3月31日 生意気

 さすがに3月に1回しか更新しないのはまずいだろうと思って慌てて更新です。いや〜順調にアクセス落ちてますねぇ。ほんとこのコラムの重要性を

再認識する訳ですが、毎日更新のコーナーはないしBBSも閑古鳥ですからねぇ。仕方ないと言えば仕方ない。大幅なリニューアルなぞする暇もないですし...

な〜んて思っていたのですが、最近巷で流行のブログなるものに手を出すことにしました。うまい表現ではないですが日記ですね。毎日変わり映えのない

日々を日記にしても面白くないのでビリヤードに出来るだけ特化して毎日一言でも書いて行こうと計画してます。実はまだ公開していませんが粗方出来て

すでに5日ほど更新しています。ちなみにブログを始めてもこのコラムは止めません。なんとかタイトルを見つけ出して続けますのでこれからもよろしく

お付き合いください。

 さてさて、タイトルの生意気ですがこの言葉って通常目下に使いますよね。まぁ、どっちが目上かなんてほんとはどうでも良いことの様な気もしますが

社会生活を営む上で上下関係ってのは大事なものです。大学時代に野球部なる体育会にいた俺は比較的上下関係が厳しい中にいたと思います。そのお陰で

今でも変に人を見下したりすることは少ないと思っているんですけどね。俺は以前からここに書いているように可能性のある若い人達が大好きです。

最近の若者はなってないなんて言ってる奴は大嫌いな訳で、当然生意気な奴ってのはなかなか感じません。言葉使いだってその時々で変わる物で無理に

敬語なんて使わなくたって目上だと思う人にはそれなりに気遣いをしている若者が多い訳です。俺はそういう機微を感じ取っているつもりでいるのですが

中には「生意気」と思う奴も居る訳です。年下で俺のプライドを傷つけるような言動をする奴はやっぱり生意気と感じますね。逆に年上であれば尊大と

感じるのかもしれません。例えばビリヤードを教えていたとしましょう。俺が一生懸命自分なりの解説をしているのに別の誰かは違うことを言っていた。

とか平気で言う奴がいる訳です。見解の違いというのはいつでもあります。もちろん俺が全て正しい訳ではないのは百も承知です。でも、それだけは

言ってはいけないことですよね。自分の意見として俺にぶつけるのは良いでしょう。大いに論議すれば良い事です。でも、他人の俺と違う意見を俺に

ぶつけるのは論議のしようがありません。自分の意見のように思っていても所詮は他人の受け売りな訳です。「だったらそいつに教われよ」と言う気分に

俺がなったとしても不思議では無い訳です。「誰それはこう言っていた」というのは自分の意見ではない訳です。それをさも自分の経験のように理解も

せずに話す人は俺には生意気に映りますね。俺も受け売りは一杯あります。でも、それを練習して体現して自分なりに納得した上で人に話します。

その過程もなく、実力もないのに人に触れ回るのはどうかと思うんですよね。

 生意気な事が良いことか悪いことかと聞かれれば俺は間違いなく悪いことだと答えるでしょう。反骨心の現れなんて善意に解釈する向きもありますが

そんなの言い訳です。自分を抑えて人を立てることの出来ない奴は所詮それだけの器なんですよ。前述しましたが生意気と尊大っていうのは同じ意味だと

俺は思います。親父は良く「人を恐れるな」と言います。この言葉は俺が大嫌いな言葉のひとつです。「人は恐れないといけない」ものだと俺は思います。

恐れると言っても怖がるとはちょっと違うんですけどね。要するに相手の心情を計って行動するには自分よがりな判断がいけないと思う訳です。相手が

客だと思えばこっちも遠慮もします。徳川家康は「人生は旅人の心で」と言ったと言われます。この世に旅に来ていると思えば多少の事は我慢できるし、

相手にも気遣いする訳です。俺はあまり生意気と言われたことがありません。でも、親父にはよく言われました。今でもきっとそう思っているでしょう。

でも、俺は親父を尊大だと思ってます。まぁ、50歩100歩ですな。親に向かってなんて事言うんだ生意気な奴だとお叱りを受けるかもしれませんが、

俺は全ての人を敵に回してまで自分を主張するつもりはありません。どっかの大統領みたいに自己満足のためだけに自分だけの正義を振りかざすような

ことはしたくないんですよね。36年後匠太が俺と同じ歳になったときに一緒に飲みながら「早く親父みたいに成りたい」って言われてみたいですね。

もし、そんなこと言われたらやっぱり生意気と思うんでしょうか?