんなことは大したことがない。」などと言う人種です。俺には全く理解できないですが、結局は自己満足であり、

解決の手段を提供しているとは言えない訳です。悩んでいる人間は「自分はダメだ」と思い込みさらなる深みに落とすことも

十分にあり得る訳ですが、そういうデリカシーのない人にはそれさえも理解できずに「良いアドバイスをした」などと思う寸法

ですね。経験や体験を語ることは非常に大切なことです。それは人知に与えられた特権でもあると思います。同じ過ちをしない

為にも先人の体験を聞き、自分ではそれほどの痛みを体験することなく知識として蓄えて成長することが出来る訳です。適切な

例えではないかもしれないですが、太平洋戦争の事などはもちろん俺は体験していません。親父でさえ直接的には覚えていない

年代です。でも、それをご老人から聞いたりする経験はきっと貴重なものです。そして、また聞きではありますが、俺も子供に

伝えなくてはいけないことだと思います。それは、過去の悲惨な経験を繰り返さない為に必要なことなのです。正確に伝える事は

できないでしょう。俺にはその体験がありませんからね。でも、体験したいとは思いません。同じ環境にいることなど同世代で

あってさえあり得ない事です。苦労知らず等と言いますがそれは何を基準にしたことなのでしょう?全く苦労も悩みもなく、

痛みを知ることもなく過ごせる人生は理想かもしれないですが、そんなことはあり得ないのです。人より幸福であることが幸福

とは限りません。自分が幸福であると感じることが幸福なのです。競争社会が悪いとは言いません。競争は絶対に必要です。

ただ、他人を傷つけてまでするルール違反の競争は違うと思うのです。結果は確かに大事です。でも、過程を無視した結果などは

意味がないとも思っています。俺だって出来れば痛い思いなどしたくはありません。出来れば避けて通りたいとも思います。ただ

それから逃げてばかりいても仕方のない事も事実です。俺が痛みを受ける事で俺の大切な誰かを守れるとすれば俺は猛然と茨の

中に突っ込んで行くでしょう。俺にも人に自分の思い通りに振る舞って欲しいと思う感情はあります。でも、それを口に出したり

行動で示したりすることは極力自戒しています。人からの強制は俺にとって最も傷つく事柄のひとつです。だから、他人にも

そういう事をしたくないのです。なんとなく言った一言が相手を傷つけることは比較的よくあることでしょう。本人は気にして

いないでも相手はそう思ってくれません。そんな些細な感情のもつれが世の中にはいっぱいあります。自分で甘受できる部分は

あえて受けてしまい、ぐっと自分の中に溜め込むくらいの器量が欲しいですよね。そういう意味では俺もまだまだですけどね。

人生修行もまだ半ば、自分に甘える事なく他人に対しては常に優しくありたいですね。