3月29日 得て不得手

おっ!最近は結構真面目に更新してるじゃん。えらいえらい。と自分で自分を誉めてあげたいと思います。ってオリンピックのマラソン感想直後の談話みたいなことを言ってみたりしての始まりですが、それが普通?そうですよねぇ...しかも、火曜日に更新じゃ一日遅れだ!なんて天からの声が聞こえて来そうですが、耳を塞いで聞こえないも〜ん。

てな訳で始まりました今週のコラムですが、タイトルは「得て不得手」まぁ別の言い方すれば得意不得意ってことですかね?人それぞれですからここではもちろん俺中心の話しで展開させます。まずは得意なもの〜ビリヤード(笑)パソコン(爆)両方とも仕事じゃん。まぁ、その中にあっても細分すれば得て不得手はあります。例えばビリヤードのテクニック的な部分で言えば俺はドローは得意ですがフォローは苦手です。(ついでながら人のフォローも苦手かも?)以前はカーブよりジャンプが苦手でしたが最近は逆かな?もっとも自慢できるほど得意なショットではないですねぇ。種目で言えばナインボールは得意だけどボーラードは苦手ですしね。

パソコンに話しを移すと一応講師という職業柄苦手があってはいけないとは思いますが、苦手なものも人並み以上に出来る自信はありますが、自分の中では苦手ってこともありますからね。Excel,Wordなんてのはほぼ毎日使ってるので得意ですね。あとはPhtoShopとかIllustratorなんかも得意って言っても良いかな?苦手なのはCAD系とかDB系のソフトはあまり使わないし得意とは言えませんかねぇ。PCを組み立てたりするハードは得意というか好きですが、キーボードの操作は実はあんまり得意じゃないんですよねぇ。

学生時代にまで話しを戻せば数学と国語は得意だったかなぁ?英語は大の苦手でしたね。大学ではドイツ語も苦手でしたねぇ。語学系は国語以外ダメですね。(古文も苦手だから国語全部得意って訳じゃないな...)体育は小学生の頃は苦手でしたが、中学,高校では得意科目になったかな?物理は好きだけど分らないし、美術は絵を描くことだけなら得意だけど、彫刻みたいなのは苦手だったなぁ。

で、これでコラムを終えると単なる俺のプロフィールに成りかねません。ここからは俺の得て不得手論になります。まずは誰でも得て不得手があるということです。この当たり前のことを実はあまり理解していないケースがあります。どういうことかというと「自分は得意」→「だから簡単」→「人も簡単に違いない」ってな流れの思考が出来やすい訳です。ところが教える立場の人間がこういう思考だと教えられる側は中々ついていけません。劣等感を生みそのことを嫌いになってしまうこともあるかもしれません。全てがそうではないと理解してはいますが学校、特に中学以降は先生が各科目を受け持ちます。当然でしょうがその教科は得意なはずです。で、自分との比較ではないまでも他の生徒と比べて苦手な生徒が居ると「なんでこんな簡単なことが分らない」ってことになります。劣等感を植え付けられその教科を嫌いになった生徒はそれ以降あまりその教科を勉強しなくなり悪循環に陥ります。大人になって良くこんな会話したり、聞いたりしませんか?「中学の国語の先生が嫌いで国語が嫌いになった」みたいな話しです。で、なぜこんな話しにしたかと言うと人は望むと望まぬに関係なく人にものを教えなくてはいけない場面があります。それは仕事かもしれませんし、子供に対する教育かもしれませんし、趣味をもっと充実させるためかもしれません。俺はパソコンを教える事を生業にしてますから、教えることはプロでなければいけません。もちろんパソコンに詳しいのは大前提です。パソコンが出来ると教えられる。というのは別の能力なんですよね。で、俺は教えるときにもちろん基礎はしっかりじっくり教えますが、あとは得意なこと(興味のあること、やりたいこと)を最優先で教えることにしてます。得意なことを教えるには自由にやらせるのが一番です。そして、その中で困ったときに答えではなくヒントを与えることが重要です。すると大抵の場合は出来るようになります。杓子定規にテキストに沿って教えるだけなら良い教則本を紹介して読ませれば良い訳です。人と人が接するからこそ理解できることがあり、それを元に得意なものに磨きがかかる訳です。じゃあ苦手なものは放って置いて良いのか?ということになりますが、基本的には放っておいてOKです。だって苦手なんだもん。でも、苦手なものも必要になるときが来ます。それは得意なものに磨きをかけているとどうしても克服しなければいけない苦手な分野に手を出さざる得なくなるからです。でも、このときにはきっと苦手は苦手ではなくなっているはずです。得意なもので自信を付け人からの強制ではなく、自分で取り組もうと思った瞬間に苦手ではなくなると思うんです。そういう風に思えないのであればそればまだ自分にとって必要がないと判断すれば良いんです。極端ですが食べ物の好き嫌いなんかでもそうかもしれません。好き嫌いはダメ。というだけではその指導の仕方がダメです。好きな物だけ与えるのももちろんダメです。要は嫌いと思っているものを食べる必然性を自ら発見するような手助けをしてあげれば良い訳です。その為にお母さんたちは昔からニンジンを花模様に切ったり、細かくして大好きな食材に混ぜたりして食べさせる工夫をして来た訳です。

