9月17日 ネガティブ
今回もまたまた一日遅れの更新です。う〜む、最近火曜日更新になってるなぁ...いかん、いかん。来週こそは!と思ってますが来週の月曜は
スケジュールびっしりなんですよねぇ。がんばってみますが...
さて、今回のタイトルはネガティブです。最近色々なところでポジティブシンキングなる言葉を聞きます。なんで英語にするんでしょうね?
カッコイイからかな?まぁ、日本語にすると「前向きに考えましょ」って事ですよね?(なにせ英語弱いんで俺の解釈としてはですが...)
えっと、俺はポジティブな考え方って好きですし実践したいのですが、どうもネガティブです。消極的と言っても良いかもしれませんね。
これは色々なことについて言えます。ただ、実体験としてネガティブよりポジティブの方がうまく行く事が多いように感じます。実は俺は以前
わざとネガティブに考えるようにしていた事があります。ポジティブになる為のネガティブとでも言うんですかね?物事を考える際に最悪の
結果をまず連想します。そして、その最悪の結果自分の置かれるであろう立場を想像し、それを避けるにはどうしたら良いか?という思考を
小さい頃からしていました。これは小学生時代のイジメられっこ時代に築かれたものではないか?と想像しますが定かではありません。その後
成長するにつれて少しづつ考え方は変化しているのですが、基本的な部分はあまり変わっていないように思います。この辺が気の弱さみたな
ことに繋がるような感じもしますね。まぁ、強くありたいとは思いますが、他人の犠牲を強いての強さなど本当の強さだとは思わないので、
自分に対して常に強くありたいと思ってますね。それにも実はポジティブと言う考え方が本来は必要だと思うのです。人間とは不思議な動物で
想像することが出来ます。これは人間以外の動物でも出来るのかもしれませんが、とりあえず俺は未来の事を想像し予想することが出来る訳で
その想像図が良いものか、悪いものかがポジティブとネガティブの分かれ目になるんでしょうね。で、最近はビリヤード系の訪問者が多い
ように聞いていますし、俺の趣味のビリヤードと絡めてここからは話しを進めます。
ビリヤードは想像のスポーツかもしれないと考えることがあります。現状だけを観ていては決して勝利に近づくことが出来ないのです。
それは、ゲームの展開や自分の実力、相手の実力を評価するなかで次ぎにどんな事が起こるかという事態を常に意識していないといけないから
だと思います。ビリヤードの経験がある人であれば誰でも体験した事があると思うのですが、普通に考えれば絶対に外さないような配置をミス
することがあります。いわゆるイージーミスって奴です。このときにショットする前には外す自分の将来がなんとなく想像されているものです
「やべ〜苦手なんだよなぁ」「イージーに見えるけど実は結構難しいかも?」「薄く外しがちな配置だなぁ」「ポケット前で止まりそう」など
悪い連想をしてそのままショットすると大抵その通りになります。不思議なものです。で、俺は中級者くらいの人にポジションプレーについて
尋ねられると答える言葉と繋がります。「ポジションは結局想像力だよ」ってことです。はっきり言って丸いボールを自在にコントロールする
ことなど本来不可能です。それを毎回同じようにするなどと言うことはなおさらです。で、俺が変わったポジション取りなんかをするとよく
聞かれるんですが「どこを撞いたんですか?」って感じですかね?一応の物理的な回答はあります。でも、重要なのはどこを撞いたのかでは
なくて、「どうしてそう考えたのか?」だったりする訳です。同じコースを手玉が辿ったとしても力加減をちょっと間違えただけで最良が
最悪に変化するなんてことはしょっちゅうです。これを技術論だけで語るにはちょっと無理があるような気がします。そこには人間の想像力が
大きく働いていると思うのです。「ここに止まれ」もしくは「ここに止まる」と言った強い確信を持って撞いた球は身体が勝手に微調整をして
くれるものです。想像を現実のものとするように身体が反応してくれるわけです。俺は基本的にひねりに関して言えばB級以上で覚えるべき
だと思っていますが、このひねりとて想像の世界で俺は撞いてます。「ほぼ真ん中で微妙に右を撞きたい」なんて時は本当に真ん中を撞きます
でも、感情で右に撞きたいと言う気持ちがあるので結果として微妙な右ひねりが適切な量かかっていたりするものです。現実に不可能な想像は
いくらしても無理です。押し球の撞点で引き球をしようとしても不可能です。現実の範囲内で想像力を働かせる事が重要なんでしょうね。で、
話しが横道のようですが、ネガティブな問題に移ります。良い想像を現実的に出来る以上。悪い想像も現実に成り得る訳です。前述の外す
イメージが出来ているときがそうですね。これはビリヤードだけでなく、普通の生活の中でもよく起こる現象だと思います。で、実はここにも
人間を納得させる仕組みがあるのではないかと思っています。悪い想像が当たった時に考える「やっぱりそうなったか...」って奴です。これで
悪いなりにも起きた現象が自分の想像の範囲になっていることに納得してしまい、自分がすでにその事態を想像していたことについて満足して
しまう訳です。ネガティブな考え方の最も悪い点はここにあるんでしょうね。悪い事が起きているのに悪い事が起こることを想像することが
出来た自分に満足し反省に繋がり難いんですよ。すると同じミスを繰り返す元凶になったりする訳です。で、同じミスを繰り返せばそれが、
想像の中で大きなウェートを占めることになり、結果苦手が出来上がる。そんな仕組みなんじゃないですかね?で、ポジティブに考えている
場合はどうでしょう?結果が想像通りであれば問題ない訳です。想像通りでなかった場合自分の想像に対して修正を加えることになります。
実はこれが反省だと思うのです。そして、それは同じ失敗をしない為により具現化された形で似たような事象の際の想像に繋がります。でも、
これだけ判っていてもコントロール出来ないのが自分の感情ですよね。まだまだ、俺も若いって事です。ポジティブに考えることのメリットを
知りつつそれを実践出来ない自分に嫌気がさしてそれがネガティブな考えを生むなんて複雑な事が常に起きてます。実際、すべてのことを
ポジティブに考えることなど出来ないでしょうが、それを実践できるように普段の生活から考えていないといけないんでしょうね。