7月16日 正義感と自己満足

 今回は日曜、月曜と連休を貰って伊豆高原まで夫婦で小旅行して来ました。その関係で更新が一日遅れてしまいました。すいません...

今回はいっぱい投票頂きました。ありがとうございます。そしてタイトルは「正義感と自己満足」う〜ん、重い内容になりそうな予感があり

ますが、まぁ、書き進めるうちになんとかなるでしょう。次回以降もタイトル投票お願いしま〜す。

 さて、今回のお題なんですが、俺が今までこのコーナーで展開してきた話とかなり重複する部分もあるかと思います。その点は俺の考え方

なのである程度不変であり、重複も仕方ない部分ではあると思いますが、その前提で読んでください。正義ってなんだろう?と考えると俺は

究極の我が儘ではないかと思えたりする訳です。個人間の小さな事から国レベルの事まで正義と正義がぶつかることで争いが起こっている様な

気がしてなりません。自分は正しいと思うのは悪いことではありません。でも、それを相手に押しつけるのは果たして正義なのだろうか?と

言う疑問が残る訳です。俺も偉そうにこんなことを言っても自己の正義に確信を持てるほど自惚れてはいませんし、かといって自信を喪失する

ほど弱くもないつもりでいます。俺の思う本当の正義とは自己の中で解決されるものであり、他人への強制であってはならないと思っています

自分の考えと違うから正義ではないと言うのは本当の正義ではないと思っているのです。典型的な例を挙げましょう。アメリカです。彼らは

自分の国を正義の国と呼び、世界の警察を自認しているようです。スポーツでも戦争でも正義は我々にあるから負ける訳がないと言う論法が

一般に多く信じられているようです。日本にも勝てば官軍の言葉があるようにアメリカでは強い事が正義であり、敗者は悪であるという考えが

多く見られるようです。その為、彼らは自意識が高く、日本人では到底考えられない自慢話をこともなげにします。自分がいかにすごい人間で

あるかを主張することが自己の中の正義を主張することと同一になってしまっているのです。俺は何もアメリカやアメリカ人を非難しようと

言うのではありません。彼らには彼らの歴史的背景があり、そういう環境で長年暮らしている以上彼らに取ってはそれが正常な事であり、

日本人のように謙遜することで、相手の心証を悪くしないようにする気遣いなど無用な訳です。俺にも何人かアメリカ人の友人がいますが、

彼らと話しているとむかっと来ることが無いわけではありません。それも冷静になってみれば国民性であり、そのことにわだかまりを持って

いる様子など微塵も感じられないのです。自己を主張することが正義と同一視されている以上仕方ない事なのでしょう。

 でも、日本では違うはずです。グローバルスタンダードだの、世界の中の日本だの言われて久しいですが、日本には日本の文化や考えがあり

それを展開させることが本来必要なはずです。外国との折衝では日本もある程度強気で自分の正義なるものを主張する必要があると思います。

これがないと今よく言われるように弱腰外交なんて事になる訳です。ただ、これも日本の気質と言えばそれまでですけどね。そんな大きな

括りではなく、個人間ではどうでしょう。俺は自己主張は必要だと思いますが、自己の正義を正当化するために他人を犠牲にしたり、他人に

それを強要したりするのは本当の意味での正義の遂行ではないと思っています。例えば俺がサラリーマンの友人と飲んでいたとしましょう。

彼はきっと部下や後輩達の言葉遣い、服装、仕事ぶりなどの不満を述べるでしょう。そしてこう言います「俺の若い頃は違った」そしてさらに

今度は自分の上司や先輩に対しての不満をぶちまけます。仕事が出来ない癖に偉そうになんてのが定番ですかね?ここで彼は自己矛盾している

事に気付いていません。後輩や部下達にも自分が文句を言われているだろう事に気付いていないのです。もしくは気付いていても自分は

きちんとしているので文句を言われる筋合いはないと思い、自己の正義感の中で満足しているのです。これはあくまで例です。実際に俺の

友人がそうであるとは言いませんし、俺もサラリーマン時代に似たような事を言ったり、言われたりしたものです。現在は自営業となり

ほとんどの事を一人で仕切っている関係上そういうことも少なくなりましたが、将来従業員が増えたりすると俺もそういう不満が出ないとも

言えない訳です。でもね。考えてみてください。人にはそれぞれの価値観があり正義感もある訳です。特に正義感なる無形のものを他人に

押しつける行為と言うのは究極の我が儘ではないかと俺は思う訳です。不満を持つのは仕方ないです。誰だって不満はあるでしょうし、人に

対する好悪の感情だってあります。それを自己の保身や自分の考えを正当化するために正義感ぶるのは俺は嫌いです。不満なら不満で良いじゃ

ないですか、嫌いなら嫌いで良いです。どうせ相手も自分の事を嫌いです。それを無理に自分の正当性などを振りかざすから自分は正しい、

あいつは間違いだ。だからあいつは悪い奴って論法になるんじゃないですかね?俺だって自分と違う考えや俺の考えを真っ向から否定された

場合に人並みにむかつきますし、抗弁しようとも思います。でも、それをやることは希です。なぜなら俺は自己を主張することはあっても、

それを押しつける事はしたくないからです。相手の意見を聞き、「そういう考えもあるね」という理解を示すことが問題解決の近道だと信じて

いるからです。でも、これとて俺の勝手な正義感と言われればそうなのかもしれないですけどね。

 俺はこのコラム等を通じて自分の考えを積極的にオープンにしているつもりです。もちろん賛同してくださる方もいれば、否定的に考える

人もいるでしょう。それで構いません。それで何かを考え感じ取って貰えれば俺は良いんです。ただし、ここでの主張はあくまで主張であり

押しつけであってはならないとも思っています。過去のコラムを読んで頂いても分かると思いますが、提言的な事は言っていますが、そう

しなければいけないとか、そうするべきだと言った内容を個人レベルの考えの中で書いている事はほとんどないはずです。正義感=自己満足で

良いと思います。でも、それから一歩進んで相手が何を求め、何を考えているかまで推し量る余裕のようなものが欲しいですね。自分の考えを

声高に主張し、相手を屈服させるのが正義だとは俺は思いたくないですからね。