2月4日 思考法の原点

 ふむ。このタイトルは俺の思考法についてと解釈して良いのだろうか?まぁ、素直に受け取ればそういうことでしょうしねぇ。いつも

変なコラムばかり書いてるから「こいつ何考えてるんだ?」って事なんでしょうか?まぁ、実は自分でもよく分かってないんですが、それを

今回は掘り下げて自分の思考法なるものを探求してみようと思う訳です。

 思考法の原点と言うからには俺が何を基準にして色々なことを考えているかから書き出さないといけないですよね?以前からここで書いて

いるように俺は人に対する敵愾心を言うものに対して敏感です。ですから相手を恫喝したり、怒ったりすることは苦手ですし、逆にそういう

ことをされるのも大嫌いです。面白みはないかもしれないですが、俺は相手を傷つけないことにより自分も傷つかないように保身しているの

かもしれないですね。小さい頃に良く言われませんでしたか?自分がされて嫌だと思う事は人にしてはいけないって。俺の原点は意外にも

そんなところにあるのかもしれません。だからうまく行かない事もあるんですけどね。自己主張が弱いように思われるんですかね?誰でも

烏合しているように思われる事があるのではないか?と自問自答したりすることもある訳ですが、そうでもない事もあるので事はやっかい

なんですよね。自分の信念と言いますか、正しいと思った事はなかなか曲げないなんて一面もあったりします。それが結果として相手を救う

事にも繋がると本気で考えている場合ですね。ただ、その場合でも意固地になって途中で自分が違うという事に気付いてまで、自分の意見を

押し通す事はしません。そういう意味では政治家には向かないんだろうなぁ。全国民の8割りが間違ってると指摘しても「誤解がある」と

自己弁護して謝りもせず、核心に触れないで話しの論点をぼかしていつの間にか誤魔化してしまうテクニックは俺にはないからなぁ...

 さてさて、ちょっと話しはずれてしまいましたが、俺の思考法は人に嫌われない為にどうすれば良いかから来ているものではないと自分で

思ってる訳です。もっともそれでも嫌われてしまう時には嫌われてしまうんでしょうけどね。逆に自分では出来るだけ人を嫌いにならない

ようにしているつもりです。これも前述の「自分がされて〜」に繋がるのですが、自分が嫌いになってしまえば相手にもそれが伝わると

思うので、自分から嫌いにならないように心がけている訳です。表面だけ取り繕って合ったときだけ愛想を使って陰で悪口を言っていたと

してもそれはなんらかの形で相手に伝わってしまうこともあります。だから、俺は陰口も言わないようにしています。それじゃストレスが

溜まるだろうと思われるかもしれませんが、本当に人の悪口を言うのが苦手な俺にとっては陰口を言う方がストレスなんですよね。もちろん

その場にいない人の話しをすることもありますが、そういうときにでも当事者が居ても大丈夫な話し方しかしません。そういうことが出来る

のも実は何を言っても大丈夫と安心の出来る友人が居るお陰なんですけどね。

 で、このコラムをよく読んで貰ってる方はお気づきかもしれませんが、俺はやたらに小難しい話しをするのが好きです。そういう話しを

聞くのも好きです。これは人に嫌われない為に理論武装する結果かもしれませんね。もっとも嫌われないようにするために小難しい事を言い

結果として嫌われてしまうなんてこともあるかもしれませんが...