10月9日 こだわり

 今回は2日ほど遅れてしまいました。時間が無かった訳ではないのですが、考察をまとめて書き上げるだけのまとまった時間がなかなか取れなくて

本日更新と相成った訳です。どちらのタイトルにするか悩んだですが、今回はこだわりで行ってみることにします。どんなコラムになるのかな?

 人それぞれこだわりとは違うものです。他人にとってはどうでも良いことでも本人にとってはこだわりたいものやスタイルというものがあるようです。

これを他人に強制するのは俺は嫌いですが、自分ではある種こだわりを持つことも大切だと思っています。ただ、難しいのはそれが他人に我儘や

身勝手、頑固、と言ったようなマイナスのイメージに映ることを避けながらこだわりを捨てない事のバランスですかね?俺も仕事や趣味でこだわりを

持ってやっている部分というのは相当あります。本業であるパソコンの講師では教え方にこだわりがありますし、授業のスタイルにもある程度

こだわりがあります。ビリヤードに関しても、フォームや考え方にはそれなりにこだわりがあります。私生活の中でもこだわりのある部分があると思うの

ですが、こうしてみると色々なことにこだわって生きてるんだなぁ。とつくづく感じる訳です。でも、考えてみると俺のこだわりってどうしてもそうで

なければいけないってほど強いこだわりのものって少ないんですよね。こうゆうところが自分が優柔不断だと思うところなんでしょうが、他人との利害が

一致しない場合多くは俺はこだわりを捨てます。そんなにあっさり?って思う人もいるかと思いますが、そういうところが俺らしさなのかな?とも思い

ますけどね。ただ、どうしてもこだわることもあります。こういうのって理屈じゃないんですよね。社会正義なんて偉そうなことを言える柄でも身分でも

ないですし、正義に対する価値観なんてそれこそ人によって違うわけで自分が正しいと声高に主張するだけじゃダメっていうのは以前からこの

コラムを読んで頂いている方には俺の考え方として理解して頂けると思います。でも、そういう前提でもこだわりたいことってあるんですよね。例えば

(う〜ん、ビリヤードで例えようと思ったけど、最近続いているからなぁ...)パソコンの習得に関してプロの俺の立場からのこだわりについてちょっと

意見を出してみましょうか?パソコンの習得に関しては色々な方法があります。でも、前提条件としてキーボードやマウスといった入力機器の

適切な使い方のマスターは必須です。中にはこれを疎かにして技術にばかりに走る講習もあるやに聞きますが、俺からすれば論外です。で、

ここでも何度か触れたことがありますが、キーボードの経験が全くなければ絶対に「かな入力」から始めるべきです。まずはこれが俺のこだわりです

でも、それを強制しようとは思いません。ローマ字入力が良いと思っている人に理屈を説明してそれでもやっぱりローマ字が良いと言うのならば

俺はローマ字入力をお教えします。現に俺はプライベートではローマ字入力をしています。では、なぜ「かな入力」にこだわるのか?それは簡単

です。俺が苦労した苦労をして欲しくないんですよね。要するに俺の実体験での失敗を避けるためにも「かな入力」を薦める訳です。俺が教える

ならば自分の入力方式である「ローマ字」で教える方が正直な話し楽です。後から覚えた「かな入力」はやはりローマ字のようにスムーズに手本を

示すことが難しいのも事実です。でも、それでもです。絶対に有利である「かな入力」をへんてこな理屈を付け除外してしまうのは講師の技量が

低いからだと思う訳です。ちょっと調べれば「かな入力」の優位性なんてのはすぐに判ることです。その優位であることを知りながら自分が苦手だから

教えない(教えられない?)というのは本末転倒です。俺はパソコンを教えるプロです。プロならば受講生が一番良い授業を受けられるようにする

近道を教えなければいけないのです。それも各個人にあった内容でです。それには全くキーボードの経験のない人には「かな入力」が良いの

です。ただ、それを本人が良いと思わない(実際には周りがみんなローマ字だからとか「その先生おかしい」まで言われたことありますが...)のに

(もちろん有利な点を丁寧に説明しますが...)無理にかなを勧めても不信感の中では上達しません。そういう方には「ローマ字」でお教えします。

他にも間違った常識というのはたくさんあります。そういうところを少しでも修正するのがプロである俺の仕事であり、こだわりでもある訳です。これは

パソコンを教えるということに限ったことではありません。ビリヤードでも(って結局ビリヤードの話しも出るんかい!)色々な説があることがあります。

これを俺は信念を持ってアドバイスしていますが、他の上級者では全く違う考えの人も居る訳です。その人が間違っているとは言いません。その

人にとってはきっと正解なのでしょう。でも、俺にとってはそれは正解ではないのです。こうした場合俺は俺の考え方や理屈を説明してそれを実際

取り入れるかどうかは本人に任せます。一例をあげましょう。ドローを中心に取った方が良いか、フォローを中心に組み立てた方が良いかという

論議がときどきあります。俺は理屈で考える限りドローだと思います。でも、その理屈を補ってあまりあるフォローに自身のある人も居る訳です。

だから俺はアドバイスするときも「俺の考えでは...」という前置きで話しをします。そして、実際に自分のプレーではドローを中心に組み立てます。

それが良いか悪いかではないのです。他にもスタンスを開くか閉じるか、重心を右にするか左にするかなどなどいろいろ議論の分かれる問題が

あります。それに対する答え、この場合はこだわりと言っても良いでしょう。それは本人だけが持っているものなのです。他人に強制するのではなく

自分の信念としてのこだわりはこれからも持っていたいですね。