9月24日 普段考える事

 今回のタイトルはどう解釈すれば良いんですかねぇ?そのままの意味で取れば良いのでしょうが、漠然としていて書き出しが

難しくなってしまってますね。元々、このコラム自体が俺の「普段考える事」を好き勝手に発信しているコーナーですからねぇ...

ひょっとして俺が何考えてるか判らないからなんて理由でタイトルに選ばれたのだろうか?

 どっから書いて行きましょうかね?一日の思考の中で多くの時間を使うのはやっぱり仕事の事ですかね?最近はやたらと忙しく

ゆっくりと考えてる暇もないのですが、結構ぼ〜っとしてるように見えても頭の中は働いていたりするんですよね。まぁ、仕事が

嫌いな訳ではないですし、良いのですが、何もこうまで極端でなくても...と思ったりもする今日、この頃です。

 で、仕事以外ではどんなことを考えているかと言えば、そうですねぇ...世界平和とか俺が貢献出来る人類にとって最良の選択は

なにか?なんてことは考えてません。なんだかんだ言っても所詮は自分と家族のことを最優先の小市民ですからね。普段考えて

いることと言えば、なんだろ?明るく過ごす為には?って事かな?俺は喜怒哀楽がはっきりと出るタイプらしいので、喜と楽を

出来るだけ追求しようとは思ってます。でも、嫌なことがあると結構露骨に嫌な顔になるようです。う〜む、自分ではうまく隠して

いるつもりなんですけどねぇ。その辺がまだまだ甘いのかなぁ?

 色々な事に興味を持ち結構のめり込むタイプなので、発想自体もちょっと普通とは違うこともあるようです。まぁ、何を持って

普通とするのかは議論の分かれるところでしょうが、出来るだけ自分本位の考えをしないと言うのが基本的なスタンスのような気が

しますね。とは、言うものの結局はまだまだ甘いですから自分が可愛いことも多々ありますし、そういう部分をいかに少なくして

日々を生活するかなんてことは結構考えてますかね?

 例えば俺はビリヤードにしてもパソコンにしても教えることを職業にしています。このときに気を付けている事は相手の立場に

出来るだけ立って指導することですね。例えばビリヤードで俺はドローショットを基点に組み立てを考えます。後輩達にもその

理屈と有利点を説明し、納得すればそれでやってもらいます。ところが、どうしても引きの苦手な人もいる訳です。押しの方が

手玉も安定して、結果今まではそれでやって成功している人も数多くいる訳です。そんな人に無理に俺のやり方を押しつけるのは

ナンセンスだと思ってます。あくまで、俺のスタンスは「俺はこうして上達したよ。理屈はこう。でも、違う考えもあるよ。」って

言うのが多いと思います。もちろん、最低限の共通しているマナーなどは厳しく教える事もありますが、これは将来の本人のため

ですからね。「俺のやり方が正しいんだ。みんなこうしないと教えにくい!」なんてのは教える側の技量不足です。教えると言う

ことと自分が出来ると言うことは全く別のものであると思うのですがどうでしょ?

 本業のパソコン講師に関しても同じような事が言えますね。以前ここで触れた事があるかもしれないですが、俺はキーボードの

入力方法について「ローマ字」「かな」を教えるときに強制していません。「どちらが良いですか?」と言われれば有利点を説き

「かな」をお勧めしています。でも、俺は「ローマ字」入力なんですよね。現在日本で発売されているキーボードのほとんどは

「かな」キー配列です。要するに日本語を入力しやすいようになっているわけです。でも、「ローマ字」のほうが圧倒的に多いのは

パソコン上級者(当時で言えばワープロ上級者とも言えますが...)が自分ではローマ字しか出来ないことを隠すために妙な理屈を

こね回して「ローマ字」信者を増やしたことに元凶があると思っています。結果が同じであれば良い訳で本来どちらが正しいとか

言う問題ではないはずです。それにも関わらず「ローマ字」を強制するようなやり方は明らかに教える側の理解と技量の不足です。

ちょっとおかしな展開になりましたがついでなので「かな」の利点を挙げて置きましょう。まずは「キータッチが少ない」これは

誰が考えてもそうですよね。通常2つのキーで1文字を出すローマ字に対してかなは半分のキータッチで済みます。誤入力の確立も

半分と考えても良いかもしれません。「日本語で入力できる」キーボードに書いてある日本語をそのまま入力出来るのですから、

ローマ字にいちいち頭で直す必要はありませんよね?きゃ、きゅ、きょと言った拗音っと言った撥音などを入力する際には慣れた

人でも考えることがあります。そんな迷いは「かな」にはありません。「入力が速い」これはキータッチが少ない故ということでは

ありません。ローマ字を入力するためにはアルファベットのキーを覚える必要がある訳ですが、これは19世紀後半に出来たと

されるワイヤー式タイプライターがその原型と言われています。ワイヤーが絡まる危険性があったため「わざと打ち難く」配置した

キー配置なのです。現在はその点を改良したキー配置も提唱されていてもし、将来この入力方式が確立されれば「ローマ字」入力は

駆逐されます。(まぁ、確率は低いですけどね。かなでもOASYSの例がありますし...)以上の観点から見る限り圧倒的に「かな」が

優位です。「ローマ字」で覚えるキーが少ないなんてのは嘘です。キーは全部の配置を覚えなければ入力出来ません。すなわち同じ

数のキーを覚える必要があるのです。他にも「ローマ字」信仰者が唱える怪しげな理論はいくつかありますが、バカらしいので

ここでは触れません。もし有利な点があるとすれば判らない入力があった場合に周りに聞く人が多いって事くらいでしょう。これも

本人が正しい入力をマスターしていれば問題ない事なんですけどね。

 じゃあなぜ俺は「ローマ字」なのか?それは慣れてしまったからです。もちろん講師と言う立場上「かな」の入力もマスターして

います。でも、慣れを一度壊して元に戻す事など到底出来ないものなのです。そういう思いを受講生の人にはして欲しくないとの

思いからも俺は敢えて自分の苦手な方法を指導することもある訳です。コーチは選手よりも競技や実戦に於いて優秀である必要は

ないのです。その理論を正しく選手に伝える事が優秀なコーチなのです。「俺が俺が」で自分の理論や理屈果ては受講生の言い分を

聞かないで進める授業など意味がありません。でも、俺はそういう不的確コーチも否定しません。人にはやり方があるものです。

それで優秀な人材が育つのならばそれも方法でしょう。俺とは考えの違う事を了承するだけです。ここで、俺が俺のやり方をもしも

押しつけたらやっぱり同じになっちゃいますもんね。そういうコーチ、講師に会った生徒は可哀想ですが...

 なんか論点がずれてしまいましたね。俺は普段こんな風に物を考えています。押しつけない。でも、自分の信念は曲げない。その

信念を見つける為に日々色々な事を考えてます。考え疲れて落ち込んだ時には側にいつでも嫁さんがいます。彼女に苦労をかけたく

ないなんてのも毎日考える事のひとつですね。今ある自分を大切に、そして将来の自分のため家族の為にも今は勉強、勉強...