7月22日 いじめられっこ
昨日は俺の参加しているビリヤードサークルSIBCの練習会に出て来ました。そこで結構な人からこのページを観ているって言われたんですよ。
う〜む、誰が観ているか知ってると緊張するなぁ...まぁ、でも俺は俺。かっこつけても仕方ないし今まで通りあるがまま好き勝手に運営して
行こうと思ってますけどね。しかし、ビリヤード練習不足だなぁ。と感じた一日でした。
さてさて、本題です。今回はいじめられっこで行ってみましょう。実は俺は小学生時代どこにでも普通にいるいじめられっこでした。今に
して思えばいじめられた原因は色々あるんですが、当時は自分では分からないものです。そもそもいじめなんて行為に理屈を付けるのは無理
ですからね。それよりひどいいじめを経験した人もいっぱいいると思います。逆になんでそんなことで?なんて思う人もいるかもしれません。
でも、当事者にとってはそれが辛い事であり誰にも理解出来ないもののはずです。どんな些細なことでも心の傷の痛みは他人には分からないし
それを伝える手段などありません。俺はここでこんないじめを受けたなどと公表して悲劇のヒーローぶったりしたくはありません。だから、
どんなことをされたか、言われたか。そして、俺がその時どんなに傷付いていたかを書くつもりもありません。すると書くことが無くなって
困った事にもなりそうなんですけどね...
いや〜、思い出すと暗くなるから文章まで落ち込んできそうですよ。なぜ、いじめられたかなんですが、まずは何をやるにしてもトロかった
まぁ、いわゆるドン臭いって奴です。小学校の3年生まで体操着に自分で着替える事が出来ませんでした。正確には時間がかかりすぎて休み
時間に体操着に着替えられないので、誰かに手伝って貰うって感じです。給食だって昼休みを全部使っても食べられません。嫌いな食べ物が
あっての居残りとかじゃなく、普通に食事をしてもみんなの倍以上時間がかかるんですよ。当然ですが、昼休みは給食に使っているので
友達とグラウンドで遊ぶなんて事はありません。足はクラスで一番遅く、頭も悪い。忘れ物が多く落とし物も多い。クラスの落とし物箱の
中身はほとんど俺の物ってな感じです。そしてすぐ泣くし、怒ると暴れる。ほんと今思うと先生もクラスメートも大変な爆弾を背負っていた
ようなものです。ほとんどの人が見て見ぬ振りして無視するなか段々2つにクラスが分かれます。俺を助けてくれるグループといじめる連中
ですね。助けてくれるグループには一人の女の子がリーダー格でいつも俺をかばってくれました。何をするにも一人で出来ない俺を常に助け
彼女がそばにいないと不安で仕方なく学校に行くのも怖いそんな感じだったと記憶してます。でも、その彼女とは小学校5年に進級する際に
クラス替えで別のクラスになってしまいます。すごく悲しくて学校に行く事を拒否しそうな自分がそこには居ました。でも、学校に行かないと
彼女には会えないのです。クラスは違っていても同じ学校です。休み時間に廊下ですれ違えば声もかけてくれます。それにはトロ臭くては
彼女に会う確率が落ちます。そこで体操着は早く着替え、給食も誰より早く食べて廊下へと飛び出します。俺の教室は3階、彼女の教室は4階
階段の下でなにをすることもなく彼女が偶然通りかかるのを待っていたものです。そうこうしているうちに暇を持て余しているように見えた
クラスメートが声を掛けてきます。俺に幸いだったのはこのときの担任の先生がすばらしい先生であったことでしょうね。ひとつひとつの事に
体当たりで真剣に指導してくれる先生でした。怒ると怖いけどいつもメガネの奥で笑ってくれている。そんな先生のクラスの雰囲気が悪い訳
ありません。自然と友達が増えいつしか彼女を階下で待つような事もしなくなりました。でも、6年生のあるときに彼女が俺に対してどう
思っていたかを偶然に聞くことになります。彼女は俺に対して好悪の感情ではなく哀れみとして接していたことを知りました。この時の
ショックはいじめられていた数年間よりもっともっと辛かったですね。中学に進学するとき既にいじめられっこの俺は居ませんでした。でも
いじめられないために俺は自分を責めました。勉強が出来ないから馬鹿にされる。そう思い込んだ俺は死ぬほど中学時代に勉強しました。まぁ
もっとも元が元ですからそれだけやってもようやくって感じは否めないですけどね。中学卒業の頃には学年でもトップクラスの成績だったと
思いますが、それでも有名進学校に進むほどではなかったですね。(って俺の出身高校もまんざら馬鹿ではないと思いますが...)彼女からの
独立が俺の人生を大きく変えたのは間違いないでしょう。色々な偶然が俺の前で良い方向に起きてそれをたまたま逃さなかった。たった
それだけの事だったかもしれません。よくいじめにはいじめられる側にも原因があるなんて言います。でも、それは違います。確かに客観的に
みれば要因は作っているかもしれません。でも、本人はそんなこと思ってないんですよ。自分で変わろうと思わなければ周りで何を言っても
結局はダメなんでしょうね。その本人のきっかけは些細な事かもしれません。それを見つけやすい形で周りが提供してあげられたらきっと
本人は立ち直るきっかけを見つけるでしょう。もし、俺がいじめられている最中に彼女が俺に哀れみを持って接していることを知ったら今頃
どうなっていたか...ほんのちょっとのきっかけで人は変われるものなんですよね。
ついでにその後について書いて置きましょうか?彼女とは中学2年で再び同じクラスになります。当時の俺は人気者というほどではなかった
でしょうが、明るく勉強が出来、なんでも率先してやる積極的な俺へと変わっていました。今の原型かもしれません。彼女にはもう俺を哀れむ
必要など無くなっていました。普通にクラスメートして会話し、普通に中学を卒業します。そして最後に会ったのは19歳の教習所ででした。
俺より一歩先に卒業した彼女が取り立ての免許でバス待ちをしている俺の前に止まります。一緒にファミレスによって小学生の頃の話題で
ひとしきり盛り上がった後、家の近くまで送って貰いました。最後まで俺の世話を焼く姉貴みたいな存在でしたね。でも、不思議と恋愛感情は
ありませんでしたね。やっぱり同じ年の姉さんなんでしょうか?以来15年以上音信も不通です。きっとどこかで幸せな家庭を築いている事
でしょう。俺も幸せな家庭を持ち守りべき家族を持つ身になりました。いじめられた日々をもう俺は忘れかけています。でも、もし誰かが
俺の周りで似たような事になっているとしたらそっと手伝ってあげる事は出来るかもしれません。そういう意味では俺も随分と変わったなぁ..