9月10日 好き嫌い

 またまた一日遅れになってしまいました。う〜ん、よくないとは思っているんですが、色々と突発的な事故みたいなことは起こるものです。

ほんと久々に暗澹たる気分で昨日なんて折角の休みが色々あってどよ〜んって感じです。まぁ、書き出しでこんな暗いのもどうかと思いますし

プライベートな事なのでここには詳しく書きませんが、気分的には最悪です。重大な決断を迫られいる問題も2,3あってこの精神状態で

持ちこたえられるか試練ってとことですかね?まぁ、俺には守るべき愛する嫁が居ますし、彼女に笑顔さえ見せて貰える毎日であればそれで

充分幸福な訳ですが、今は負けないように必死に葛藤してます。俺ってやっぱり弱いよなぁ...でも、弱い事を知ってる強さってのもあるはず

なんですよね。自分を信じてなんとか良い方向を模索しないといけないですね。それには俺のネガティブな考え方を改める必要があるんですが

なかなかもってこれが言葉で言うほど簡単ではなかったりします。時の流れに流されてふっと気付いたらえらい遠くに流されてしまった気分

ですね。はぁ、どっちに泳げば良いんだろ?ここに居ても溺れるだけだしどっちかに泳ぎ出さないと...その決断は俺にはやっぱり重いです。

 なんて、暗い書き出しになってしまいましたが本題です。「好き嫌い」って事なんですが、誰にでも好き嫌いはあるでしょう。これは良く

言う食べ物から人の好悪、自分の性格的なものまで含めて色々あると思うんですよね。嫌いなものや事、人物でもそれとうまく付き合う必要が

あるときもあります。嫌いな食べ物があれば食べなければ良いと思いますし、嫌いなことがあればしなければいい。でも、それじゃダメって

事も世の中一人で生きている訳ではない以上ある訳です。食べ物なんて自分の勝手だと思うかもしれませんが、さにあらず、一人であれば

好きなものだけ食って栄養が偏って体調不良で死んじゃっても構わないです。でも、例えばそれが家族に影響するとしたらどうでしょ?それを

避ける為におかずを余分に作ったり、そういう親を見て育った子供に果たして自分を差し置いて好き嫌いのないように諭す権限などあるで

しょうか?時間もお金も無駄です。しかも、自分がちょっと我慢するだけで多くの人が助かるのにそれを実践しないのは俺に言わせれば単なる

我が儘です。もちろんアレルギー体質などで身体が受け付けないなど特殊な事例は好きとか嫌いとかを言うレベルにない訳ですけどね。俺も

実は生卵に関するアレルギーを持ってます。完全に熱が通っていれば大丈夫ですが、半熟だと気分が悪くなり下手をすると全身に発疹が出て

ベッドでうなされる事になります。そんな俺を気遣って結婚前は母が結婚後は嫁が卵には熱をきちんと通してくれています。そういう一手間や

本当はおいしい半熟の状態を一緒に食べられない訳です。俺がなりたくてなった訳ではありません。誰の性でもないんです。でも、俺はそれも

申し訳ないと思ってます。いわんや食べず嫌いなんて...とも、思いますが事他に事象が移れば俺だって嫌いだから嫌だと駄々を捏ねて周りを

困らせることもある訳です。俺は高いところが嫌いです。だから行きません。でも、どうしても観覧車に乗りたいとかジェットコースターに

乗りたいと嫁や将来子供から言われたら俺はどうするでしょう?多分、出来ないと断るでしょう。俺は賭事が嫌いです。以前からここでも

書いてますように趣味のビリヤードでは一切賭けてやることをしませんし、俺の店では禁止してます。押しつけが嫌いな俺としては珍しくこれ

だけは譲りません。一人が始めるとなぁなぁになって段々面白みがなくなり最初は小さくても段々本格的なギャンブルに発展する例をいっぱい

見ているのでその芽を摘んでる訳です。お店の利益だけを考えれば賭事に熱中して長時間プレーして貰えれば1台当たりの収益も大きくなるし

悪い事ではありません。でも、俺は俺のポリシーとしてどうしても譲れない線と言うのがあるんですよね。妥協してしまうことの多い俺ですが

自分で引いた線だけは絶対に譲りません。これは俺の我が儘です。充分に判っています。でも、時には人に迷惑をかけてでも我が儘を言う事が

ある訳です。その分、他人が俺に譲歩を求めた場合俺の線を越えない限りで俺は出来るだけ譲歩するようにしています。これが俺のやり方で

あり正しいかどうかなんて俺にだって判りません。でも、そういう生き方しか知らない不器用な俺が居る訳ですね。これは対人関係でも同じ

でしょうね。俺は基本的に嫌いな人って言うのはいません。知り合った人はみんな友人であり、俺に出来る限りのことは誰にでも提供して行く

やり方も一緒です。まぁ、例外的に3人だけどうしても許せない奴がいるのは以前からここでも書いてますけどね。まぁ、人と思ってない

ですからそいつらは...そんな俺でも嫌いとまではいかないまでも自分とは合わない人ってのは居るものです。遠慮を知らない奴、偉そうな奴

高圧的な奴なんかは基本的にダメですね。そういう人でも基本的に俺は嫌いにはなりません。自分とは考えが違うということを了承し、適度な

距離を俺から保つ事により自分の中で人を嫌いにならないように努力してます。まぁ、もっとも俺が不遠慮で偉そうで高圧的と思ってる人も

いない訳ではないでしょうけどね。そういう自分にはならないように気を付けていますが...自分が嫌だから人にそれを強制するってのは本来

あってはならないと思ってます。また、自分が有利になるからって理由でも同じです。そういうものに対して具体的な反発を俺がするかどうか

別の問題としても気持ちの中では釈然としないでしょうね。そういう考えの俺が引いた線と言うのは我が儘である事を自認して引く究極の線

でもあったりする訳です。嫌いなものが多いだけ自分には敵が多くなるのではないでしょうか?時には敵を作ってまでも守るべきものがあり

それは仕方ありません。自分の防衛ラインは安易に譲ってはいけないんです。その防衛ラインは人によっては全く異質に感じることもあると

思います。それにさえも理解を示す事が必要ではないかと考えています。自分で嫌いなものを多く作ることは敵を多く作ること。それは例え

人に対してだけでなく、前述のように食べ物の好き嫌いだけでも他人に迷惑をかける事だってあるって事です。例えばピーマンが嫌いで

それが自分の防衛ラインだと言うならそれを貫く事に俺は異を唱える事はしません。ただ、それに対してどこかで敵を作っているかもしれない

という覚悟があっての話しです。人はそれぞれですからね。逆に好きなものが多ければ味方が増えるとも言える訳です。俺は一人じゃ何も

出来ない弱い存在かもしれません。だからこそ色々な人に協力して貰って現在の俺が居る訳です。その第一段階として好きになることから

始めるのが俺のやり方です。これが正しいのかなんて俺にも判りません。でも、それが俺の究極の防衛ラインなのかもしれません...