ついでですからビリヤードの話しもしましょう。俺に教わったことがある人なら気付いているかもしれませんが、俺はあまり細かいことを言いません。もちろん明らかに修正した方が良い場合にアドバイスすることはありますが、それも基礎段階だけです。聞かれたことに対しては自分のわかる範囲の考え方を伝えますが、それをどう解釈するかは自由です。ですから練習の方法や考え方と言ったことには言及しても、それ以外のことはあまり言いません。人それぞれに自分に合ったやり方なり考え方が存在すると思うんですよ。で、よく苦手なところを克服しようと練習する人が居ます。それはそれで必要なことですし、いつかやらなくてはいけません。でも、本当にその練習は今必要なんでしょうか?初心者でもジャンプキューを持たせてちょっとコツを教えればジャンプさせることは出来るでしょう。でも、本当に必要とは思えません。それと同じようなことが色々な場面で起きているような気がするんです。例えば前述のように俺はドローが得意でフォローが苦手です。では、俺の考えに従ってすべてドローでマスワリ出来るか?と言えばよほど配置に恵まれなければ不可能です。でも、ドローを中心に組み立てる事は可能です。極端な話しですがすべてドローで取るとしましょう。絶対に不可能な配置が出て来ます。そこでフォローの重要さに気付き練習すれば良い訳です。人に「この配置はフォローが簡単だよ」と言われてやるのはあまり身に付かないのではないかと思っています。だから俺は取り方については不可能でない限りその人の取り方を尊重します。それは相手がビギナーであってもです。以前にも書いたことがありますが、100球中95球入る配置は多分得意な配置です。でも、まだ5%ミスが出る訳です。それをいかに減らすかということに神経を使うべきだと思うんです。100球中10球しか入らない配置を練習で15球入るようにしても85%もミスする訳です。だったら得意を100%に近づけた方が良くありませんか?もし仮に100%の配置があるとすれば絶対に外れない訳です。その配置をたくさん持っている人がきっと上手い人なんだと思います。想像でしかありませんが、そこそこのA級(まぁ俺でも良いでしょう)が10%しか入らない配置は例え世界チャンピオンだって100%なんか入らないと思います。80%くらいは決めて来るかもしれませんが、まだ20%もミスする可能性がある訳です。トッププロにおいて20%のリスクは多分相当なリスクだと思います。話しは少し戻りますが、苦手意識はそれ自体を嫌いになる危険を多分に孕んでいます。性格にもよるでしょうが、苦手なことを焦らず必要になるまで我慢して得意を精一杯伸ばすことがどんなことにも重要ではないでしょうか?全部50点のテストなんて意味ないですよ。ほとんどのテストが0点でも1科目だけでも100点取れればそれを誉めたいですね。100点取るなんてすごいことじゃないですか。