1月26日 チャンス
実に久しぶりの月曜更新です。のっけからですが、ほんとしんどい毎日です。やること、やれること、やらないといけないこといっぱい、い〜っぱい
あるんですけどね。なんとなくその日を乗り切るのに労力を使ってしまって、「明日出来ることは今日やらない」なんて自分の自堕落な性格を正当化して
みたりして朝方寝る頃に猛烈に反省して眠れなくなってみたりと自分で自分を追い込んで勝手に落ち込んで暗くなってる今日この頃です。金が無いのは
いつものこととしても、心だけは豊かに大きく暖かく居たいものですが、最近はなんとなく猜疑心みたいなものに押しつぶされてしまいそうです。俺が
勝手にやった努力を人に認めて貰おうなんて思ってませんが、それでも一生懸命やった結果を簡単に否定されてしまうのは辛いものです。俺には俺の考えが
あり、言い分があります。もちろん、それを主張することも大事ですが、自分の言い分をぐっと堪えて耐える事も人間社会に於ける共同生活の中では必要な
事な訳です。俺だけが我慢しているんじゃないって事は百も承知です。俺の我が儘で今まで色々な人に迷惑をかけていることも俺が気付かないだけできっと
あるんだと思います。でも、でもね。我慢し過ぎると心が狭くなりますね。そんな自分が最近大嫌いですね。
さて、こんな暗い書き出しですが、少し気を取り直して今回のタイトルに行ってみましょうかね?「チャンス」ですかぁ...大きなところでは人生の分岐に
なるようなチャンスもあるでしょうし、小さなところでは普段の生活の中や趣味の中でのちょっとしたチャンスってのもあるでしょう。まぁ、チャンスは
みんなに平等にあってそれを掴むことが出来るかどうかだ。なんて話しは良く聞きますが、俺の僻み根性で言わせて貰えば平等になんか無いですよ。そりゃ
ゼロって事はないんでしょうが、やっぱり多い奴、少ない奴ってのは居るものだと思います。多い奴は1回や2回チャンスを逃してもなんともなかったり、
少ない奴は1回のチャンスを逃すと次のチャンスがなかなか来なかったりすることもあるんじゃないかと思う訳です。ビリヤードで人生を語るような事は
したくありませんが、良い例が思い浮かばないのでビリヤードを使ってしまいましょう。ご存じの通りビリヤードには対戦相手がいます。でも、プレーして
いるのは一人しかいない訳です。テーブルの上に残っている現状を分析して自分の実力でどう解決するかが求められている訳で、このとき相手は関係ない
訳です。9ボールをやっている場合に相手が格下であれば自分のプレー回数は自ずと増えます。すなわちチャンスがたくさんある訳です。しかし、相手が
上級者であれば1回のチャンスをミスするだけで、2度とチャンスが回って来ないなんて事もある訳です。これは単に1セットだけでなく、ゲーム全体で
そういうことが起こる可能性もあります。例えば5セット先取りの試合で4−1で負けていたとしましょう。回って来た1回のチャンスで4−2に追い上げ
ブレイク権を手に入れます。そんなにしょっちゅう出るものではないですが、ここからマスワリ3連発で相手に全く撞かせずに勝つ事も出来る訳です。俺は
常にそういう意識で試合に向かいます。3連発なんてそうそう俺の実力では出ません。でも、出した経験はある訳です。ならば不可能ではないはずです。
このようにピンチの状態であっても1回のチャンスで大逆転することは色々な場面で可能な訳です。ただ、勝つことだけを考えれば4−1にリードされた
事が問題であり、逆に4−1でリードしていればもっと余裕のある展開で5−1で勝利することも可能な訳です。結果は同じ勝ちでもその過程に違いがある
訳ですね。どちらが良いという事ではなく、チャンスをどう捕らえるかと言う問題のような気がします。前述の4−1でリードしている場面で逆に俺が
「1回くらいのミスは大丈夫だろう」などと多寡をくくっているとあっと言う間に逆転されることだってあり得ます。ただ、その可能性は非常に低いもので
あるはずです。まずはチャンスを逃さない工夫よりもピンチを増やさない工夫をすることが大切なんじゃないかと思う訳です。ピンチが少なくなれば逆に
チャンスは増えるはずです。きっとこれは相対的なものだと思うのです。「ピンチを逆転の発想でチャンスに変える」良く聞きます。でも、そんなので成功
する確立は低い訳です。競馬で負け続けていると一発逆転の万馬券を狙う訳です。可能性はゼロではないでしょう。でも、可能性が低いから万馬券な訳です
俺は競馬はやらないので判りませんが、きっとそういうものだと思います。有り余る程の大金持ちと最後の数千円を握りしめて同じように万馬券に挑戦
したとしましょう。どっちが当たるでしょう?多分どっちも外れます。でも、大金持ちはまだ別の機会に同じように出来ます。そして、いつか当てる事も
あるでしょう。すると今までの投資を回収することだって可能性としてある訳です。要するに大金持ちにはたくさんのチャンスがありピンチにならない
背景がある訳です。馬券だって宝くじだって買わなければノーチャンスです。でもピンチの時に迎えるチャンスはギャンブルでしかありません。それを
言い得て妙なのが「ピンチのあとにチャンスあり」って言葉です。「ピンチの中にチャンスあり」とは言わない訳です。ピンチが去ったということは別の
言い方をすればそれだけでチャンスな訳です。「ピンチの中にチャンスはないが、チャンスの中にチャンスはある」と俺は思っています。それには避け得る
ピンチは出来るだけ避けて置いた方がチャンスが広がる理屈になります。じゃぁピンチのときはどうしたら良いのか?俺は耐えます。耐えて耐えてピンチが
過ぎ去るのをじっと待ちます。人間ピンチになると打開するために色々と動いてしまいがちです。もちろん動いて良い場合もありますが、俺の経験上失敗
することが多いようです。前述の万馬券を狙いに行ってしまう訳です。だったら耐えます。動かないという事ではなく今出来ることだけを集中してやって
ピンチが過ぎ去るのを待つ訳です。
振り返って今の俺はどうか?というと長い人生の中では小さな丘かもしれませんが、しんどい上り坂に居るようです。でも、いつか平坦な道も来ると
思いますし、加速を付けられる下りも来るでしょう。加速が付く時には一気に行きたいですが、自分の技量をしらないと転んだ時に加速している分大怪我
しますからね。ただ、今は絶対に転んじゃいけない訳です。転ぶと逆の方向に転がって行きます。さらなるピンチ地獄でもう一度しんどい上り坂を傷付いた
身体で登らないと行けません。幸い俺には後ろでしっかり支えてくれるありがたい妻がいます。時には俺が引っ張り上げる事も必要でしょうが、後ろから
ぐっと押し上げてくれることだってたくさんある訳です。そして、もうすぐ俺を支えてくれる小さな(でも、俺の中では大きな)援護部隊が加わります。
俺は部隊長としてこける訳にはいきません。先頭で雨風を防いで行かないといけない訳です。きっとチャンスは来ます。今は少ないかもしれませんが、
朝の来ない夜はなく、春の来ない冬はありません。チャンスを捕まえるにはまずピンチにならないこと、もし今がピンチなら耐えることそれがコツだと俺は
思っているんですけどね。