01月16日 日本語の特性
本年1発目の更新遅れです。仕事の方も正月ボケも取れて動き始めると、まぁ時間の無いこと...しかも休み中に溜まった仕事が降りかかり
さらに倍!(古っ!)ってな感じなんで勘弁してください。他にも諸事情はあったりするのですが、それはプライベートで自分で解決しないと
いけないことなのでなんとかするしかないんですけどね。
と、本年初言い訳から始まるコラムな訳ですが、今回は日本語の特性なる難しそうなタイトルに決まりました。とは言ってもです。俺は国語
学者でもなければ特性を語る上で必要な他言語との比較が出来るほど英語もドイツ語もサンスクリット語(なんで?)も出来ませんがいつも通り
好き勝手に書かせて貰いましょう。最近、日本語が乱れているって話しを聞きますが、そうなんですかね?カタカナ語が分かり難いので平易な
日本語に直そうなんて動きもあるやに新聞で読みました。でも考えてみると日本語の文字なんて中国からの輸入品な訳で元々日本には文字自体
存在していなかった訳です。その漢字を崩す事によって「ひらがな」や「カタカナ」が出来た訳で当初は多分「日本独特の文化」なんて意識は
なくて「女の書く文字」(現在の女性差別的な意味ではないですよ)として変形して来たものだと認識しています。日本語はと言うよ日本人は
曖昧なものを曖昧なまま受け入れるという良く言えば「おおらか」悪く言えば「適当」な人種であり、それを表現する手段も自然曖昧な表現が
多くなり多くの場合はそれを受け入れています。例えば「日本」ってなんて読みます?「にっぽん」「にほん」「ひのもと」色々表現があるの
ですが、厳密には日本は自国の事を大陸から来た人々に「ひのもと」と説明していました。ところが日本にはまだ文字がありません。そこで
その意味合いから「日の元の国」すなわち「日本」と書いた訳です。すると大陸人はそれを現地の読み方で読みます。日本人はそれを聞いたとき
「にっぽん」と発音しているように聞こえた訳です。ところが「ひらがな」が出来ても半濁音や促音、撥音などの表記方法が未発達であった為
(「ちょうちょう」と「てふてふ」と表現したのと一緒です)「にほん」と「ひらがな」で表記されそのうちそのまま読まれるようになって
しまい「どれでもいいや!」になったのが大筋だと俺は認識しています。ちなみにこれは大陸を経てヨーロッパに伝わるに当たり「にっぽん」が
「ハポン」に聞こえ「ヤポン」に聞こえた場所もあるようです。ドイツ語圏では多分「ヤポン」でありドイツ語等では「ヤ」に相当するのが
「J」(記憶に間違いなければ「ヨット」と表現するはず...)であったため英語圏にもたらされる時に「JAPAN」になったものと推測されます。
これは俺の想像ですので正しいかどうかは誰か調べてください。(って人任せかいっ!)
おっといつものように脱線してしまった。で、要は曖昧なものを曖昧なまま受け入れるのが日本人の特性であり、日本語の特性であると言って
良いと思う中で無理に正確な解釈を付けることでかえって日本語の特性を失ってしまうのではないかとも思う訳です。言葉は生きています。
時代と共に変化します。俺の嫌いな「今の若い奴らは...」って中にも必ずと言って良いほど「言葉遣いがなってない」ってのがありますが、
そう言ってる本人だって若い頃はそう言われていたはずなんです。国語で習った古語なんて言葉がありますが、あれが当時は標準的な日本語で
あり、普通の会話で使われていた訳です。今、話す人なんて居ませんよ。なにが正しいかが問題ではないんですよ。その意味を曖昧なままでも
受け入れる事が出来るかどうかが重要なんですよね。自分が判らないから間違ってるとか良くないでは発展なんかありません。新しい言葉結構
じゃないですか。それを非難する前にそれを理解する努力をどれだけするかが問題なんですよ。俺に言わせればカタカナ語を平易に直すなんて
ことはそういう努力を怠った怠け者も仕業だと思うんですよ。外来語が良くなくて日本語は良いって考え方は日本人の本来持っているおおらかな
考えに逆行するもので日本文化を守る事にはならないのではないかとさえ思います。例えばメガネだって元は確かオランダ語です。でも、それに
代わる適当な日本語なんてないじゃないですか。今使われているカタカナ語が全て日本語に馴染むとは思いません。でも、馴染む可能性を自ら
放棄してしまう必要はないと思うんですがどうなんでしょ?俺は職業柄パソコンに関する専門用語を多く使います。それを無理に日本語に直す
ことは極力しないようにしています。なぜなら本来の意味が失われてしまい本末転倒になってしまうことが多いからです。デスクトップは
「机の上」ではなく「デスクトップ」なんです。ウェブは「蜘蛛の巣」ではなくウェブですし、サイトは「休憩所」ではなくサイトです。さらに
マウスは「ネズミ」ではなくマウスなんですよね。ありのままに受け入れそれが判らなければ調べるなりして自分なりの解釈でそれを使うそう
することによって日本語という言語は変化し発達し表現に深みを感じる言語に成長したのではないかと想像してます。それが本来の意味として
間違っていても多くの人がそう認知し理解出来るものであればコミュニケーションツールの原点たる言語の要件を満たしていると思うのです。
俺は専門家ですから「ハッカー」と言う言葉と「クラッカー」と言う言葉を厳正に分ける必要があります。でも、「クラッカー」じゃうまく
伝わらないんですよ。「ウェブ」より「ホームページ」ですしね。正しい事が重要ではなく伝わる事が重要なんです。しかも、日本語は曖昧で
なにを主題とするかが見えにくい。そこが難しいし面白いと思うのは俺が変わり者だからでしょうかね?