5月20日 自己主張
今回の投票は久々に一桁でした。予定のタイトルが詰まらなかったですかね?う〜ん、なかなか難しいものです。投票が多いと俺も書く
勢いが違って来るので是非、ここを読み終わったら右上の「次回の予定」から次回タイトルに投票してくださいねぇ〜
さて、今回は「自己主張」と「新作プログラム」が同数でしたが、こういうときは俺の独断で決められることになっていますので今回は
「自己主張」を採用したいと思います。俺も自分自身結構我が儘だと思いますし、自己主張もそれなりにする方だと思っていますが、どうも
それについての責任を取らない傾向が多くみられて嫌なんですよね。もちろん、俺は俺なりに責任を持った発言、行動を自分ではしている
つもりなんですが、他人の評価はどうなんでしょうね。気になるところですが、まぁ、分からないものは考えても仕方ないので自分の信念に
従って発言、行動をしているつもりです。で、なんでこんな事を言いだしたかと言いますと刹那的と言いますか、その時の一時の感情や状況で
行動して後から自己弁護をするような事件が最近多いような気がするんですよ。まぁ、昔からそうだったのかもしれないですが...自分のした
行動や言動がその後どのような結果を招くかを予想出来ないんでしょうね。想像力の欠如と言っても良いかもしれません。すぐに他人の性に
して自分の非を認めない。もしくは非があることを理解してもそれを取り繕うための自己弁護をする。ようするに結果論でしか物事を判断
出来ず、しかも自分に有利不利かだけが判断の基準になっていて自分の不利な材料は隠し、有利な材料を持って相手を責め立てる。相手が
自分の非を認めれば許すどころかさらにそこにつけ込む。人間としてせこくないですかねぇ。まぁ、これが裁判であったり商売であったり
する場合にはときにそういうことも必要なんでしょうが、共同社会を営む一般の社会の中にこれを持ち込み偽善者ぶってる奴が多すぎるように
思えるのは俺の気のせいですかね?自分がちょっと我慢すれば平和に解決することだって世の中いっぱいあると思うんですよ。俺が常に
そんな行動を取っているのか?というと自分でも疑問を持つ事がありますが、重要な要件を話す時にはそれなりに過程、結果、影響などを
考えてから話すようにしています。そこが俺の行動の遅いと言われる欠点の一つであるとの自覚もあるのですが、後で後悔するよりずっと
良いと俺は思ってます。ちょっと古い話しを持ち出しましょう。俺が大学時代に授業が終わり教室の外に出ました。当然ですが廊下は大混雑に
なっています。そのとき俺の目にゴミが入って痛みで立ち止まる事を余儀なくされました。すると大混雑の人の波を結果せき止めてしまった
事になりました。すぐ後ろにいた人物が俺にぶつかってしまい「なんで急に立ち止まるんだ!」といちゃもんをつけられます。そいつの真意は
わかりませんが、結局裏の路地に行き二人で話しをすることになります。相手はもう掴みかからんばかりの興奮状態、俺もつられて言い合いに
なってしまい本格的に喧嘩に発展する要素一杯の状態でした。そこで、俺はふっと考えました。「なんでこんなくだらない事をしてる?」と
思えたんですよね。俺にも言い分はあります。立ち止まりたくて立ち止まったんではないですし、他の人は避けているのに彼だけぶつかった
といことは彼がよそ見をしていた公算が大きいです。しかも、俺には後ろには目がないですから彼を避けることなど出来ません。でも、これは
あくまで俺の理屈です。彼は彼で事情があって俺にぶつかり単に性格なのか引っ込みがつかなくなっただけなのか二十歳を過ぎた男が本気で
殴り合いをする直前まで来ているのです。今、考えればバカバカしいことです。でも、当事者になったらそうではないんですよ。で、俺は
さらに考えます。ここで喧嘩した結果をです。お互い力には相当自信がありそうです。俺も喧嘩して負ける気などしてません。とことんまで
やった場合どちらかが大怪我する可能性もあります。当時俺は大学4年生、就職活動のまっただ中です。就職にも影響するでしょうし、大学を
退学させられる可能性だってあります。しかも、全然関係ないですがもし俺が処分を大学からされた場合野球部の後輩達に迷惑がかかる可能性
さえあります。対外試合禁止なんてなったら先輩、同期、後輩が積み重ねた連覇の記録が途絶えます。一時の感情に任せてそんな馬鹿な事を
する必要があるのか?絶対にないです。俺は悪くないと今でも思ってます。でも、俺は謝る事を選択しました。最悪、一方的に殴られても
ここは我慢してしまおうと決めたのです。相手もそれに気付いたらしくその場はそれで事が済みました。この俺の取った行動を弱腰だとか
プライドがないと罵られても俺は構いません。結果として平和は保たれたのです。時には絶対に引いてはいけない時もあります。家族や友人を
守るために盾にならなければいけない時もあるはずです。そう言うときにこそ毅然として振る舞えればそれで良いじゃないですか。自己主張を
するときにはそれに伴う責任が必ずあるのです。他人に犠牲を強いて自分を有利にすることしか考えない人が人から尊敬され真っ当な人生を
歩めるほど人生は甘くないと思います。俺だってきっと自分の気付かないところで色々な人に迷惑をかけているはずです。でも、俺はそれを
考えるようにしています。その自覚があるかないかだけでも絶対に違うはずだと信じています。詳細なディティールが分からないので軽々に
論じることが出来ないのは百も承知ですが、帽子のつばが当たったとかサングラスを取られたとかで満員電車で催涙スプレー撒きます?
これは極端な例でしょうが、そういう事例が周りにも最近多いような気がするんですよね。説明書に動物を乾かしてはいけないと書いてない
からと言って猫を電子レンジで乾かして殺してしまい、挙げ句の果てメーカーを訴える。そんな馬鹿げた訴訟がアメリカではまかり通るよう
ですが、日本とでは歴史的背景が違うんですよ。連帯責任なんてどうかしてると俺も思いますよ。でも、日本では隣り近所との平和な共存を
保つために自己をある程度抑圧する文化が本来あったはずです。農耕民族である日本人が狩猟民族である欧米の悪いところだけを真似て
どうするんですかね?共存共栄なんて言葉だけの絵空事かもしれません。でも、そうなりたいと望まなくてはそうはならないですよね。自分を
さらけ出し、自分を主張することは絶対に必要なことです。でも、それが自分勝手な我が儘な行動、言動であってはいけないんですよ。まぁ
そんなこと言ってもそういう我が儘な人には通じないのも知っている悲しさもあるんですけどね。少なくとも自分はそうはなりたくないです。
友達いなくなっちゃいますからね。