10月31日 努力って格好悪い?
先週、折角月曜に更新したのに今回は木曜ですか...メチャメチャ忙しいという訳でもないんですが、まとまった時間がなかなか取れなかった
ですねぇ。まぁ、要はやる気なんでしょうけどね。どうも最近色々なことに目を奪われてやるべき事が出来てないようなジレンマを感じてます
実際にはそんなことないんですけどね。なんか自分でも気付かないプレッシャーとかあるのかなぁ?
さて、今回は努力って格好悪いかを俺なりに考えてみようのコーナーです。(って言い回しがいつもと違うじゃん)以前にも似たような事を
書いた記憶もあるのですが、まぁ4年も同じようなコーナーやってればそういう事もありますので勘弁してください。俺は自分のことを努力家
だとは思っていません。どちらかと言うと暢気で努力をあまりしない方ではないかと思います。でも、俺もほらやるときはやるってことで自分
なりに努力することはある訳です。でも、結果が伴わない場合だってありますよね?どんなに本人は努力しても合う合わないってのはあるもの
でしょう。でも、その過程でした努力って絶対無駄ではないし格好悪くもないはずなんですよ。最近、世の中結果だけを追い過ぎてやしません
かね?過程のない結果なんて俺は意味がないと思います。例えばどんなにがんばったって俺が今から100m走の世界記録を塗り替えることは
出来ません。でも、仮にそれに向かって努力して結果ダメだったとしてどうしてカッコ悪いんでしょ?得て不得手は誰にでもあります。俺は
学生時代音楽が苦手でした。リコーダーなんか全然吹けません。俺は俺なりにがんばったつもりですが、結果が出ないので成績も悪くなります
益々、音楽が嫌いになる寸法です。しかもテストとか言って一人づつ吹いたりする機会なんかあった日には最悪です。元々苦手意識があるのに
人前で吹く訳です。途中で忘れてしまい変な音を出すとみんなが笑います。なんで笑えるんでしょ?人の失敗は面白いと言うのは自分が優位に
立てると錯覚しての自意識によるものではないかと思う訳です。テレビなんかでも人を騙したり、罵倒したり、失敗している様を笑う番組が
多く存在しますが、あれって面白いですか?俺は単に不快です。でも、そういう事に慣らされてしまい本気で腹を立てたりすると狭量な奴とか
思われる訳です。本当は結果なんてどうでも良いことなんですよ。たまたまうまく行ったのが良い結果で悪くしたのが悪い結果。それだけの
事でしかないんじゃないですかね?前述のリコーダーの話しに戻りますが練習もあまりしていないのに上手に吹ける人と一生懸命練習したのに
うまく吹けなかった人。成績にすると前者が上になる訳です。おかしくないですか?俺はパソコンやビリヤードを教えています。誰かが失敗
したとしてもそれを笑うような事はしません。自分が失敗したときに自嘲気味に笑う事はあるかもしれませんが、一生懸命やっていればそれに
対して笑うのは失礼です。ビリヤードなどで俺の教えた練習方法を繰り返し繰り返し練習している人がいます。彼はきっとうまくなると俺は
思っていますが、仮にうまくならなくてもその練習している姿はカッコ良く思えます。フォームも考え方もまだまだ不格好です。でも、その
姿は上級者と変わりません。見かけだけじゃないんですよね格好良さって...楽しければ良いって考え方もあるでしょう。努力しても報われない
こともあるでしょう。でも、その努力している姿は眩しく見える感性は常に持っていたいものです。努力している人を笑える人は単に辛い事を
逃げている自分を誤魔化す為に笑うのではないかと思ったりもします。一生懸命努力してる姿って本来カッコ良いものですよね?そしてその
努力の仕方ってのは人によって違うはずです。一生懸命努力したのに結果が伴わない。いいじゃないですか。一生懸命やったらなら。何もせず
うまく行かなかった事を悔やむより余程良いですよ。努力って少しづつ継続してこそ努力なんですよね。色々なことが一気に出来るなんて事は
希な訳で例え今うまくいかなくても少しづつ、少しづつ良くなってるはずなんですよ。だから、その過程では一見不格好なこともあるかも
しれません。でも、そこで諦めてはいけないですよね。努力しているのってカッコ良いですよ。俺はまだまだ色々な事に努力が足りません。
何事にも一生懸命やっているつもりではありますが、努力しているか?と自問したとき「まだまだ」って思いますね。
努力している最中の人を笑うのは止めましょうよ。それでその人が努力しなくなってしまっては可哀想です。そして、それを笑った自分が
実は人を陥れて自分が努力することをしない怠け者なんだと俺は思いますね。